コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

2018年に購入/レンタルしたアルバム紹介④

 もう5月ですね。

 今年購入した/レンタルしたアルバム紹介の第4弾です。購入した数と紹介するスピードが全然追い付いていない。時速4kmで紹介していく私は、時速10kmで購入する私に追いつけないのではないか。周回遅れになるのではないか。算数の文章題みたいだ。

 

 では、紹介していきます(前回まで5つのアルバムを1つの画像にしていたのですが、面倒なので止めます)。

 

 けもの『めたもるシティ』

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  2017年リリース。けものの2ndアルバム。

 プロデューサーは菊池成孔。私は菊池氏がやっていたSPANK HAPPY(第二期)が大好きなので、プロデュースしたというこのアルバムも気になっていた。

 ジャケットが不思議だ。逆さまの東京に、謎の猫耳眼鏡の女性、では、曲はどうなのか。やっぱり不思議だった。曲がヘンテコと言うわけじゃない。ジャンルで言えばシティ・ポップだと思う。落ち着いているけど、退屈にならない曲たち。夜が似合う曲が多く、夜中のドライブにかけると合いそうだ。

 なんと言えばいいのか。未来からやってきた人が、2017年を思い出しながら作ったアルバムのように思えた。

 

 www.youtube.com

 

Skylar Spence『Prom King』

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 2015年リリース。

 別名Saint Pepsi。Vaporwaveを普段聞いている/以前聴いていた人は別名義のほうがピンとくるかもしれない。Saint Pepsi名義では『Hit Vibes』というアルバムをリリースしていて、山下達郎の腰を曲上で振らせることに成功した。『Hit Vibes』はレーベルのBandcampから無料ダウンロードできるので、是非聴いてほしい。

 法律上の問題で改名した後にリリースされたこのアルバムは、Saint Pepsi名義での大胆なサンプリングは影を潜めたが、聴く人の腰を振らせるような曲は健在である。ノリの良い曲が多いため、気分が良い時に何回も聴いている。tofubeatsが好きな人は(Skylar Spenceとコラボしたこともある)聴いてみるとハマるかもしれない。

 

www.youtube.com

 

The Cinematic Orchestra『Man With A Movie Camera』

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 2003年リリース。

 ジャズ×クラブミュージック×映画音楽の3つを両立させてしまう集団、The Cinematic Orchestraのスタジオライブ盤。1929年に公開されたロシアのドキュメンタリー映画である『Man with a Movie Camera』のサウンドトラック、というコンセプトのもと、演奏・制作された。

 古ぼけた質感の映画音楽が開始10秒で流れ、一気に心を掴まれる。その後は2ndアルバムの『Every Day』の曲を中心に展開されていく、しっとりとしながらも緊迫感を保ったジャズ。スタジオライブ盤なので、臨場感も感じられる仕上がりになっている。夜に聴きたくなるアルバム。

 以下のリンクにて視聴可能。

ninjatune.net

Skalpel『Skalpel』

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 2004年リリース。

 クラブミュージックのアルバムたちの間を彷徨っていると良く聴くレーベルであるNinja Tuneからリリースされた。先ほど紹介したThe Cinematic Orchestraとはレーベルメイトである。

 音楽性をざっくり表すと、クラブミュージック+ジャズなので、The Cinematic Orchestraとあまり変わりがないように見える。しかし、ジャズの方向性が違う。Skalpelのほうが、ジャズの質感が古い。曲中で聴こえるブチブチというノイズも古さを演出している。こういったアルバムは、落ち着いたときに聴きたくなる。

 以下のリンクにて視聴可能。

ninjatune.net

 

Skalpel『Konfusion』

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 2005年リリース。

 先ほど紹介したアルバムが1stで、このアルバムが2ndである。

 古い質感のジャズ(ポーランドのジャズをサンプリングしているらしい)をミックスして作り上げた曲たちは、1stと同じように安定している。夜にこれを1stアルバムとこれをかけておけば間違いがないので重宝している。

 自分がレンタルしたものには、ボーナスディスクとして、『1958 BREAKS』というリミックスアルバムが付いていた。

  以下のリンクにて視聴可能。

ninjatune.net

 

