コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ザリガニ釣りは釣りの経験に含めていいのだろうか

5月7日(土)

 友人と秩父に行った。

 生まれてから高校を卒業するまで埼玉に住んではいたが、秩父には行ったことがなかった。理由は行くのに時間がかかるからだ。埼玉は縦移動は容易にできるのだが、横移動は面倒な形になっていると個人的には思っている。どこかに出かけるときに一度も秩父が候補に挙がらなかったことから、おそらく両親もそう思っていたのではないだろうか。

 

 午前7時。いつもなら睡眠の9回表あたりだ。

 駅で友人の車と合流し、3時間ほどかけて秩父へ向かう。話は積み重なったり散らばったりを繰り返しながら、確実に車は目的地へと近づいていく。

 思ったより早く目的地である釣り場に着いた。午前中は渓流釣りをする予定だ。釣りは小学生の時にザリガニ釣りをした以来だ。釣りの経験を問われた時、ザリガニ釣りは含めていいのだろうか。有識者の見解が望まれるところだ。

 受付に行き、手続きを済ませる。エサは虫かイクラを選ぶことができたが、自分が魚の立場だった時を考えてイクラにした。

 

 制限時間は2時間。どうせなら一匹ぐらいは連れたほうが嬉しい。どこを拠点とするかを決めるために川の近くをうろうろし、時々釣り針を投げ入れる。イクラの付け方が甘いのか、いくつも川底に沈んでいった。魚は影すら見えず、もしかしたら魚がいるという情報を皆が信じ込み、何もいない川に向かって釣り糸を垂らしているだけなのかもしれない。

 しばらくして友人から最下流で魚の姿がいくつも見えたという情報を貰い、最下流を拠点とすることにした。行ってみると確かに魚がたくさんいて、釣り針を投げれば投げただけ魚が食いつきそうだった。

 上流に比べてエサに食いついてくるようにはなったが、なかなか釣り上げることができない。ひたすらエサだけを食われてしまい、慈善事業みたいになっている。

 時間はエサとともに少しずつ減っていく。残り40分ほどでエサが底をつきかけ、慌てて受付でイクラを追加購入した。釣り針にイクラを刺す数を増やし、再挑戦する。友人から魚が餌をくわえてもしばらく待った方がいいとアドバイスを受けていたので、手応えがあっても待つ。まだ待つ。

 手応えが大きくなって、多分ここだろうというタイミングで竿を上げる。吊り上げられた魚が右へ左へゆらめきながらこちらへ向かってくる。

 ここから針を外していくのだがなかなか上手くいかない。ぬるぬるとした魚が手の中で暴れ回る感触が生理的嫌悪感を司っている部分にダイレクトに響いてくる。二十数年生きてきて魚に触れるのが苦手だという事実が今判明した。

 友人に手伝ってもらい針をなんとか外すことに成功する。魚を掴んでいた左手を見るとべっとりと血がついていて、血が苦手な自分は反射的に川で手をすすいだ。時々手を強迫的に洗う・洗う真似をするシーンで、人を殺したのかというツッコミがされることがあるが、確か血がついてしまうと大量の水ですすぎたくなる気持ちが分かる。すすぐという行為はさらに昔の記憶へと繋がっていき、小学生の頃に読んだあしたのジョーにも手を強迫的に洗う対戦相手がいたという引き出しが開かれた。

 その後もう1匹釣れたところで、魚の中でいくらに対する関心が薄れてしまったのか、イクラを垂らしても垂らしても食いつくことはなくなった。そのまま残りの時間が過ぎ、2匹でフィニッシュした。

 釣った魚を塩焼きにしてもらい、昼食がてら食べる。塩で白っぽくなっている尻尾を試しにかじってみると、血圧にダイレクトに響く味がした。