家に大量の未読本がある。読む量と買う量が釣り合っていないためだ、3000円までだったら「おっ! お買い得じゃん」と思ってつい本やCDを購入してしまう。「本や」と打つと指がキーボードが踏み外して「ほにゃ」と打ってしまう。かわいらしい。
本はその時売っていても、次に来た時には売っていないこともある。個人が発行している冊子ならなおさらだ。文学フリマなどで買いすぎてしまうのは、次に売っているのか分からないため、脳のブレーキが緩くなってしまうためでもある。
今回紹介する同人誌も、去年の文学フリマ後に存在に気づき、ああやってしまったと思っていたところ、今年のゴールデンウィークで開催された文学フリマ東京で何とか見つけたものである。こういう幸運は何回も続くわけではない。
『She Loves The Router』
この冊子は歌人である谷川由里子氏と、堂園昌彦氏が「とにかく好きな人や作品を読みたい人を集めた一回きりの同人誌」というコンセプトで発行されたものである。タイトルは「猫がパソコンのルーターに乗っかっている」様子を描写したTwitterでの呟きが元になっている。
表紙を見ると、何か圧倒されるものがある。猫がルーターに乗っているという微笑ましい光景には有り余るほどのエネルギーだ。ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の表紙を思い出した。
内容は短歌の連作が5つ、評が2つ、冒頭に30首の連作が掲載されている宇都宮敦氏のエッセイが1つである。連作に関しては、一番好きな歌を引用していきたい。
【短歌】
宇都宮敦『この星の夜』
みんなみんな酔っぱらってる明け方にいくつのあかり 誰の呼び捨て
宇都宮さんの連作は歌の中で起こっている出来事の空気感がこちらまで届いていて、どれも読んでいて良かったのだが、その中でもこの歌が一番グッときた。
酔っぱらっている人たちがいて、街のあかりといういくつもある光と、明け方という1つの光が共存する時間帯。そこから聞こえる誰かが誰かにした呼び捨て。四句と五句の間が一字空けしているのは、呼び捨てが酔っぱらったみんなの騒めきから呼び捨てが聞こえて、一瞬騒めきがおさまったことを表しているのだろうか。もう空気感が最高で、酔いも相まって多幸感がにじんでくる。
吉田奈津『戦い』
ふがいない名人ばかりが会いに来る こんなエールがひと夏続く
ふがいない名人って一体何なんだろう? 名人なのにふがいないんだな、名人なのに声に自信がなさそうな気がする。「こんなエールがひと夏続く」ということは、誰かが(おそらく)主体にエールを送るのだけれども、なんか頼りない。励ましの言葉として良いものなんだけど、言う人がなんだかふやふやな感じ。手でつかみきれないけど、妙に腑に落ちる喩えだった。
武田穂佳『小さいおにぎり』
表情がはじめにわからなくなってぐんぐん遠のく白鳥ボート
池を見ていると、白鳥ボートをこいでいる人がいる。その人たちが主体から遠ざかるにつれ、具体的な人間の特徴は消え、肌色と服の色だけになる。その時にはじめにわからなくなる(ぼやける)は確かに表情だよなあと思う。白鳥ボートはあまり早く進まないが、「ぐんぐん遠のく」 という言葉によって、白鳥ボートが具体物から抽象物になり、やがて点になって消えていくような感覚になる。
余談だが、作者が大学短歌バトル大学短歌バトル2018で掲出していた歌がかなりグッときたので、それも引用したい。
生きてさえいれば 無人の円卓のラスクのざらめがはなさぬ光 (大学短歌バトル2018 1回戦中堅戦 題『ラスク』)
堂園昌彦『地図』
君に貸してすぐに返ってきた地図に夢の鉱山を書き加えること
まず、地図に夢の鉱山を書き加えるという行為がひかりを帯びている。すぐに地図が返ってくるということは、目的地をすぐ把握したということだと思うのだが、そこに主体が夢の鉱山を書き加えることで、把握できない目的地が生まれる。最後が「こと」で終わるのも、そのまま歌が通り過ぎずに留まるような効果があるように感じられる。
谷川由里子『夏のクイーン』
公園は すごろくだったら上がりかな 梅雨の晴れ間にあらわれる公園
初句と二句の間に一字空けがある。一見空けなくてもいいように見えるが、空けることによって、主体の沈黙と息づかいが見えてくるように思えたので、個人的にはこの一字空けは成功しているように思える。
「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は雨があがったことで、人々が公園で憩い出す、つまり人々が公園を思い出すことを、「あらわれる」と言ったのだろうか。
公園を「すごろくだったら上がりかな」と言っている主体の中で、「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は辿り着きたい、ひかりのような場所なのかもしれない。
この連作は主体の息づかいが聞こえてくるようで面白かった。主体の息づかいや周りの空気感を感じられる歌は個人的にヒットすることが多い。
【評】
鈴木ちはね『夏のみぎり』
筆者が歌会で出会った歌である、
夏のみぎり あなたにの頭にアロハシャツ投げて10年帰ってこない/谷川由里子
「ラインナップ」(『ヒドゥン・オーサーズ』惑星と口笛ブックス 2017.5.26所収)
について論じている。「夏のみぎり」という言葉に立ち止まった筆者はなぜこの言葉が選ばれたのか、別の言葉に置き換えながら論じている。改作によって得るものと失われるものが提示されているため、丁寧だと感じた。その中で主観的な時間感覚というワードが出てくるのだが、私が感じた主体の息づかいも、歌の中で立ち上がる主観的な時間感覚によるものなのかもしれない。
谷川由里子『感覚の逆襲 歌会でみつけた素晴らしい短歌』
この評では、筆者が歌会で出会った7つの歌について論じられている。筆者は、ある歌に感じたときめきを書き言葉にする際、そのときめきは失われると述べている。それでも、ときめきを不特定の読者に伝えるために書く。ときめきを伝えるときに取りこぼしてしまう何かについては、今年の5月に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会で服部真里子氏が似たような主旨の話をしていた。好きなものから感じ取った良さを伝えるのは嫌いなものから感じ取った嫌さを伝えることの数十倍難しい。
それでも、筆者は歌から感じたときめきを書いていく。難しいとわかっていても書く。私は筆者と話したことはないが、実直なひとなのだろうなと思う。
7つの短歌を紹介されて、私は以下の歌が一番心に残った。
菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら/山階基
(第0回 北赤羽歌会 2017.4.11)
同人誌を読んでみて、谷川氏、堂園氏が好きな人や作品を読みたい人から作品が届いた時に感じたであろうときめきを、こちらも味わうことができた。一回きりのメンバーと銘打ってあるので、続編を望むことはできないが、続編が無いとわかっているからこそ、記憶に残る部分もあるのだろう。
ちなみに、神保町にある古本屋、古書いろどりにて『She Loves The Router』は委託販売されているとのこと。売り切れている可能性もあるため、問い合わせたほうが確実かもしれない。通販も行っている。購入したい方は早めに行動したほうがいいだろう。