 ぼちぼち紹介できればと思っています。

『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会に行きました

 初めて何かを行おうとするとき、人はかなりのエネルギーを必要とする。行っていない、という領域から行っている、という領域に向かって飛び越えるのはいつだって勇気と行動力とその他諸々の経費を必要とする。

 

 先日、歌集の批評会に行くという初めての経験をしてきた。今回行った批評会は、5月5日(土)に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会だ。

 普段私は新潟に住んでいるため、休みに遠出をすることは頻繁にはできない。また、お金もかかるため、1回東京に行くとしばらく行くことができない。ポケモンの技で言うならば、はかいこうせんみたいなものだろう。今回は、ゴールデンウィークでなおかつ文学フリマと日程が被っていなかったため、参加できた。

 批評会に参加者としてどう臨めばいいのか分からなかったため、とりあえず歌集を読むことにした。しかし、なかなか読む時間が取れず、ゴールデンウィークに入ってしまった。ゴールデンウィーク前半は友人とボウリングをしたり、日が沈むまでカラーボールとカラーバットを使って野球をしてしまったため、全部読み切れないまま当日を迎えてしまった。

 友人宅で起きて、体がバキバキなことに気づく。普段運動をしていない状態で、野球をしないほうがいいらしいことに気づかされる。前日に買っていたワッフルを食べて、中野に向かった。

 中野駅を降りて、会場である中野サンプラザに向かう、まだお昼ご飯を食べていなかったため、軽く食べておいたほうが良いなと考えながら歩いていると、空き瓶歌会(新潟で定期的に行われている歌会です)でご一緒させていただいている香村かなさんに声を掛けられる。お昼を食べていないことを話して、会場近くのカフェに向かう。

 オレンジジュースとホットドックを注文し、批評会について話をしていると、2つ隣のテーブルにいる方々が、批評会のパネリストだということを教えてもらう。私は短歌をしている人の顔をほとんど知らないため、頭の中に名前しか浮かばず、名前が歩いたりご飯を食べたり短歌を作ったりしていると思っていたが、どうやら実在するようだった。ホットドックはパンがフランスパンっぽいもので、自分のデータベースには存在しないタイプのホットドックなので、少し動揺してしまった。

 お昼ご飯を食べ終え、会場へと向かう。受付はまだ始まっていなかった。待っていると、同じく空き瓶歌会でご一緒させていただいている有村桔梗さんがやってきた。ちょこちょこ話していると、受付が始まる。どっと参加者が受付に並ぶ。短歌を作っている人は実際に肉体を持っているのだなと再び実感する。大学の時に短歌を一人で作っていた頃には考えられなかったことだ。受付を済まし、二次会にも参加すると伝える。私はインターネット人間なので、会場に面識のある方はほとんどいなかった。面識がほとんどない人が集う二次会に参加する。この判断が正しいかどうかはまだこの時点では分からなかった。

 席に座って参加者一覧を見ていると、短歌界で有名な人もかなり参加していることに気づく。自分は何かするわけではないのだが、こちらまで緊張してきた。あまり面識のない親戚の家に行った時のような気分になる。会場には石井僚一さんもいた。歌集のタイトルが入ったTシャツを着ていた。

 そうこうしているうちに批評会の第一部が始まった。司会は吉田恭大さん、パネリストは荻原裕幸さん、服部真里子さん、小原奈実さん、情田熱彦さんの4人だった。4人とも異なるテンション、意見で話は進んでいった。少し距離を置いて冷静に歌集や歌を分析していく荻原さん、圧倒的な熱量で石井氏のレトリックに対する考えを放っていく服部さん、「上手く読み取れなかった」と言いながらも、丁寧に歌集に見られる要素を拾っていく小原さん、パワーポイントを使いながら、石井氏の歌と人について述べていく情田さん。様々な要素が入れ替わり顔を出す歌集に、4人が様々なアプローチを用いて挑んでいた。

(批評会の後ようやく歌集を読み終えたのだが、同じ人が作ったのか分からなくなるほど、連作ごとに違ったものが見えた。『のりもの2015』のような、服部さんの言葉を借りると「レトリックの過少」、反対に『エデン』では「レトリックの過剰」と、連作毎のレトリック、テンションの差に頭がくらくらした。成分はほぼ一緒だけど様々な色や匂い、味の原液を飲んでいるような感じだった)

