コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

箱ⁿ(Remix)

 ある日、玄関のチャイムが鳴った。誰かが家を訪ねてくると連絡は来ていなかった。郵便か宅配便だろうと思い、男がドアを開けると、そこには誰もいなかった。いたずらかと思い、苛立ちはじめる。ドアを閉めようとすると、地面に箱が置いてあるのに気が付いた。箱はいわゆる段ボール箱で、A4用紙がピッタリ入るような大きさだ。

 誰が置いた箱かも分からないので、そのまま放っておこうとも考えたが、一度目についてしまうと気になって仕方がない。男は箱を持ち上げて家の中に運び始めた。

 男は段ボール箱をリビングの床に置いた。差出人も箱の中身も書いていない。一体誰が置いたのだろうか。知り合いであれば名乗り出ていいはずだ。名乗りもせずに帰ってしまったのだ、何か後ろめたいものでもあったのだろうか。

 例えば、誰かがペットを飼っていたが、家庭の事情で手放さなければならなくなった。どこかの路上に放置するのは野ざらしに等しい行為だ。心が痛む。それならば、誰かの家の前においておけば、その家の人物にも責任が発生する。いわば共犯関係のようなものだ。

 なんてことだ。実に身勝手な輩である。男は怒りをどこかにぶつけようとした。しかし、これはあくまでも男の想像であり、まだ箱は開けていないのだから、真実かどうかも怪しい。男はとりあえず、怒りを一時的に引き出しにしまっておくことにした。また別の機会に開けることだろう。

 他の線も考えてみよう。ネットサーフィンをしているときに、ある人物が通りすがりの人物に何かが入った手提げ袋を貰ったという話を見た。その人物は不審に思い、近くのコンビニに袋を捨てたのだが、後にその袋の中身をヤクザが必死に探していたことを知る。つまり、危ない代物だったのだ。

 ついに俺の身にも読み物のような災難が降ってきたのか。とにかくすぐ逃げられる準備をしなければならない。

 男は押し入れからボストンバッグを取り出したが、まだヤクザが探している代物だと決まったわけではないし、それらしき人物も家には来ていない。とりあえず、箱の中身を特定させて、違法な代物であることが分かってから夜逃げすることにしよう。

 何か手がかりが掴めないものかと、とりあえず箱を振ってみる。何も音はしない。箱の中身がかなり詰まっているのだろうか。しかし、重さはあまり感じられない。手がかりが掴めるどころか、さらに謎は深まってしまった。

 結局、箱を開けてみないと正体はつかめなかった。

 男は意を決して、箱を開けてみることにした。箱を開けた瞬間爆発、箱を開けた瞬間に生き物が襲い掛かってくる、なんてこともありえなくはないので、とりあえず近くにあった文庫本で顔を守ることにした。直接顔面に攻撃を受けるよりはいくらかマシだろう。

 男は箱に手をかけた。手は小刻みに震えていた。震えをごまかすように一気に開く。中身が露わになった。箱の中には、ミニチュアの男の部屋と箱を開けた男、そして同じ形をした小さい箱があった。小さい箱には更に小さい男の部屋と箱を開けた男、そして同じ形をしたとても小さな箱があった。

 男は安堵と困惑が混ぜこぜになったため息をついた。しばらく男は動かなかったが、やがて箱に対する好奇心が湧くのを感じた。触ったらどうなるのだろう。男は箱の中にいる小さな男をつまみあげてみた。

 それと同時に、部屋の中に大きな手が現れた。手は男の腰のあたりをつまんで持ち上げた。男は驚きのあまり、体を強張らせた。どうすればこの手から逃げられるのか。男は体に力をこめ、もがいた。掴んでいる小さな男を忘れて。

 男は持てる限りの力を体にこめた。手にも力が入る。

 ブチッという音とともに、小さな男の体がちぎれた。同時に、男は潰されたカエルのような声を出して動かなくなった。大きな手も力が抜け、2つになった男は床にたたきつけられた。

箱ⁿ

 ある日、玄関のチャイムが鳴った。男がドアを開けると、誰もいない代わりに箱が置いてあった。箱はいわゆる段ボール箱で、A4用紙がピッタリ入るような大きさであった。

 男は段ボール箱をリビングの床に置いた。差出人も箱の中身も書いていない。一体誰が置いたのだろうか。知り合いであれば名乗り出ていいはずだ。名乗りもせずに帰ってしまったのだ、何か後ろめたいものでもあったのだろうか。

 匿名性には悪意がこめられている。自らの名前ではできない行為を匿名性という人形に託し、願いを成就させるのだ。自らの身代わりと言っていいのかもしれない。匿名性の人形はそこかしこを暴れまわる。住民は人形の行いに批判をするが、仮に批判されたとしても、身代わりが行ったことであり、自らがやったことではない。

