コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

まず生活をする必要がある

 お元気ですか?

 

 9月終わりごろに改善されていた生活リズムが、10月になって途端に歪んできている。深夜の2時3時に目が冴えてしまい、意識は上流から急激に流れ込んでくる。こういう時は脳のディープな部分が出て、鬱々とした気分になってしまう。ノートを枕元に置いといて、意識が急激に流れ込んで来たら、暗闇の中でひたすら書いていくと、無意識な文章が書けるのではないだろうか。普段の文章も無意識なものを理想としているので、良いお手本になる気がする。しかし、そういった文章は人前に出していいものなのか。いいものだろう。いいものだよね。私が決めなさい。出す出さないは私の自由なのだから。でも、人前で裸を見られているような、羞恥的な気分になるのではないだろうか。裸の思考を見られるのと、裸そのものを見られるのは、どちらが真に恥ずかしいのでしょうね。

 住んでいるアパートのドアがいつも開いている。朝の8時に見ても、夕方の17時に見ても、深夜3時に見ても、いつも開いている。人が住んでいるかどうかは確認できない。覗いてみたいのだが、あいにく自分の部屋に行くまでの道のりにはその部屋は無い。だから、視界の片隅に入れる事もできない。見ようと決心しない限り、決して開いているドア越しに何があるかは分からないのだ。見に行こうと思えばいつでも見にいける。しかし、ドア越しに何か得体のしれないものが存在して、見に来たやつを殺そうと大きく口を開けて待っているかもしれない。そう思うと、なかなか踏ん切りがつかない。ドア越しに得体のしれないなにかがいるとは言い切れない。しかし、裏を返せば、ドア越しに何もいない、ただの部屋の抜け殻が横たわっているだけなんてことは証明できないのだ。早くドアを閉めてくれれば、何事もなく生活ができるのに、いつまでたってもドアは開いたままだ。おちおち生活もできやしない。

 生活。生命活動の略なのだろうか。よく就活や婚活はやっているという人を見かけるが、生活をやっていると言う人はなかなかいない。まさか、生活は受動的だから、別に言う必要が無いとか思っているんじゃないだろうね。こっちは必死に生活してるんだ。生命が無いから、どうにかこうにかして手に入れようと頑張っているんだ。しかし、就活や婚活とは違って、インターネットには情報も載っていなければ、知人との情報共有もできない。知人は既に生命を手に入れているから、今更する必要もないのかもしれない。手に入れていないのは自分だけか。早く水槽から脳を取り出してほしいのだが、まだ時間がかかるのかもしれない。整理番号もまだ2ケタ台だ。