 その後、短歌界ではおそらくベテランと思われる方々が、石井さんの歌集について意見や感想を述べていた。その中に「借金を返す、払う」という表現が出ていたが、私にはよく分からなかった。見えている景色が違うのかもしれない。個人的には、借金を今までの通貨で払う必要があるのかなと感じた。別の通貨を生み出して、借金と踏み倒すことも可能なのではと思った。

 一番興味深かったのは、情田さんがおっしゃていた「不安定な韻律により祈りが切実になる」という部分だ。祈りをどうにかこうにか定型におさめることによって短歌が生まれる。しかし、定型に収めることでこぼれる祈りがあるようにも思える。韻律をはみ出ていくことによって、祈りのリアリティが増すように見えるが、短歌からは遠ざかるようにも思える。難しい問題だと思う。

 

 第一部と第二部の間の休憩中、窓ガラスの外からテニスをしている人々が見えた。屋外コートがあるのだろう。薄いブラインドがかかっていたため、ぼんやりとしか見えなかったが、すぐ近くで2つの全く異なった行動がお互いに影響を与えずに動いているところに、淡々とした現実を覚えた。

 第二部は石井は生きている歌会だった。事前に参加者が短歌を送り、当日一部の短歌に評をしていくという形だった。第二部は石井僚一さん、伊舎堂仁さん、谷川電話さんの三人だった。三人の歌集を持っていたが、実際に生きているかは分からなかったため、「うわー生きてるな」と感じた。

 3人が一選から四選、それ以外に2、3首を事前に選び、それらについて三人で評をする形で始まった。どういう歌が選ばれたのかはここでは掲載しないが、個人的には37首目の歌が一番好きだった。石井さんの『マザー・テレサ、どれだけ人を愛したら布団はふっとんでくれるでしょう』とどこかで繋がっているような歌だった。

 第二部では伊舎堂さんが一番印象に残った。伊舎堂さんは普段の文章を見ていると、少し気難しい人なのかなと思っていたが、実際はハキハキとした面白い人だった。私は伊舎堂さんの短歌が好きなのだが、短歌だけではなく、普段の会話の中でも面白さを発揮できる人なのではないかと感じた。

 

 第二部が終わり、中野サンプラザからぞろぞろと二次会の会場へと進んでいった。人が多すぎて本当に正しい方向を進んでいるか分からなくなる。会場では短歌が好きな人々、興味がある人々というカテゴリーに皆が属していたはずなのに、外に出たとたんそのカテゴリーはどっかに消えて、ただただ人が多い。なんとか二次会の会場にたどりついたが、階段でキャリーバッグを担ぎながら6階まで上がったため、腕が死んでしまった。早すぎる死だった。

 死んだ腕を引きずりながら中に入る。ダーツバーだったためダーツの機械がいくつかあるが、二次会は人が多かったため使われていなかった。普段ダーツをしていたら立ち入らない、投げる場所からダーツの的の間に人が何時間もいて、ダーツ的にも新鮮な経験だったと思われる。

 ウーロン茶を貰い、二次会がスタートする。知り合いはほとんどいなかったが、短歌用の名刺を持っていたため、私の事を知らない人にも身分を証明できた。名刺は便利である。

 石井さんとも話せた。名前を明かすと、「あー! ファンファーレの!」と石井さんは言っていた(以前、毎月歌壇に出した『喋るとき出る「あ」が丁度一〇〇〇回目俺の頭上で鳴れファンファーレ』を石井さんに取っていただいたことがあった)。どうも、ファンファーレです。

 また、情田さんとも話すことができた。Twitterではじょーねつというアカウント名で、結構前からフォローしていた。嬉しいことに、自分のアカウント名を明かしたところ覚えてもらっていたらしく、「米粉さんじゃん! 硬派なネタツイッタラーの」と言っていた。どうも、硬派です。

 二次会では、時々トークが挟まれた。すごい人が何人も出てきて、芸能人のパーティーにいるようだった。芸能人のパーティーには出たことがないので経験に基づいた気分ではなく、想像に基づいた気分だが。