 箱に入ったものも、名前がどこかに明記していなければ、匿名性を帯びているに等しい。冷たい目で睨んでいる獣が、箱を開けた途端首元を喰いちぎることもある。この箱の中身については何も書かれていない。もはや首元に牙を突き付けられているのと同じだ。獣の生暖かい息が首元を這うように顔へと上がってくる。

 獣の息を振り散らすように箱を振ってみる。何も音はしない。振るたびに無音が部屋中に鳴り響く。冬にしては薄い服を着た心を、冷たい風の吹きすさぶ街が歩いている。街は確かに存在するのだが、輪郭だけで、情報を認識できない。どんな店、どんな家なのか、屋根の色は何色なのか、車の形、宣伝色で塗りこめられた看板、歩いても歩いても情報は目に飛び込んでこない。何もかもが輪郭だけになっていた。

 音はしないが、確かな重量は腕にひしひしと感じられたので、中身が空というわけではなさそうだった。音もしないほど中身が詰まっているのだろうか。それとも箱そのものが重要なのかもしれない。

 我々は箱を見ると中身が入っているはずで、その中身こそが重要な物であると錯覚してしまう。箱そのものが重要な物であるにもかかわらずだ。灯台の根元と何ら変わらない。箱はカモフラージュの役目を強いられているのだ。

 箱には何かを隠す力が備わっているが、何かを守る力も備わっている。箱がシェルターのようなはたらきをしてくれるのだ。自らが攻撃を受けるより、箱越しに攻撃を受けたほうが痛みはずっと少ない。地球も一種の箱といえる。宇宙からの攻撃をを地球という箱である程度遮断しているのだ。

 結局、箱を開けてみないと正体はつかめなかった。生きている毒ガスか死んでいる毒ガスか、男は賭けをするしかなかったのだ。賭ける対象は箱だとしても、開けた場合と開けなかった場合に起こりうる、良い結末に関する配当金は分からない。濃霧の中で競馬を見るような気持ちにさせられた。

 男は意を決して箱を開けてみることにした。顔を近くにあったビニール袋で隠し、飾りだけの防御の姿勢をとった。何も備えずに戦場を走るより、銃撃を受ければ何の役にも立たない防寒具を着ているほうが、たとえ蜂の巣になったとしても、心もちは穏やかになるのだ。

 箱に手をかけた。手は小刻みに震えていた。そして一気に開けた。箱の中には男の部屋とその中で箱を開けた男、そして同じ形をした小さい箱があった。箱の中身は3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749445923078164062862089986280348253421170679821480865132823066470938446095505822317253594081284811174502......

読書感想文その10

 読書感想文を最近書いていないことに気付く。読書もあまりペースが上がっていないことに気付く。この世は目標の作成と断念の繰り返しである。ちゃんと再起動しなければならない。定期的に書いていきたい。世の中にならないためにも。

 今回は最近読んだ2冊を紹介する。前に読んだものはまた後で。また後が実際に来るかどうかは未来の私に聞かないと分からない。

 

『ニッポンの刑務所』外山ひとみ

 人は法を犯すと、刑務所に入る場合がある。刑務所の中での暮らしは普通に生きているとなかなか分からない。いつ起きていつ寝ているのか、どんなものを食べているのか、自由に過ごせる時間はあるのかなどといった疑問点が浮かび上がってくる。そういう人々の好奇心を満たすために、刑務所の中での暮らしについて、様々な人がルポ、エッセイという形で残している。刑務所の中を舞台にしたドラマも存在する。

 この本は、そうした刑務所の中の暮らしを題材にしたルポである。

 男子刑務所、女子刑務所、少年刑務所、少年院、官民協働の刑務所など、様々な刑務所に著者は取材を行い、暮らしぶりや問題点などが載っている。こうして並べてみると、様々な刑務所が存在するのだなと思う。クイズ番組で「日本にある刑務所を5つあげなさい」と司会に言われても正解するのは難しそうだ。そのままタイムアップになり、司会に「走って!」と促され、隣で解答権を得るためにルームランナーをひたすら走らされるパートナーはかわいそうである。

 暮らしぶりを見ていると、社会が変わっていくのと同じように、刑務所の中も変化していることが分かる。特に、刑務所内での貧富の差というものは興味深かった。そういえば、そこそこお金を持っている状態で逮捕された著名人は、釈放された後に刑務所暮らしについて語るとき、過酷な生活というよりは、体当たりレポートのような話し方をするように見える。刑務所の中でも外での所得があるものは、刑務所内である程度のものを購入できるので、ダメージも少ないのかもしれない。

 他にも問題点として、過剰収容について述べられている。一時期よりは収容率は減少したものの、依然として刑務所内は高い収容率で推移している。その結果、受刑者と刑務官両方がそれぞれ不満を抱えている。

 様々な刑務所での暮らしが分かり、刑務官の人にもスポットをあてている。また、刑務所が抱える問題点もわかる。刑務所について知りたいという人にはおすすめの本だと思う。

 

