コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

保坂和志『カフカ式練習帳』(2018年に読んだ本・冊子)

 基本的に文章と言うものは、完結する。どこか作者の意図するゴールに向かって文章は進んでいく。

 小説も同じだ。基本的には結末に向かって進んでいく。まるでチャンネルを回したかのように、文章の意味、設定、空気が途中で違うものになることはほとんどない。

 今回はそのほとんどから漏れ出した小説を紹介したい。

 

 うどんはコシがあるものが好きだ。コシが無いものは私の中のうどん判定機がうどんと認識してくれない。

 今日のお昼はうどんを食べたのだが、うどん判定機は認識しなかった。目や舌はうどんのデータを脳に送り込むのだが、判定機が動いていないため、「確実にうどんとは言えない何か」を食べていることになる。

 

保坂和志カフカ式練習帳』

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カフカ式練習帳』の一番の特徴は、様々な長さの文章が立ち現れては消えていく点だ。隣の家の話、猫やカラスの話、友人の話、子どもの頃の話、さらにはカフカの小説の一部分や天声人語が引用されることもある。

 また、いくつかの断片をまとめたものには、タイトルがついているが、一番最初に出てくる断片の冒頭が、そのままタイトルになっている。

 それだけではない。文章が最後まで終わらないこともある。まるで曲が終わり切っていないのに、他の曲の再生ボタンを押すか

 

   「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方

   法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行

   使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれ

   た思考の書きとり」

        (アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚』 岩波文庫)

 

 全ての断片が全然違うものなのかと言われると、そうとも言えない。引用される文章はカフカが多く(作者はあとがきで、カフカが書き遺した断片から、この小説の発想を得ている旨を述べている)、作者の嗜好が垣間見える。また、猫の『マーちゃん』に関する話が何回か出てくるほか、ゆるやかに断片同士が繋がりをもっているように思えるものもある。『マーちゃん』の話に代表されるように、作者は猫に思い入れがあるらしく、猫に関する断片は何回も登場する。

 

 最近の定義は人によって違うらしく、2、3日前の事を最近と呼ぶ人もいれば、数年前のことを最近と言う人もいる。最近の範囲は人によって様々である。誰かが「最近できたお店のラーメンがすごい美味しいんだよ!」と言ってきた場合、もしかしたら10年前にオープンしたラーメン屋であるかもしれないので注意が必要である。まあ、地球にしてみれば100年や1000年という単位は最近の出来事であり、最近は伸び縮みが容易な物体として認識されることになる。

 

 この本を読み終わったとき、1冊の本を読んだはずなのに、いくつかの短編小説を読んだような気持ちになった。しかも、それらの短編小説は空気感を共有している。全く違う場面が次々と出てくるのに、本の世界に入っていけるのは、断片たちが空気感を共有しているおかげで、断片が変わっても生活が頭をよぎらないためだろう。

 少し変わった小説なので、意図を求めたくなる人もいるかもしれないが、作者も「おもしろいと思うところを拾い読みしてくれればいい」とあとがきで述べているので、この断片は特段面白いなあ、くらいの気持ちで読むのが一番この小説に合っているのかもしれない。やっていることは結構特殊なのに、読んだ後に疲れないのは、断片たちの世界が無理のないものだからだろう。

 

 「胸のつかえ」に「目薬」をさすという比喩に一瞬引っかかりを感じる。胸のつかえに目薬をさすことは正しいのかと思う。しかし、心にすっきりしない何かがあり、それを取り除いてすっきりとした気分にしてくれるという感情を表すのに目薬は最適解だと思う。胃薬とかだと何も引っかからない。

石井は生きている歌会@福島に参加しました

 遠足感、というものがあると私は考えている。

 楽しみなものかつ、まだ何が起こるか分からないものが近づいてきたとき、頭の中でずっとカウントダウンの数字が刻まれていて、ずっとカチカチ鳴っているような気がする。何か別の作業をしていても、ふとした瞬間にカウントダウンの存在を思い出す。当日に近づくにつれてカウントダウンの音は大きくなって、当日になると急に音が消えて正気に戻る。すると何が起こるか分からないものに対して、少し不安になる。

 最近は遠足感を味わえるような経験はあまり無かったが、久々に味わえるような経験をした。遠足感を引き起こしたイベントは、石井は生きている歌会@福島である。

 

