コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

【一首評】それではみなさま犯罪三唱 ハンザーイ!ハンザーイ!ハンザーイ!/おいしいピーマン

それではみなさま犯罪三唱 ハンザーイ!ハンザーイ!ハンザーイ!

/おいしいピーマン(半夏生の会『半夏生の本』2019.11.24)

 

 短歌として提示されていると、基本的には57577のリズムで読もうとする。「それではみ/なさまはんざい/さんしょうハ/ンザーイ!ハンザ/ーイハンザーイ」で一応57577にはなるが、そういうリズムで読む人はおそらく誰もいないだろう。何かしらの媒体で自然に身についた、万歳三唱の時のリズムで読むことになる。上記の歌は既に短歌以外のリズムを内包している。

 内容に関しては、万歳を<犯罪>に変えるという、その一点に全てをベットしている。それ以外の要素はほとんど切り捨てているように見えて、「なぜそこに全部ベットできるんだ」という怖ささえ感じてしまう。下句にあたる部分は一字空けされずに続いていくため、途切れなくハンザーイと3回両腕を高く上げているのだろう(両腕を高く上げているとは限らないが、バンザイと同じような気持ちで読んでしまうため、ここでは万歳三唱時と同じような身振りをしていると仮定する)。どこか熱狂的な雰囲気さえ感じる。

 一点突破のような題材に、万歳三唱をする時のテンションの高いリズムが混ざると、怖さを覚えるのだなと、なんだかしみじみとしてしまった。

ドレスコーズ『ジャズ』

 

ジャズ【通常盤】

ジャズ【通常盤】

 

  2019年リリース。志磨遼平によるソロプロジェクト、ドレスコーズの6thアルバム。

 

 前作『平凡』ではディストピア的世界観をコンセプトにしていたが、今回も「人類最後の音楽」というテーマのもと作成されたコンセプチュアルなアルバムとなっている。

 前作の重要な要素であったファンクはごっそりと抜け落ち、どこか熱の抜けた、異国的な音楽になっている。廃れた土地を歩む音楽隊のようなM-1『でっどえんど』、アルバムの中ではアップテンポ寄りなのに、どこか虚しさを漂わせるM-3『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』、ジプシーミュージック要素を押し出したM-5『カーゴカルト』、スカ調の音楽が破滅への狂乱をかき立たせるM-9『プロメテウスのばか』、後述するM-12『人間とジャズ』が個人的には好みだった。

 M-12『人間とジャズ』が、アルバムの締めくくりとしてかなりしっくりきた。ノイズの混じった音質の悪いピアノとボーカルが、滅びた後の世界のどこかから流れているように思えてくる。最後のノイズが途切れた時、もう音楽を鳴らす存在は消えてしまったような気がしてくるのだ。

 ちなみにタイトルは『ジャズ』であるが、ジャズ要素はそこまで多くないように感じた。インタビューによると、から騒ぎし続けた人類の歴史と共にあったものとして、狂騒という意味をもつこの言葉を選択したとのことだった。

 曲単位だと前作『平凡』のほうが個人的には好きではあるが、コンセプトの完成度としては今作のほうが優れているように感じた。人類が滅びる様を約50分にまとめたアルバム。

 

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褒められるサブスク、雪用の靴、メッソン

1月19日(日)

 褒められるサブスクがもしあったら、月額550円までなら買うかもしれないと思うようになってきた。

 イメージとしては以下の通り。

 アプリを起動すると、老若男女の顔写真が出てくる。詳細ボタンを押すとプロフィールが現れ、どういう褒め方をしてくれるのかも分かるようになっている。褒めてもらいたい人を選んで、褒められたい内容を書いて送ると、数日後に通知が届く。開いてみると、その人が画面に現れて褒めてくれるのだ。なんだかビジネスのにおいがしてこないだろうか? してこないのであれば、近くでかいでみることをお勧めする。手で仰いでかぐと、途端に理科のようになる。

 生活を送っていると、人に褒められる機会がほとんどないことに気づく。自分で自分を褒めていくしかないのだが、上手いやり方が分からない。義務教育で習っていないからだ。自己評価の低さと自己承認欲求の高さが合わさると、飲んでも飲んでものどの渇きが取れないような感覚に陥る。