『はじめての言語ゲーム橋爪大三郎

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 「言語ゲーム」という単語だけ聞くと、何か言葉遊びめいたもの、もしくは言語を使ったゲーム(しりとり・たほいやなど)を想像するかもしれない。

 実際の言語ゲームは、ヴィトゲンシュタインという人物が『哲学探究』という本で挙げている考え方の1つである。『はじめての言語ゲーム』の中に書いてある定義を示しておく。

 

言語ゲーム:規則(ルール)に従った、人々のふるまい

 

 定義だけ聞くと、あまり言語と関係がないように見える。言語ゲームは言語に対する考え方というより、世界に対する考え方と言ったほうが正しいのかもしれない。

 この言語ゲームを中心に、ヴィトゲンシュタインの半生と、様々な人物が生み出した言語ゲーム(のようなもの)を紹介したものがこの本の内容である。

 哲学に関する本は難しいと思われがちである。実際難しい本も多数存在し、私自身、読んでみたがさっぱり分からないものもあった。しかし、この本はやわらかい文体で書かれているため、文体の堅苦しさでやられてしまうことはない。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を説明する場面や『言語ゲーム』に関する説明で難しい箇所がところどころあるものの、おおむねわかりやすい解説となっている。

 哲学関連の本はとりあえず読んでみるか、となりにくいように思える。「読んでやるぞ!」とポーズをとらないと、頭に入ってこないような気がするからだ。この本は、家でゴロゴロしながら読む本としては向いていないかもしれないが、図書館などで背筋を正して読む本でもない。哲学関連の本として、この本は堅苦しすぎずくだけすぎない、ちょうどいい位置にいる本ではないだろうか。

 

 終わりです。

箱⁴

「ミカちゃん誕生日おめでとう。プレゼントだよ」
「ありがとうおじいちゃん!! ねえ、開けてもいい?」
「もちろん」
 ミカはラッピングされた箱を開け始めた。
「あれ、ただの箱?」
「取っ手を引いてみなさい」
 ミカが箱に付いた取っ手を引くと、中から小さなウサギの家族たちのぬいぐるみと、ミニチュアのリビングが現れた。
「すごーい! おじいちゃんありがとう!!」
「どういたしまして」

 

「ほらニョポロン。プレゼントだよ」
「え? いいの!?」
「いいんだよ。開けてごらん」
 ニョポロンは包装された箱をベリベリと剥き始めた。
「箱?」
「取っ手を引いてごらん」
 ニョポロンが取っ手を引くと、中から人間たちの家族とリビングが現れた。
「うわあ! これ本物!?」
「本物の人間だよ」
「ありがとうおばあちゃん!!」
「いいんだよ別に」

 

「ほらヌチャウペャウ。パラレコンモをあげよう」
「マジで!? 貰っていいの?」
「そうさ。今日はヌチャウペャウのレロリメフだから特別じゃよ」
 ヌチャウペャウはパラレコンモを包んでいるメロングを破いた。
「ただのヌシャッペじゃないか!」
「違う違う。そこのテグルブイを引くんじゃよ」
 ヌチャウペャウがテグルブイを引くと、中からバロンド人のマロウとガーンパルイが現れた。
「すげえ!! アルリリのバロンド人だ!!」
 ヌチャウペャウがバロンド人の1人をつまみ上げ、思い切り力を込めた。
 バロンド人はプチッという音とともに潰れてしまった。
「あまり乱暴にせんようにな」
「分かってるよシャランパ」

 

「シャクレイマロンガラウ。ショジルブヌヌペロゥ」
「ツーッシグロ!?」
「ンヌメモロッジヴォ。ベロメメンジ」
 マロンガラウギギギレクテロウロウチャクラン。
「パーウーフ?」
「パーワーフ。ロンピミムニャロヲ」
 マロンガラウペッティィウ、メロイドセリンヌミロンポ、チクラウネブトリンガ。
「ミロンポミロンポ!!」
「メボンヌショーン

Several Seven

【木曜日】

 秋雨はしとしとしとしとと降り続いている。白線も連日の雨で、溶けだしてきている。横断歩道は白と灰色が混ざり合ってもう原型をとどめていない。それらはスープになっているような気がした。私はアパートからコップを持ちだして、横断歩道を渡る時に道路のへこんだ部分にできた水たまりを掬ってみる。灰色の水がコップを半分ほど満たした。コップの外に雨がくっついた。雨と水たまりの水に覆われたコップは水の星に1番ふさわしいものになった。

 自宅に帰る途中に手から砂を吹きだし続けている女子中学生に出会う。彼女は砂を出していることに気づいていないのか、それとも気にしていないのかは分からないけれど、真っすぐどこかに向かっている。それは今まで見た事のなかった足取りで、まるでどこか別の星に帰っていくように思えた。砂は雨に濡れて黒く変色している。私は砂を手で掴んでみる。何の変哲もない砂だった。彼女も手から砂を出していて、足取りが別の星から来たように見える以外は普通の少女だった。