 一番二次会で印象的だったのは、谷川由里子さんが喋っていた時だ。会場のマイクの調子が悪く、途切れ途切れになってしまう。谷川さんの時もプツプツと音声は途切れた。マイクの調子、全然良くならないなと思いながら聞いていたが、最後で、谷川さんは「人に頑張れと言うのはあまり良くない風潮だけど、石井さんにはあえて頑張れと言いたいと思います」と言い、マイクを使うのをやめて、大声で「頑張れ!!」と石井さんに向けて叫んだ。

 頑張れが物凄い力とスピードで放たれていくのが見えるようだった、いや、確かに見えた。石井さんに向けられた頑張れだったが、こちらにもその衝撃が届いていた。この衝撃を、自分も与えることができたらと思った。

 帰り際に、本多真弓さんに歌集をいただいた。初対面の私は施しを受けた時に、動揺しすぎて「あー! ありがとうございますー! あああー!! ああー!!」と上手く声を出せなかった。水戸黄門が印籠を出した後の町人みたいになってしまった。

 自分は二次会で帰ったため、三次会以降はどうなったかは分からない。

 

 『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会に参加して良かったと思う。パネリストの4人が互いに言葉を尽くして歌集や歌を批評していくところ、第二部で出てきた様々な短歌、二次会で短歌を作っている人と交流出来たところ、最後の谷川さんが石井さんに向けた物凄い力の頑張れ、それら全てが自分の短歌へのモチベーションにつながったような気がする。頑張らないとな、と思う。

 批評会に参加することで得ることはかなりあると思うので、参加したことの無い人は参加してみてほしい。歌会は生き物、というフレーズを聞いたことがあるが、批評会も生き物だと思う。

 こういった瞬間をこれからも味わいたいので、まだまだ死なねーよと強く思う。

『Vapor?』(文フリ東京 新刊のお知らせ)

 どこだか分からない土地で、自分の中のメモリーカードに存在しない人物が繰り出す、状況や空気感。

 例えば、スーパーマーケットで流れているフュージョン。何か聴いたことがあるような気がするけれど、何かは答えられない。そういうものが面白いと私は思う。

 

 2018年5月6日(日)に、第二十六回文学フリマ東京にて、橙田千尋名義で『Vapor?』という短歌20首の入った冊子を頒布いたします。値段は200円で、ブースは空き瓶歌会【F-57】になります。

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 友人が撮った写真が個人的に良かったので、許可を貰い加工したものが表紙になりました。

 内容としては、自選10首と、ほぼ新作の連作2つが入っています。

 当日は蒸気としてブースなどを漂っていますので、是非ブースにお越しください。話しかけてくだされば、リポビタンDに入っている、タウリンの次に多い成分の名前と量を教えます。

 

 概要のおさらいです。

日時:5月6日(日) 11:00~17:00

会場:東京流通センター 第二展示場

ブース:【F-57】空き瓶歌会(会場の1階になります)

タイトル:Vapor?

値段:200円

 

 また、私の参加している空き瓶歌会では様々な歌集、冊子を販売いたします。

 

【頒布リスト】(以下敬称略)

『瓶便』vol.1、2(無料)

『果実短歌』(無料)

 参加者:有村桔梗、迂回、香村かな、橙田千尋、七波
 イラスト:大嶋航

『空き瓶』(無料)

 参加者:有村桔梗、迂回、キョースケ、香村かな、ショージサキ、髙木秀俊、

     たた、七波、ユキノ進

有村桔梗『夢のあとに』(歌集、700円)

香村かな『びいだまの月』『瓶詰めの海』(フォト短歌集、それぞれ500円)

短歌入りブックマーカー(製作:高木秀俊、40円)

七波『Haruno.』(歌集、300円)

 

 それぞれの短歌があり、それぞれの良さ、面白さがあります。是非是非、見に来てください。

 それでは、当日お会いしましょう。

 

 Vapor?