 これは後日談だが、サブスクに関する話を同僚にしてみた。寿司を1貫おごってくれるのならやってもいいとのことだった。上手いこと自己肯定感が満たされれば、事業となり、ビッグマネーが手に入るかもしれない。ビッグマネーが手に入ったら、「どうだ明るくなつたろう」をやってみたい。あの絵に出てくる成金を思い浮かべながら、「どうだ明るくなつたろう」と検索してほしい。想像の1.5倍は笑顔なので。

 

 雪が降った時に履く靴が無いことに気づき、雪用の靴を買いに行った。購入した靴には唐辛子成分が配合されているらしく、暖かいとのことだった。今年は暖冬ということもあってか、私が住んでいるところもほとんど雪が降っていない。そのため、靴は1度しか出番がない。シーズン途中に慌てて獲得したが、ほとんど試合に出ずに解雇された外国人選手みたいだ。皆さんはどの外国人選手を思い浮かべましたか?

 

1月22日(水)

 ポケモンのソードをプレイした。年末に購入し、1か月ほどかけて全てのバッジを集めた。最初に水タイプのポケモンを選ぶタイプの宗教に入っているので、今回も水タイプのメッソンを選んだ。進化するたびに引き伸ばされた画像みたいになっているような気がする。

「引き伸ばされた画像」という例えが果たして合っているのか、自分で検証してみることにした。

 まず、通常のメッソンの画像を以下に貼ってみる。

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 そして、引き伸ばされたメッソンを貼る。

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 最後にメッソンの最終進化形であるインテレオンの画像を貼る。

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 全然似ていない。

 

 例えについて専門的に勉強できる学部ってどこですか?

【感想文】『稀風社の水辺』

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 2019年11月24日(第29回文学フリマ東京)に刊行された、稀風社による短歌の同人誌。連作4つと散文2つが載っている。

 同人誌の中から、各人の連作について、感想を書いていきたい。

 

三上春海『献本御礼/論(二〇一六)』

 詞書が多用されていて、さらには詞書が短歌としてピックアップされていたり、注釈が多用されている形式は、斉藤斎藤を思い出すなと感じながら読んでいると、注釈の最後に斉藤斎藤を参考にした旨が記載されていて、先回りされた気になった。

 短歌の営みの中には、献本という文化めいたものがある。短歌の作者同士で歌集を送り合うらしい。基本的には歌集はそこまで多く刷られないため、手に入りにくいものも多い。Amazonには中古で1万円を超える歌集も存在する。

 読みたくても読めない人がいる中で、献本された本をBOOKOFFに売る人もいる。富める者はますます富むし、何もない者は何もないままだ。

 

「【追記あり】著者謹呈の歌集をブックオフに持ち込んでいる著名な歌人が誰なのか判明した」

 

 この連作では序盤から中盤にかけて、献本とそれを取り巻くものによって生み出される格差が浮かびあがり、それは生活とリンクしていく。

 

こんなわたしはよくないのかもしれなくてラボの夜食にもやしを選ぶ

 

 歌集の献本から権力や社会契約の話へと広がっていく後半は、正直数回読んだだけでは噛み砕くことができていない。いつか噛み砕ける日がくるのだろうか。

 連作を読み進めていくと、肌寒くなっていくような気持ちになるのは、経済的な部分にシンパシーを感じてしまっているからかもしれないし(奨学金という言葉が詞書に出た時、自分の奨学金の残高を少し想像してしまった)、作中に登場する札幌という土地の持つ効果なのかもしれない。

 光森裕樹氏が述べるように、歌集がもし<貨幣>なのだとしたら、多くの人が期待している感想は何になるのだろう。心付けだろうか。

 

水沼朔太郎『飛び込んでくる』

 120首とかなりのボリュームの割にあまり疲れないのは、短歌を構成する素材が読者側の生活にも根付いていたり、こちらを違うところへ飛ばしていくような比喩がないからなのかな、と感じた。

 連作中に <母親>と<兄>、そして<トイレ>が出てくる回数が多いように思えた。

 

母親が入院してから母親に似ている人が増えたんだよなあ 

 