 この世は全て普通だ。皆が皆普通に生きている。けれど、私たちは普通であることを嫌がってしまう。誰もが理想の普通を求めて日々を自由形で泳いでいく。変人と言われた人々は、とうの昔に絶滅してしまって、今はどこかの博物館に展示されているらしい。自らを変人という人は時々現れるが、みな風に巻き込まれて消えて行ってしまう。そうして吹き飛ばされた自称変人が、どこかの山に落ちていき、芽を出し、成長していって、春になると綺麗な花を咲かせるらしい。

 家に帰ってコップの水に、ひとつまみ持ってきた砂を混ぜてみる。砂はコップの中でぐるぐると回り、やがて沈殿していった。

 砂が沈殿しきったのを見てからコップの水を飲み干す。横断歩道と砂が混じり合った味だ。昔、どこかのレストランでこれと同じ味の水を飲んだことがあった。

 しばらく部屋の中でまどろんでいると、座布団が砂でまみれていることに気づく。手を見ると砂が次々と出ている。何の痛みもかゆみもないから確かに気づくのは遅くなるし、気が付いたとしても気にとめないのかもしれない。

 座布団の砂を払おうと、窓を開ける。座布団が雨で湿ってしまう前に手早く砂を落とす。窓の外では2人の男がゴドーを待っていた。傘も差さないから雨を避けることもできない。再び窓を閉め、まどろむことにした。

 ガタガタという音で目が覚め、窓を開けてみると、男はいなくなっていた。遅く来たゴミ収集車に回収されていったらしい。

 

【金曜日】

 一週間近く天気は悪いままである。遠くに行く用事があったため電車に乗った。

 東京に向かっていくと、時々日が差すようになった。雨も止んでいるらしい。そのためだろうか、電車から降りる時に傘を忘れる人がしばしばいた。

 傘はどこに向かうのだろう。

 誰にも所持されていない状態の傘は、帰属意識を持つことはできない。ビニール傘はぞんざいに扱われる傾向があり、もともと帰属意識が薄いとのことだが、普通の傘はどこかの家に属している。

 傘は雨が降った時に使うものだ。傘を差さなければ、雨に濡れ続けることになる。雨に濡れることを良しとする人はあまり存在しないように思える。無くてはならない、と言うと言い過ぎかもしれないが、できれば持っておきたい道具だ。

 しかし、傘はよく忘れ去られる。私たちは傘を忘れたという事実に、うろたえることは少ない。

 財布やスマートフォンを忘れた時、私たちはうろたえる。どうにか探そうとする。思い当たる場所に行き、思い当たるところに電話を掛けたり、忘れ物はなかったかと尋ねる。でも傘の場合はその手順が雑になる。

 使う時と使わない時が明確になっている物は、忘れてもあまり気にしないのではないか。本当に忘れたら困るものは、ダラダラと使い続けているものなのではないか。適当に使っているうちに自分と物が同化していくから、忘れてしまうと自分の一部分まで忘れてしまう気がするのだろう。

 電車が次の目的地を告げる。

「次はカサステ、カサステ」

 そんな駅は目的地に行くまでにあったっけ、などと考えているうちに電車は駅に着く。ドアが開くと、忘れられた傘は一斉に降りて行った。私もなんだかここで降りなければいけないような気になって、後に続いてホームへ降りた。

 傘は改札を通って、東口を出ていく。そのまま住宅街を通りぬけ、高台になっている場所へと進んでいく。駅から20分ほど歩いて、ようやく高台まで辿り着いた。

 町を一望できる、なかなか良い高台だ。住宅街がタッパーに詰め込まれたご飯のようにひしめきあい、わずかな隙間に緑が押し込まれている。遠くには海も見える。傘は高台の柵を通りぬけ、下へと飛び降りて行った。

 ここが忘れ去られた傘の帰る場所なのだろうか。下は緑に囲まれてハッキリ見えなかった。もっとよく見ようと柵に乗り出した瞬間、体が軽くなり、そのまま落ちてしまった。

 落ちて行く間に私の体は傘に変わっていった。落ちた先がどんな場所なのか、まだはっきりとしなかった。

 

【火曜日】

 四角錘の中で、癖毛の長髪に眼鏡をかけた男がシタールを弾いている。三角錐の頂点には液晶テレビが置いてあり、画面からは光を放っている。男の服は世界中の要素を少しずつもちながら、どの国にも当てはまらない民族衣装のようだ。

 男の前では、深さがありすぎて目まで隠れてしまっている赤い帽子をかぶった4人の女が踊っている。

 突如液晶画面から男が映し出される。男はレストランのテーブルに座っていて、そこにはワイングラスが置かれている。男の後ろには2つの穴が開いていて、その穴からハイヒールに網タイツを履いた女の脚が伸びている。女の脚はひたすらに動き、男にぶつかったり、ワイングラスを倒したりしている。

