潮の目が大好きだから潮の目を追いかけながら釣りをするんで、(釣りをするんで
、)
/谷川由里子『ラベンダー・サンダー 』
https://utatopolska.com/entry/tanka-lavenderthunder/(2021.1.20閲覧)
上から順番に読んでいって最初に立ち止まるのは、釣りが大好きだから潮の目を追いかけるのではなく、<潮の目が大好き>だから<潮の目を追いかけながら釣りをする>というところだ。
潮の目は異なる潮の流れがぶつかり合う場所で、魚が獲れやすいらしい。釣り人にとっても恰好のポイントなのだろう。釣りが好きで色々調べていった結果、潮の目という概念を知り魚を多く釣るために潮の目を追いかけるようになった。という順序ならあまり引っかかりはない。
しかし、主体にはまず<潮の目が大好き>という前提がある。大好きな潮の目を追いかけるほうがメインで、釣りをするのはサブになっている。手段と目的が逆転しているのだ。
立ち止まるポイントはもう一つある。それは、57577の後に入ってくる<(釣りをするんで、)>である。水面の波紋のように、短歌が終わった後も<(釣りをするんで、)>が広がっていくように思える。そういった気持ちになるのは、読点を含めたリフレインであるからだと思う。<釣りをするんで、(釣りをするんで、)>の後も、
((釣りをするんで、))(((釣りをするんで、)))
のように、外の丸括弧を増やしながら続いていきそうだ。
丸括弧がついていることによって、同じ形でリフレインする場合よりも輪郭が淡くなっていく/声が小さくなっていく感覚を覚える。
この歌を読んだ後も、まだ私の中で<釣りをするんで、>が残っている。