<母親>が出てくる短歌は負の感情が滲み出ているが、憎み方の温度が低い。1首目の「だよなあ」という終わり方は、<母親>と<母親に似ている人>への嫌な気持ちを読み手に置いていく。母親が増えていって、そのうち人に対して良い気持ちを抱かなくなるのでは、と思ってしまう。

 

ステテコを兄から2000円で買う 500円玉貯金で払う

 

対して<兄>の出てくる短歌はジャージやステテコといった身に着ける物の中でもインドアなものとくっ付いて、家らしさを強調させる。

 

南海のトイレも良くはなっている実家のトイレへ歩いて向かう

 

 どの歌もトイレへ向かっているか、向かっていることを思い出している。<トイレ>そのものより、<トイレ>に向かっている主体のほうが、一首の中で大きく映っているように思える。

 

ガルマンオブガルマン、ベテラン中学生、水沼朔太郎で乾杯

 

 ウッ、となった歌。この歌を通して登場人物の説明を読者側がしなければいけない感じと、説明をしても特にどうにもならない感じが、個人的には息が詰まった。

 

暖房の24度と冷房の24度はどうして違うの

 

 連作中で一番好きな歌。確かに、と思う。調べれば謎はすぐ解明されそうではあるが、初見ではどうしても言いよどんでしまう生活の不思議。四句目までずっと24度の話をしているところが面白い。結句の問いかけで、読者をどうしてだろうと立ち止まらせる力を持たせていると感じた。

 

鈴木ちはね『失業給付』

 第1回笹井賞の応募作(もしかしたら応募時のものから手を加えているのかもしれない)。最終選考候補作だったため10首しか確認できていなかったが、今回ほぼフルバージョンを読むことができた。

 東京という場所に何かしらの意味付けがされていないところや、自分/他人の感情があまり出てこないように統一されているところが読む側として負担にならず、変に立ち止まることなく読めて良かった。

 

地下鉄の駅を上がってすぐにあるマクドナルドの日の当たる席

 

「地下鉄」も「マクドナルド」も多くの人が出入りしているものなのだが、この歌では人にスポットが全く当たっていないこともあってか、空間だけが浮きあがっていくようなイメージだ。読み進めていくと、自分も「地下鉄」から出て「マクドナルド」の店内へ入っていくような気持ちになる。

 

母が自分の余生を自分の資産から逆算してみせるその手つき

 

 水沼さんの「母」と比べると、主体は「母」に対してどういった感情なのかはほとんど読み取れない。

 ゆっくりと折られていく指と、(おそらく)頭の中で計算しているときの、自然と目線が上にいってしまうような感じを読み取った。「余生」や「資産」が関わる計算は、生々しさがある。

 

新幹線はかっこいいという直観を忘れないまま育ってほしい

 

 連作中で一番好きな歌。直感ではなく「直観」である。

 まず、「新幹線」が「かっこいい」という本質を構成する部分について1回考えた。速さかフォルム、そのどちらもだろうか。しかし、そういったところを考えていくほど、「直観」から外れてしまう難しさがある。そして、「忘れないまま育ってほしい」のは誰なのだろうか。私は「不特定の誰か(もっと言えば誰かでもない、ぼやっとしたもの)」だと解釈した。特定されない/できないことによって、こちらの想像の余地が十分に残されていて、楽しく読めた。

 

鈴木ちはね『ずっと前』

  10首連作。過去にフォーカスが当たっている連作だと感じた。

 

 老人の主語がでかくて笑っちゃう春の大きなバスに揺られて

 

 バスの中で、老人が主語の大きい会話(「日本人は~」などだろうか)をしているのだと思う。こちらまで聞こえるということは、ある程度声量もあるのかもしれない。

 話の内容よりも細かな部分に注意がいってしまうのは個人的に分かるような気がする。この主体は話よりも、話をしている老人の主語が大きかったことだけに興味が引っ張られている。話の中身には焦点を合わせていない。

 少し、春はどちら(「老人の主語がでかくて笑っちゃう」なのか「大きなバスに揺られて」なのか)にかかっているのか判断するのに迷ったが、私は「老人の主語がでかくて笑っちゃう」にかかっていると解釈した。