 中国人のように見える女が画面下から現れ、無表情で手拍子を打ち、画面下に引っ込む。

 女の脚はテーブルで地団駄を踏んでいる。そのたびに太ももが揺れ動く。

 今度は耳まで金髪で隠れている男が画面下から現れ、先ほどのように無表情で手拍子を打ち、画面下に引っ込んでいく。

 画面は切り替わり、中国人に見える女がトランペットを吹いている。女は男と同じような民族衣装を着ている。後ろでは4人の女がモノトーンの箱をかぶって踊っている。

 トランペットを吹く女は途中でピタリと動かなくなり、4人の女はムーンウォークをしながら後ろに下がっていく。

 少し下がった先には先ほどの金髪の男がいて、ベースを弾いている。箱を被った女は8人に増える。女たちは踊りながら箱を脱ぎ捨てる。しかし、まだ目まで隠れる赤い帽子を被っているため、顔は分からない。

 画面は90度右に回転した癖毛の男のアップに切り替わる。液晶を目が隠れる赤い帽子をかぶった3人の女が持ち上げ、90度左に回転させていく。その前で赤い帽子をかぶった2人の女が腕を大きく振り回している。男が視線を下に向ける。2人の女は前方転回をしている。

 再び画面が切り替わる。中国人風の女がトランペットを吹き、その横で2人立ちの獅子舞が踊っている。時々獅子舞は口を開け、そこから癖毛の男が顔を出し「ヨイショ!」「アソーレ!」と叫ぶ。

 獅子舞の後ろを担当していた男が外に出る。ベースを弾いていた金髪の男だった。金髪の男は仮面をしているため、顔が分からない。

 癖毛の男が「ガッテンダ!」と叫ぶと、獅子舞の口が液晶画面になり、そこに「ガッテンダ」と映しだされる。

 画面が切り替わり、赤帽子の4人の女が猫背になって歩きながら......

 

【水曜日】

  じゃんけんに新しい選択肢が追加されました。長らく3種類の手で行われてきたじゃんけんの大きなルール変更は様々な議論と犬を呼びそうです。犬はワンワンとバウバウの2種類の鳴きかたをします。レトルトカレーには、沢山の種類が存在していますが、カレー味という点では統一しています。

 彼は昼過ぎに起きました。外に出ないと何かをしくじってしまった気がするので、とりあえず昼食でも買いに行こうと家から出て、アパートの駐輪場に向かうと綿棒が落ちているのを見つけました。外は昨日の夜から今日の夕方まで雨が降っていて、外にある様々なものは濡れていました。綿棒も例に漏れず、濡れていました。

 水分を沢山含んだ綿棒は膨らんでいました。彼は身をかがめて尋ねました。

「普段綿棒は家の中にいるじゃないか。おそらく外に出るのは初めてだろ? 外に出た気分はどうだい?」 

 綿棒は答えません。

「僕は今まで何回も外に出たし、今も外にいるし、これから何千回も外に出ることになる。もう初めて外に出た時の気分は思い出せないよ。でも君は初めて外に出たろ? どういう気分なんだい?」

 綿棒は答えません。

「答えたくない時もあるよな。気持ちの整理がついていないのかもしれない。じゃあ、はいかいいえで答えられる質問にしようか。外に出て良い気分だと思う?」

 綿棒はやはり答えません。当たり前です。綿棒は無機物なので話せないのです。最近はロボットやスマートフォンなど、無機物でも話せるようになりましたが、綿棒はまだ話せません。 綿棒が話せるようになるまで、あと何年かかるのでしょうか? そして綿棒が話せるようになった時、未来はどんなふうになっているのでしょうか?

 いくら待っても綿棒が答えてくれないので、彼は自転車にまたがり、敷地の外に出ました。敷地と外の境界線あたりには、「駐車禁止」と書かれた赤のカラーコーンが置いてありました。しかし、駐の部分が欠けていて、どうみても「車禁止」としか読めません。彼を含む我々は駐車禁止を沢山見かけているから、なんとなく予想がつきますが、駐車禁止と触れ合った事のない人は分からないかもしれません。

「駐はどこに行ったんだい?」

 彼はカラーコーンに尋ねました。やはりカラーコーンは答えません。

 彼はあきらめ、自転車でコンビニへと向かいました。コンビニに入り、飲み物とおにぎりを選び、レジに並びました。

 レジでは駐が会計をしていました。駐はコーヒーとドーナツを買っていました。甘いものが好きなのかもしれません。

 

【月曜日】

 家にいるとなかなか作業に集中できない。家はご飯を食べたり寝たり起きたりする場所である。そのため、作業をする場所というよりはくつろぐとしての意味合いが私の中では強い。家で作業をしようと決意しても、すぐに眠くなってしまう。