『大きなCOFFEE BEAT』『そうです』『文フリ東京』

 最近感じたこと、あったことを話していく。

 

『大きなCOFFEE BEAT』

 私は暇さえあればお菓子を食べている。近くにお菓子があると延々と食べてしまい、大袋のお菓子を買ってもすぐ無くなってしまう。前世はカービィだったのかもしれない。

 時々コンビニでマーブルチョコレートを買うことがある。蓋を開けて、さらさらと中身を出し、頬張る。この過程が好きだ。普通のチョコレートだと自分で箱や袋から取り出して食べなければならないのだが、マーブルチョコレートは蓋さえ開ければ一発だ。チョコレートとしての摩擦が少ないので筒を傾ければすぐ出てくる。スムーズな当分補給ができる。

 マーブルチョコレートには犬みたいなキャラクターが存在する。最近買ったときは世界旅行に出ていた。儲かっていると思われる。私はやっと去年本州を出たというのに。

 マーブル一族の中の1つに、COFFEE BEATというお菓子がある。コーヒー豆の形をしたチョコレートだ。もちろんコーヒー味である。マーブルチョコレートと比べて、スーパーやコンビニで見かける頻度が少ない。トキワの森ピカチュウみたいな感じだろうか。

 COFFEE BEATと言う名前もいい。こういう名前のアーティスト、おそらくいるんじゃないだろうか。水星っていう名前の曲を作ってそうだ。

 先日、COFFEE BEATが売っているコンビニに行くと、大きなサイズのものが売っていた。手に取ってみると、確かな重量感。気が付いたら購入していた。

 大きいものは強いという小学生のような考え方なので、大きいCOFFEE BEATは強かった。

 皆さんでCOFFEE BEATの輪を作っていきませんか?

 

『そうです』

 Twitterに藤岡拓太郎さんという、1ページ漫画をアップロードしている方がいる。その人の作品の中に【よその家の風呂にバブを投げ込む行為を繰り返して逮捕された人】というものがある。

  2コマ目の警官の「何でこんなことしたん?」という問いかけに、バブを投げ込んだ犯人が「そうです」と答えている。私はこの「そうです」がたまらなく好きだ。

 バブをよその家の風呂に投げ込むという、一般的には理解されない/できない行動に対して、犯人自身はしっかり後ろめたさを感じ、悪いこと、一般的に理解されないことと認識しているように見える。その意識が「そうです」という回答につながる。ギャグ漫画だと、理解不能な行動をしている人はあまり罪の意識を感じない傾向がある。しかし、この漫画の犯人は常識的なのだ。

 藤岡氏の漫画は、漫画の中の空気感が滅茶苦茶面白いので、是非見てほしい。

 

『文フリ東京』

 5月6日(日)に文学フリマ東京が行われる。その中で、私も短歌の冊子を出す。詳細は連休中に出せればと思う。よろしくお願いします。

2018年に購入/レンタルしたアルバム紹介③

 皆さんは3月をどう過ごしましたか。

花粉が多く飛んでいるときに東京に遊びに行った結果、くしゃみや目のかゆみに悩まされ、新潟に戻れば何とかなるかな、やったか!? と思ったが全然やっておらず、今日も花粉症の症状が出ている。花粉症のせいで春が嫌いになってしまった人もいるだろう。春は何も悪くないのに。

 

 今回はアルバム紹介第3弾である。記事の更新のペースと、アルバムを購入/レンタルするペースが釣り合っていない。気力を増やして記事を書いていきたい。

 

 今回は以下のアルバムについて紹介していく。

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 左上から時計回りに、

Captain Beefheart & The Magic Band『Trout Mask Replica』

James Blake『Overgrown』

Jaga Jazzist『A Livingroom Hush』

David Bowie『Low』

Primal Scream『Screamadelica』

 

である。前回は邦楽が多かったが、今回は海外の作品で占められている。

 ジャケットのインパクトが凄い『Trout Mask Replica』を制作したキャプテン・ビーフハートは、かの有名なフランク・ザッパの友人だったらしい。ギター、ベース、ドラムがあらゆる方向に散らかりながら、ビーフハートのしゃがれ声のボーカルが炸裂する。酔っ払いがフラフラ道を歩いている音楽は、一見何の計算もされていないように見えるが、実は何か月もバンドで練習を行った成果の結晶だったりする。計算された千鳥足なのだ。

『Overgrown』はエレクトロニカに属する作品である。前作『James Blake』と同じく、物静かで冬を思い浮かばせるような音楽だが、前作よりも盛り上がっていく場面があるように感じた。8曲目の『Voyeur』が良い例だろう。全曲に渡って特徴的なのが、James Blakeの声であり、哀しみを湛えた声が荒涼な風景を思い起こさせる。