 「でかくて」というくだけ方はどうなのだろうという気持ちがある。「でかくて」だとくだけすぎな気がするが、大きくてだとリズムが悪いし丁寧過ぎる気がする。中間あたりの言葉がどこかで発明されないかと思う。

 

 

 散文に関しては、鈴木さんが「増幅」「圧縮/解凍」「沈黙」に考えを、三上さんが短歌から離れた石井僚一さんについて文章を書いている。3回しか会ったことはないが、石井さんは元気にしているだろうか。

 その中でも鈴木さんの文章に出てくる「あえてを排する(実際の文章には『あえて』に傍点がついている)」という部分は個人的に気になるところがあって、もう少し自分でも考えてみたい。

(個人の話になってしまうが、生活の中で見かけた文章を、感情的になりそうな部分をできるだけ排除しながら、短歌の中でサンプリングさせることができないか、ということを最近は考えている)

 

 今回も面白く読ませていただいた。次の文フリも何か出すのだろうか。

家計簿の才能、やっていく、コーヒーフロート

1月18日(土)

 ここ1年ほど家計簿をつけているのだが、平気で2、3万円ほどずれる。給料が出たタイミングで全財産がどれくらいあるのかチェックをするのだが、理論上の全財産よりも現実のほうが足りない。昼ご飯のときにレシートを捨ててしまったり、レシートが出ないようなイベント(飲み会など)で記録を付け忘れていたり、寝ている間にふらふら家を出て、近くにあるどぶ川にお金を投げたりしているのかもしれない。

 家計簿の才能が無いなと、つくづく思う。義務教育を一応は受けているのだが、家計簿について全く学ぶ機会が無かった。そういう学部を出ていないからかもしれない。

 

 午後から小瓶歌会に行った。歌会とは、ざっくり言うと短歌を持ち寄って評や感想を言い合う集まりのことだ。新潟の砂丘館という場所で行われていて、風情~となる。

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 今回はテーマ詠(テーマに沿った短歌を作る)と自由詠の計2首を持ち寄った。

 ここ数か月は歌会に出ていなかったため、改めて他の人の短歌を評することの難しさを感じた。これに関しては回数をこなさないと力が付かないような気がする。あらゆることが、「結局、やっていくしかない」に収束しているような気がする。やっていくことに関して、なかなか高い水準で気力を保つのは難しいなと最近はずっと思っている。短歌についても、数年前のように毎日作れなくなっている。

 他の人の評を聞き、改善できる部分に関しては改善していく。今回出した歌は2月~3月に出そうと思っている短歌連作に載せるか、しばらく寝かせようと考えている。

 会場にある別の部屋では、アンビエント系のアーティストがリハーサルをしていた。その日の夜に砂丘館でコンサートを行うらしい。ノンビートで、会場に合った音楽だと感じた。

 歌会が終わった後は懇親会があった。デザートの欄に「コーヒーフロート」と書いてあった。普通ドリンクの部分に記載されるのではないか。しかし、デザートのようなコーヒーフロートなのかもしれないと思いつつ、注文してみると普通のコーヒーフロートだった。しかも量が多い。食べる・飲むたびに身体が冷えていくのを感じる。一体何が悪いのか、居酒屋か、コーヒーフロートか、頼んでしまった自分か。いや、お前か? 

 すっかり身体が冷えてしまったため、解散後にラーメン屋に行った。衛生面があっあっ一般的なあっという感じで、記憶から削除していたのだが、ブログを書いている途中で思い出してしまった。ブログもメリットとデメリットがある。

椎名林檎、変身願望、サプリメント

1月14日(火)

 世間は平日だったが、私は休日出勤による振替休日だった。せっかくだからしてみたかったけどなかなか実現しなかったことをやりにいこうと、カラオケに向かった。椎名林檎の『加爾基 精液 栗ノ花』を1曲目から順に歌ってみたかったのだ。なぜこのアルバムかというと、暫定的に椎名林檎がリリースしたものの中で1番好きなアルバムだったからである。『勝訴ストリップ』が1番の時期もある。

 してみたいけどなかなか実現しないことは結構あって、ボルダリングや和装、「『勝訴ストリップ』のジャケットの椎名林檎」「Tommy february6」「『平凡』をリリースしたころの志磨遼平」になる、などが挙げられる。参考画像もアップしておく。

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 私は変身願望が強いので、こういうしっかりとしたコンセプトの基に成り立っている格好を見ると、つい真似したくなってしまう。自分の顔が嫌いなので、鏡で見ても自分だということが分からないくらい、化粧や仮装をしてみたいと思っている。女装も何回かしたことがあるが、自分を形成している顔が隠されていくような感じがして嬉しい。ガチガチな女装や異装って、みなさんどこでしてるんですかね?