 地べたに座るのもよくない。私の家にはテーブルと座布団とビーズクッションとその他もろもろが存在するだけなので机に向かって作業ができない。ご飯を食べるのと同じ格好と場所で作業をすることになるし、すぐ横になることもできる。ゴロゴロ状態にすぐトランスフォームできてしまうのは作業の進捗を妨げる要因の1つである。

 喫茶店やファミレスで作業をするのもいいのかもしれないが、私の家の周りにはそれらの店がない。なぜかラーメン屋ばかりである。喫茶店やファミレスを作れば結構人が入るのではないかと思うが、増えるのはラーメン屋のみである。何が私の住んでいる土地にラーメン屋を引き寄せるのだろうか。

 私の住んでいる場所は地方都市だ。正直これといった特徴はない。国道にはたくさんのチェーン店が連なり、少し細い道に入ると住宅街ばかりになる。どこにでもある光景だ。ほかの地方都市と違うのは、元ヤクルトのユウイチにそっくりな人がいるというところだが、最近見かけないので、唯一の特徴がなくなってしまった。

 入り浸れる店がないこの地方都市(熱心に入り浸れる場所を探していない自分が悪いのかもしれないが)で、私が作業を行う場所はもっぱら図書館だ。ある程度の秩序があるので、集中して作業を行うことができる。ついでに本を読むのにも快適だ(図書館は本来、本を借りたり、読んだりする場所であるらしいですよ)。

 私は積極的に窓際の席を利用するのだが、窓にはブラインドがついていて、その近くに紐がぶら下がっている。これは自殺用の紐だ。図書館の秩序に耐えられなくなった人間が自らシャットダウンできるように付けられているのだ。社会の秩序に耐えられなくなった人間は死にたくなるが、膨大なエネルギーがかかる。図書館のシステムを見習ってほしい。

 私も先日利用してみた。ぶらさがっている紐を首にかけると一気に上へと引っ張られ首吊りが完成することになる。天井近くから見る図書館は意外にも迫力があり、絶景である。

 良いことずくめのこの紐の唯一の欠点は、たまに死ねないことだろう。私はぶら下がった状態で3日過ごしている。もはや図書館の飾りの一部だ。この文章はポケットに入っていたスマートフォンを使って書いている。文明が生み出した利器は素晴らしい。

 

【火曜日】

「詠うフランケンシュタイン

 充電を空に投げ出す禁煙席ハンドソープより生きていたい

 コーヒーに諸行無常を2杯入れスカートを気にせずうたうきみ

 空白の歩行者信号メイドインセブンイレブンメメントモリ

 気まぐれに天動説を肯定し月光から月光へと走る

 真夜中のメトロポリスでゴドー待つ体育委員を引き受けたまま

 キャンディを吹き飛ばす電車の中で気まぐれなさよならを見る

 傘を閉じ積乱雲をごみ箱に捨てる 現代文75点

  ポケットの中身は何もわからないあなたをすべて知っているのに

 この席は終日禁煙となります私終日高橋麻由美

  フランケンシュタインの志望校よ合格通知を気にせず眠れ

 

【水曜日】

  この手紙がちゃんと文字という形で残るかはわからない。細心の注意を払って日本列島から離れ、今は船の中でこの手紙を書いている。文字は船の中に持ち込まないように何度も確認をしたし、船の中にあった文字はすべて削り取って燃やした。ウイルスが入る余地は無かったはずだ。

 これを読んでいる誰かに向けて、今日本で起こっている大規模な災害を伝えたい。この手紙は瓶に詰めて海に流すつもりだ。海外に流れ着いてくれることを祈っている。まだ飛行機という手段があったのだが、ウイルスを世界にばらまいてしまう危険性を考えるとかなりリスキーな話だ。まだウイルスは発症して間もないし、政府は日本語にしか感染しないと言っているが、いつ突然変異したり、パンデミックを起こしたりするか誰にもわからない。今までにない病気なんだ。俺は早く空港を閉鎖してほしいと考えているが、そうなる気配はないし、俺には何の権力もない。

 他の言語まで感染するようになってしまえば、日本はおろか世界の文化はずたずたに壊されてしまう。特に文学はなかったことになってしまうかもしれない。日本人の中には文学なんて何の役にもたたない研究だと言っている奴もいるが、役に立つ立たないですべてが決まってしまうのなら、人間は今までの行いから見て何にも地球の役に立っていないのだから全員死ぬのが正しくなってしまう。

 私は日本に生まれてきたのだから、日本の文化を守りたいと考えている。文化は絶えず変わり続けるが、変わり続けた過程も文化の一部だ。

 話が脱線してしまった。日本語を書けるだけ書こうと思っているからかなり回りくどい文章になってしまっている。これを読んでいる誰かには申し訳ない。日本で何が起こっているのかを真っ先に書かなければならないことは重々承知しているのだけれども。