『A Livingroom Hush』はジャズとクラブミュージックが融合したアルバムである。 Jaga Jazzistは現在、クラブミュージックやエレクトロニカを聴いているとよく名前が挙がる『Ninja Tune』というレーベルに所属しているが、この作品は所属する前に作られたものらしい。『Ninja Tune』所属で、ジャズとクラブミュージックを融合した作品を作っている集団と言うと、The Cinematic OrchestraやSkalpelが挙げられるが、このアルバムは上記のグループよりもアッパーな雰囲気を漂わせている。顕著なのは1曲目の『Animal Chin』で、ジャズにしてはドラムが狂ったように叩かれているように思える。しかし、ゆったりとしたナンバーも時々顔を出し、緩急の効いたアルバムとなっている。

『Low』は、ロックスターとして名が挙がる David Bowieによる作品である。アンビエント界の大御所、Brian Enoと共に作られた。David Bowieは有名だけど、アルバムを聴いたことがなかったなと思い、レンタルした。もっとロックロックしてるのかと思ったが、穏やかさを感じさせる曲が多いように思えた。Brian Enoが携わっているためだろうか。後半に進むにつれアンビエント色が強くなっている。

『Screamadelica』は、ジャケットだけ知っていた。アイドルグループのゆるめるモ!がジャケットのパロディを行っていたと思う。味付けの基本はロックだが、ダンスミュージックも振りかけられている。2曲目の『Slip Inside This House』はロック+ダンス+サイケも少々と言う感じで、かなり好みだった。全体的に太陽の光が差し込んでくるような曲が多いアルバムだと感じた。

 

 最後に紹介したアルバムの曲を一部リンクとして載せておく。

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【私の好きな短歌その1】3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)

 好きなものを紹介するのは難しい。語彙力が減ってしまうからだ。Twitterを眺めていると、好きなものを紹介している人は語彙力がその時だけ消えてしまう傾向があるように見える。

 私も好きなものを紹介するとき、上手く伝わってないんだろうなと思う時が多い。嫌いなものは理由を付けていくらでも書くことができるのに、好きなものはなかなか思うように進まない。

 だからと言って好きなものを表明していないと、なかなか好きなもの集めが捗らない。誰かが「こういうものがあり、好きになるかも」と教えてくれる機会が無いためだ。私たちは何か新しい良さを得るためには、定期的に好きなものを表明しておく必要がある。

 今回は好きな短歌について紹介し、どういうところが好きなのかを書いていきたいと思う。上手く伝わるかどうかは分からないが、短歌についてあまり知らない人がこの記事を見て、興味を持ってくれると幸いである。

 最近短歌に関する記事が多い。年々Twitterもブログも方向性が変化しているように見える。理由としては、人間だからである。

 

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって  中澤系

 

 短歌を読んでいるとごくまれに、「正解じゃん」と思う短歌に出会うことがある。上の短歌は、自分が初めて正解だと思ったものである。

 場所は駅のホームである。歌の前半は駅で流れるようなアナウンスと同じような形である。快速列車が通過するような駅なので、あまり大きな駅ではないのかもしれない。それから、「3番線」というチョイス。なぜ、1番線や2番線にしなかったのだろうか。短歌は原則五七五七七にする必要がある。2番線や5番線にすれば音数は守られる。しかし、作者は3番線を選んだ。駅長室から少し離れたところにある場所である理由は何なのか。

 これに関しては、柳本々々氏が以下のブログでこのように指摘している。

yagimotomotomoto.blog.fc2.com

 

「JRが国鉄だった頃は、駅長室から近い順に1番線、2番線、3番線とつけていったそうです。

だからまあもし3番線で死ぬとしたら、駅長からちょっと離れたところで死ぬことになるんですよ。駅長を電車の〈父親的なもの〉だとするなら、そういうものから少し離れた場所でしぬことになる。もっと言えば、だれにもしられず、父親が管轄できないシステムのすこし外でしぬことになる。父親は意味を与えるものですから、意味も与えられずに、です。「三番線」はその意味で、〈父なる領域〉から少しはずれたところにある。意味のすこしだけ彼岸に。(上記ブログより引用)」