 話題は逸れてしまったが、カラオケボックスに入った。何曲か普通に歌った後、『加爾基 精液 栗ノ花』を1曲目から順に歌っていった。アナログ盤でボーナストラックになっていた『映日紅の花』もしっかり歌った。

 自分の声も嫌いなので、ボイスエフェクト機能の1つであるテクノボイスで加工しながら歌った。自分の声ではないものがスピーカーを通して出てくると少しテンションが上がる。自分である・自分がしているのに、自分ではないように見える・聞こえることに快感を見出しているのかもしれない。そのうち心霊スポットにでも行くのではないだろうかはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた

 一通り歌ったら疲れてしまい、その後は家でゴロゴロしていた。気が向いたら『勝訴ストリップ』を1曲目から順に歌ってみたい。

 

1月18日(土)

 サプリメントが底を尽きたのでドラッグストアに行った。1日に必要な摂取基準量が1粒で摂れると書かれたマルチビタミンを購入する。私は生野菜が苦手なので必然的に栄養が偏りがちになってしまう。シャキシャキ感という概念に対してテンションが上がらないのだ。栄養が摂れている実感は全く無いが、一種のおまじないだと思って飲んでいる。家に飾るだけで1日分の栄養が摂取できる免罪符とか売ってないだろうか。

 サプリメントを買うたびに思うのだが、何費として計上すればいいのだろうか。食費か日用品か。食という感じはしないが、日用品を経口摂取することもない。この疑問に対して政府はどのように回答しているのか、知っている人がいたら教えてほしい。

ドレスコーズ『平凡』

 2017年リリース。志磨遼平による流動的なソロプロジェクト、ドレスコーズの5thアルバム。

平凡【TYPE-B(初回限定盤)】CD+DVD

平凡【TYPE-B(初回限定盤)】CD+DVD

 

 ドレスコーズのアルバムを聴くのはこの作品が初めてなので、それ以前のアルバムがどういった音楽性なのかは分からないということを最初に書き記しておきたい。

 

 このアルバムは『ごくごく近未来の世界で発表されたとあるバンドの作品』というコンセプトで、個性と平凡の価値が逆転した世界観が描かれている。

 個性的であろうとすることで、かえって「個性的である」というテンプレートに嵌め込まれてしまうある種の逆転現象によって、かえって平凡であることのほうが個性として浮き出ていってしまう世界と、その反動としての平凡への希求が歌詞の中で何度も現れる。<平々凡々こそ我らの理想>と高らかに告げる『common式』はその世界観を端的に表している。

 音楽的にはファンクが土台になっている。前に乗り出してくるベースや、歯切れの良いギターのカッティングギターなどが印象的だ。ホーンとともに平凡を高らかに宣言する『common式』、かと思えばすぐさま逆の思想へと歌詞が向かう『平凡アンチ』。Bメロのメロディが民謡的に聴こえる『人民ダンス』、前面に出たスラップベースと歌謡曲チックなストリングスが特徴の『エゴサーチ&デストロイ』、レゲエまで取り込まれた『静物』など、聴きどころは多い。個人的にはバスドラムと重なり続けるギターがサビで解放され、踊り狂う『マイノリティーの神様』が一番好みだった。

 ディストピア的な世界観は、先人たちの多くのアイデアがあるため、このアルバムに収録された曲の歌詞が、そこから一歩先を行っているかは正直分からない。しかし、暗くなりがちなディストピア的世界観にファンクの快楽性を混ぜ込めたのは、結構すごいことなのではないだろうか。

 

 以下は直接アルバムと関係はないが、このアルバムをリリースしたときの志磨遼平が心を揺さぶられるほどに格好いい。

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 2020年はこういう感じになりたい。

 

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