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【一首評】折りたたみ持ってきなっていう声が電車に乗ってから届く耳 /乾遥香

折りたたみ持ってきなっていう声が電車に乗ってから届く耳

乾遥香『ありとあらゆる』(『ねむらない樹 vol.4』、書肆侃侃房、2020.2.1)

 

 雨が降りそうな空模様もしくは天気予報などで雨の予報が出ている中、この歌の主体は出かけようとしている。

 母親・父親のどちらかが、家を出ようとする主体に<折りたたみ持ってきな>と声をかける。しかし主体は気にせずに家を出る。電車に乗ると雨が降ってきて、<折りたたみ持ってきな>と言われたことを思い出す。そんな情景をイメージした。

 折りたたみ傘(ここでは<折りたたみ>と、省略された表現が用いられている)を持っていったほうがいいと家族に言われる、というシーンは実家で暮らしていると時々起こりうる。<折りたたみ>と省略されているのは、初句の5音にあてはめた結果でもありそうだが、物の名前を省略したり別の名前で言ったりする、家族ごとにあるローカルルール的な表現のようにも思える。

 家族の忠告は、確かに聞こえているのだけれど、あまり主体は深刻に捉えていない。そのまま外に出て、駅まで向かう。電車に乗って外で雨が降っているのを見た時に、初めて忠告は<耳>へ届く。この<電車に乗ってから届く耳>という表現がこの歌をより魅力的なものにしていると思う。

 駅へと向かう主体を<折りたたみ持ってきな>という声が追いかけて行って、ようやく電車に乗った時に追いつき、主体が忠告を理解する。本当は家を出る時に耳には届いているのだけれど、その時はまだ音だけが耳に届いただけで、音に含まれた意味は追いついていない。声の音と意味はもしかしたら違うスピードのなのかもしれない、というのは私の考えすぎではあるのだが、そこまで思わせてくれる楽しさがこの歌にはあると思う。