 

 <父なる領域>から少し外れたところにある「3番線」。3番線は、人間の手から離れた場所を指しているのかもしれない。

 電車のアナウンスのような上句から一転し、下句は「理解できない人は下がって」とある。電車が通過するとき、人は黄色い線の内側へ下がる。しかし、この歌では「理解できない人」に対して警告じみたものが発せられている。

 通過する快速電車に乗り込むことはできない。無理やり乗り込もうとすれば、おそらく死が待っているだろう。この「快速電車」も、私たちの手からは届かない、脅威となり得る力を持ったものだと言えないだろうか。

 脅威的な力を持ったものに対して、生身の我々は為す術がない。しかし、脅威を理解することができたのならば、そこから自らの意思で退くことができる。もし、理解できないのであれば、無理やり下がらせるしかない。

 そう解釈していくと、この短歌は、何か上の存在からの警告じみたものに見えてくる。理解できる人は自ら下がる。理解できない人は警告によっておそらく下がることになる。こうして人は「快速電車」の持つ脅威的な力の犠牲にならずに済むのだ。

 

 この短歌の作者である中澤系(敬称略)は、2009年に亡くなっている。しかし、遺された短歌は短歌集『uta0001.txt』としてまとめられ、私たちのもとに届いている。私がこの短歌集を買ったときは絶版になっていて、神保町にある古書いろどりで最後の1冊を入手した。

 しかし、今年に入ってから出版社を変え、再版された。紹介した歌は、この短歌集の1首目を飾っている。Amazonでも購入可能だ。

 この短歌集は今年を含めて、2回再版されている。それだけ中澤系の短歌を人々は読みたいと思っているのだろう。是非手に取って読んでほしい。

新潟の空き瓶歌会に参加しました

 私は現在、仕事の関係で新潟に住んでいる。新潟って皆さん知っていますか? 武器にするとリーチが長そうな県です。

 移り住んでからだいたい1年が経ち、社会に殺されないように日々やり過ごしている。皆さんは社会が好きですか?

 大体の皆さんと同じように、私は1日の大半を仕事と睡眠に費やし、残り少なくなった1日を何とか最後の最後まで絞り切って、やりたいこと、やっていて楽しいことに没頭している。

 やっていて楽しいことの1つに短歌がある。基本私は飽きっぽく、子供の頃も色々計画を立てて、すぐ放棄することを繰り返していた。計画を立てるのは楽しいのだが、実際にやってみるとなかなか続かないのだ。そういった気質は、今も変わらない。しかし、短歌に関しては2年前から始めて、どんどん熱中具合が上がっている。ずっと頭の片隅にあるような気がして、それに救われたり苦しめられたりする。これは恋を発症したときにあらわれる症状と類似性がある。

 私はうたの日というサイトに短歌を投稿していて、それらの結果が発表されてからTwitterに転送している。ちなみに私は橙田千尋という名義で存在している。

うたの日

 ネットに短歌を投げるパターンが存在するのと同時に、現実で何人かで集まって、短歌を読んで評しあう場も存在する。それらは歌会と言う。

 現実空間で存在を露出させるのは結構勇気が必要で、短歌をやっている人の中には歌会に行くのが怖い、自分の作った短歌をけちょんけちょんにされたらどうしようと思っている人もいるだろう。

 今回は橙田千尋という人物を例に挙げて、歌会がどんなものなのかを紹介していくことにする。しかし、私も1種類の歌会にしか参加したことが無いので、おそらく他にも様々なタイプがあると思う。1つの例として参考にしていただければ幸いである。

 

 短歌をいくつかの媒体に投稿していたある日、歌会たかまがはらというネット配信をしている歌会で投稿した短歌を取り上げていただいた。それと大体同じ時期に、新潟に空き瓶歌会という会が存在することを知った。1回行ってみようと思ったが、迷っているうちに締め切りが過ぎてしまい、行かずじまいだった。とあるVtuberの方の言葉を借りるとすれば、やらなければ、はじまらないのである。私はその時やらなかったので、はじまらなかった。