 今、日本から漢字・ひらがな・カタカナなどの文字が消えようとしている。これだけ聞いても何を言っているのか分からないだろう。しかしこれは紛れもない事実だし、何も脚色していない。

 読んでいる誰かは、どうしてそのような事態が起こったのか知りたいと思う。日本から文字が消えてしまう原因を、今から書き記す。おそらく理解できないと思う。俺も全然理解できていない。多分日本人は誰一人として理解していない。大丈夫だ。

 日本では、『君の名は。』という映画が上映されている。その映画の「。」の部分がほかの日本語を食らいつくしているのだ。日本の映画館では『君の名は。』はとっくに浸食されて、『。。。。。』になってしまっている。

 意味が分からないだろう。俺だって分からない。

(ココマデ)

現代の「シュール」を定義する

 私の趣味の1つとして、シュールとは何か考える事が挙げられる。

 1年ほど前、シュールについてブログで言及した。

komugikokomeko.hatenablog.com

 1年間は人生の中だと大した変化もないように感じるが、思考という側面から考えると、かなり変化している。私は他のものからの影響をかなり受けやすい性格なので、本や記事を読むだけで思考が変化してしまう。これは文体にも言えることで、読んで感銘を受けた小説と次に書く文体が似てしまうことがしばしばある。同じような文体を目指すのであれば、感銘を受けた小説が1番良いものになってしまうので、できるのは劣化版になってしまう。文体や個性を確立させるのはかなり難しい。

 シュールに関しても、1年間で考え方がある程度変化した。今回は2016年9月現在の、私のシュールに関する考え方を書いていく事にする。たぶん来年、同じようなテーマでブログを書くと、かなり違ったものになると思う。

 

 まず、シュールの由来である、シュルレアリスムについて簡単に説明しておく。シュルレアリスムは、1924年アンドレ・ブルトンという人物が『シュルレアリスム宣言』において定義している。

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 以下に『シュルレアリスム宣言』からシュルレアリスムの定義を引用しておく。

 

「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」

 

 理性や常識、規則によって抑圧された心の内部(無意識と置きかえていいのかもしれない)を表現しようとするのがシュルレアリスムである。

 対して、シュールはどういう意味なのだろうか。三省堂辞書サイトの『10分で分かる「シュール」』を引用する。

 

「超現実的な、不条理な、奇抜な、難解な様子」

 

 では、超現実的とはどういう意味なのか、調べてみると「シュルレアリスム」について多数ヒットした。これだと、シュルレアリスム」とシュールは同じように見える。しかし、根本的な所でシュルレアリスムとシュールは違う。シュルレアリスムは能動的で、シュールは受動的だ。

 シュルレアリスムは思想活動や芸術運動の一種である。心の内部を理性などから解き放ち、表現しようとする試み、いわば一種の実験だ。

 対するシュールは評価である。漫画やコントを「シュールな笑い」などと評する場面は多く見られる。

 シュルレアリスムアンドレ・ブルトンなどが起こした運動と活動であり、能動的な意味をもつ言葉である。しかしシュールは他の人からの評価として与えられる場合が多く、作り手からすれば受動的な意味をもつ言葉である。あまり自らの持ち味をシュールという人はいないように思われる。

 私は、シュールという言葉を、シュルレアリスムの延長線上にとらえることは混乱を生じさせる原因になるのではないかと考える。

 

 では、シュールとはどういう意味なのか、三省堂辞書サイトも定義を載せているが、私も定義してみたいと思う。

 

「シュールとは、受け手の理解、常識を超えていること」

 

 今の使われ方に合わせるとこういう定義になるのではと思う。

 辞書サイトのように超現実という言葉を使ってしまうと、あくまで現実の延長線上であることを念頭に入れなければならない。コントの場合、動くのは基本的に作り手自身なので、どんな設定にしても現実の延長線上になる。人間の行動には限界があるからだ。

 しかし、漫画の場合動くのはキャラクターだ。行動に限界はないし、設定もコント以上に自由自在だ。例えば、地獄を舞台にしたギャグ漫画があった場合、それはもう現実的の延長線上にあるものではなくなる。そうなると超現実的という言葉を使うのは適切でない。

 そこで、現実という言葉を無視する。もともとシュール(シュル)という言葉だけでは「超える」という意味しかないのでこちらのほうが適切だと思う。受け手の理解や常識を超えている時にシュールと言えばいいのだ。この定義にすれば、地獄を舞台にしたギャグ漫画を読む前に、「地獄という舞台だから、ギャグ漫画ってことはないだろう」「地獄を舞台にした漫画ってグロそう」と思って読み、受け手の理解や常識を超えている時に心置きなくシュールと叫ぶことができる。

 