 その後、空き瓶歌会をTwitterでフォローしたところ、代表の方から新潟在住のメンバーで行っている小瓶歌会(空き瓶歌会のミニバージョン)にお誘いいただいた。私はすぐに参加したいとDMを送った。

 こうして、去年の11月に初めて歌会に参加することが決定した。基本的に私はインターネット上に浮かんでいるので、実質蒸気のようなものである。実体を持って現実の催し物に参加したことはほとんどなかった。

 小瓶歌会では題詠と自由詠を1首ずつ用意しておく必要があった。何とか2首作り、提出した。

 数日後、詠草一覧が送られてきた。小瓶歌会/空き瓶歌会では1首ごとに必ず全員が発言をするようになっているため、ノートに読んだときのイメージや抱いた感想を書いて当日に臨んだ。ちなみに、歌会によっては惹かれた歌を選び、票がたくさん入ったものから順番に評していくものもある(むしろそういったタイプのほうが主流なのかもしれない)。興味のある歌会に参加してみたい場合は、事前にどういうシステムなのか主催者に聞いてみるといいだろう。

 寝たり起きたりするうちに、いよいよ歌会当日になった。蒸気だった私は何とか肉体を用意して、外に出た。昼ご飯を食べていなかったので、立ち食いそば屋でたぬきそばを食べた。たぬきそばにはきゅうりの入っているものと入っていないものがあり、前者だと著しくテンションが下がってしまうのだが、そのそば屋は後者だったため、精神が保たれた。

 会場は砂丘館という場所だった。趣のある建物だったため、「趣~」となってしまった。皆さんは普段趣いてますか? ちなみに砂丘館から少し歩くと日本海が見える。私も時間があったので海を見にいった。日本海を見たときにくるりの『日本海』という曲を聴いていたので、「日本海日本海を聴いてるな~」という気持ちになった。

  時間が迫ってきたので、砂丘館に入る。中も趣きだった。歌会の会場になっている部屋に入ろうとしたが、どうも足が上手く進まず、様々な廊下を通った。中には短歌の鬼みたいな人がたくさんいて、ボコボコにされるのではないかとも思った。どこかに「この部屋に入るものは一切の希望を捨てよ」と書いてあったかもしれない。色々考えながら歩くこと数分、ついに部屋の中に入った。

 結論から言えば、私はボコボコにされずにすんだ。口が上手くまわらず、自己紹介の時に住んだことの無い場所のイントネーションで喋ってしまったことを除けば。数時間にわたり、何人かの短歌を読み、評を述べる体験をした。

 なかなかネット内にいると、他人から評や感想をいただく機会は少ないのだが、歌会では必ずと言っていいほど評を貰えるので、自分の歌がどういった感じで解釈されるのかが分かり、かなり参考になった。

 歌会が終わった後は懇親会があり、今後も参加しようという思いで帰路に着いた。

 その後も何回か小瓶歌会に参加し、先日行われた空き瓶歌会にも参加した。私は以下の歌を提出した。

 

遠足のおやつは200円以内ひらがなはさ行まで認めます

 

 ゲスト選者の方を含めた数人から評をいただいた。鋭い評が多く、今後評を述べる時の参考にしていきたいと感じた。

 歌会の後は懇親会があった。

 

 

 歌会に出ることによって、自分の歌がどういう解釈をされるのかを確かめることができる。歌会は東京で行われるものが多いが、地方で開催されるものもある。どこでどんな歌会が開催されているかは、hiroki asano(Twitterアカウント名をそのまま引用)さんのツイートが参考になると思うので、引用したいと思う(問題があればこの部分は削除します)。

 

  

 様々な歌会があることが分かる。Twitterアカウントやブログ、ホームページを持っている歌会もあるので、まずは調べてみて、気になったところとアポイントを取ってみるのが良いだろう。

 

 歌会は短歌を詠む/読む場所の1つである。歌会に行く行かないは自由だ。しかし、やらなければ、はじまらないこともあるので、この記事を読んで、歌会に行ってみたいけど勇気が、と言う人の参考になれば幸いである。

 宣伝をしておくと、新潟の空き瓶歌会はゆったりとした場所、雰囲気で行われている。新潟は食べ物も美味しいので、短歌をやっている(興味がある)方は是非旅行がてら参加してもらえればと思う。

 

 これからも頑張るぞ!!