 私自身は、何かに対して感想・評価を述べる時にシュールという言葉を使いたくない。他にもっと良い言い方があるのではないかと思うからだ。しかし、シュールという言葉はあまりにも世間に浸透しすぎている。コントや漫画がちょっと変な設定だととたんにシュール、ネット上にも「シュールな画像」という単語がそこかしこに存在する。シュールの使用消極派の私も、いつ感想・評価を述べる言葉が思い浮かばず、シュールといってしまうかもわからない。シュールという言葉をシュールという単語に折り合いをつけるために今回、せめて定義だけはしっかりさせたいとおもい、この記事を書いた。シュールということばをこれからもできるだけ使わないようにするために、様々な知識を吸収し、理解や常識の範囲を広げていきたいと私は思う。

 

追伸

 いつ頃からシュールという言葉が使われ始めたのか、私は気になっています。しかし、探し方が悪いのかそのことについて言及されている本や論文を見たことがありません。Wikipediaには、「1970年代前後に「シュール」が日本の広告媒体で頻繁に使用された例がある」と書かれていますが、例が見つかりません。シュールの使用時期について書かれた記事・本・論文を知っている方は、何らかの方法でご一報いただければ幸いです。よろしくお願いします。

好きなアルバム紹介その6『イルボン2000』

 25年間以上活動していて、ある程度知名度のあるアーティストは少ない。全く話を聞かなくなったり、解散や休止してしまう事が多いからだ。星よりも多い数いるかもしれないアーティスト・バンドの中で、長年活動してしかも知名度を得ることができる人々はごく少数だ。

 今回は25年以上活動して、知名度のあるユニットのアルバムを紹介する。電気グルーヴの『イルボン2000』だ。

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 電気グルーヴについて簡単に説明しておく。作曲・歌担当の石野卓球と、瀧担当のピエール瀧からなるユニットだ。以前にはCMJK(プロデュース業で活躍しているらしい。あまりCMJK氏については詳しくないので説明ができない)や砂原良徳(現在は元YMOの高橋幸弘が結成した『METAFIVE』というグループで活躍中)が所属していた。

 石野卓球は今年ソロアルバムをリリースし、DJも積極的に行っている。ピエール瀧は俳優業や静岡のローカル番組で活躍している。まさに、キャラ立ちがしっかりしていてかつ被らない奇跡的なユニットである。

 アルバム紹介にうつって行こう。『イルボン2000』はライブアルバムである。しかし、ライブの音声をそのままCDに移したものではなく、ボーカル音声にエフェクトをかけている(例えば『フラッシュバックJ-popカウントダウン』という曲では「ギ」という声がしつこいくらいに繰り返される)ので、純粋なライブアルバムではない。

 曲は、このアルバムが出る前にリリースされた『VOXXX』というアルバムを中心にしている。そこに電気グルーヴで一番知名度が高い曲である『シャングリラ』や、『電気ビリビリ』『富士山』などの人気曲や他アルバムの曲が入っている。

 このアルバムの特徴は前述した声のエフェクトと、全体的にテンポが速いということである。1つめの特徴について例をあげると、『キラーポマト』ではピエール瀧のボーカルが加工されまくっているし、『電気ビリビリ』ではかなり声がカットアップ(音源の断片を曲に挿入して編集する手法)されている。あと、エフェクトは関係ないが『ヴォルケイニック ドラムビーツ』は元の歌詞を無視してひたすら「イルボン(韓国語で日本)」「アボジ(韓国語でお父さん)」と連呼している。

 2つ目の特徴を1番実感できるのは『シャングリラ』だろう。テンポが速くなったため、勢いをつけて曲が耳に飛び込んでくる。全体的に見ても原曲よりテンポが速い曲が多い。

 勢い。このアルバムの良い所はライブの「勢い」をそのまま詰め込んだところだと思う。おかげでかなりテンションが上がるアルバムになっている。曲間の無音部分が無いことも勢いを最初から最後まで持続させるのに一役買っている。勢いが各駅停車せず、最初から終点まで駆けて行く。なかなかそういったアルバムは少ないので、テンションを上げるときに頻繁に活用している。

 このアルバムを聴いていると、電気グルーヴのライブはかなり楽しいんだろうなと思う。今までライブというものに行った事がないので、実際のライブがどういうものかは想像するしかない。しかし、『イルボン2000』はライブに来ているような感覚を引き起こし、なおかつライブに興味をわかせるような作りになっている。トップクラスのライブアルバムではないだろうか。

 

【トラックリスト】

1.ハロー!ミスターモンキーマジックオーケストラ
2.フラッシュバック ディスコ
3フラッシュバックJ-popカウントダウン
4.シャングリラ
5.ナッシングス ゴナ チェンジ
6.キラー ポマト
7.ジャンボタニシ
8.あすなろサンシャイン
9.かっこいいジャンパー
10.スマイルレス スマイル
11.レアクティオーン
12.TKOテクノクイーン
13.虹
14.ヴォルケイニック ドラムビーツ
15.誰だ!
16.電気ビリビリ
17.富士山

 

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