 石井は生きている歌会を主催している石井僚一さんとは、ゴールデンウィークに行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会後の二次会で1回話したことがあった。気さくな方だった。石井さんは歌会活動家と名乗っているため、次は一緒に歌会をしてみたいと感じた。

 

批評会の感想は以下の記事にまとめています。よろしければお読みください。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 少し経つと、石井は生きている歌会@福島が開催されるというツイートが目に入った。ゲストは井上法子さんだ。井上さんは書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズより『永遠でないほうの火』を出版している。良い歌が揃った歌集なので、是非手に取っていただきたい。

www.shintanka.com

 

 私の住んでいる新潟から福島は高速バスを乗り継ぐ必要があったが、お金を工面し、労働も回避できたため、参加することにした。

 歌会当日まで残り一週間になった頃に、提出する自由詠を考え始めた。選あり(歌会では選といって、良いと思った歌を選ぶシステムが採用されているところが多い)の歌会は参加したことがなかったため、どういう気持ちで臨めばいいのかわからず、ひたすら肩に力が入った。私は結構な負けず嫌いなので、どうしても選が欲しいとついつい考えてしまう。しかし、誰が来るのかほとんど分からないのに顔色を伺えるわけがないし、本当に詠みたいものを変えてまで選を取りに行くのは今後の自分のために良くないと思い、いくつかできたものの中から、一番納得がいったものを提出することにした。締め切り数分前だった。

 

 前日は早く寝たほうが何事も良いのだが、遅刻をすると死ぬシステムだったため、寝るのをためらう。結局あまり眠れなかった。まあ高速バスでずっと寝ていれば大丈夫だろうと思い、電車に乗った。そしていつの間にか眠っていた。

 目を覚ますと、電車の中に誰もいなかった。終点に到着したことに気づかなかったらしい。幸い、高速バス乗り場の最寄り駅と終点が一緒だったため、事なきを得た。立ち食いそばを食べ、新潟のお菓子を買い、高速バスに乗った。

 高速バスの中では、初めにKIRINJI『愛をあるだけ、すべて』を聴いた。その中の『時間がない』がかなり良かった。2018年にリリースされた曲の中で今のところ一番聴いている。しかし眠気には勝てず、眠りと目ざめの反復横跳びを繰り返した。

 2時間弱で会津若松に到着した。新潟から福島市に直接行けるバスは無く、会津若松を経由する必要がある。新潟駅から放たれたバスを、会津若松がヘディングして、福島市に叩き込むのだ。高速バスの待合所ではソフトクリームなどが売っていたが、眠気で頭が働いていなかったため、ソフトクリームの美味しさに反応することができなかった。

 1時間半ほどまたバスに揺られ、昼前に福島駅に着いた・ラーメンを食べ、ドトールで時間をつぶしていると、開始時間が迫っていたので、慌てて会場に向かった。

 会場内で迷い、開始1分前に歌会を行う和室に到着する。急いで座布団の数だけお菓子を置いて、空いていた座布団に座った。

 

 全員揃ったところで、主催の石井さんから挨拶があった。前に会った時も思ったのだが、似たような眼鏡を私は持っている。その後、詠草一覧が配られる。そのまま15分程度、13首に目を通す。そして、自己紹介を兼ねて選を発表していく。私は、楽しみと緊張で一週間ほど仕事が手につかなかったという話をしたが、いつも仕事が手についていない可能性もある。参加者の一人であったナイス害さんは、お土産で打順を組んでいたのだが、どんな打順だったのか見るのを忘れてしまった。

 その後、得点の高いものから評を行っていった。最初は様子見をしていたのだが、せっかく福島まで歌会に来たのだから、積極的に評をしていこうという気持ちになり、そこそこ喋ったとは思う。

 私は歌の中の空気感に目がいくことが多く、他の参加者の方が韻律や助詞について評をしていると、そういう視点ももっと持っていく必要があるように感じた。もっと歌の良さをできるだけ取りこぼさないような評の仕方をしていければと思う。

 全部の歌の評を終え、作者が発表された。発表している途中に、井上さんが首席の方にお菓子のプレゼントがあると、ちょっとしたサプライズを発表していた。

 結果として、私はお菓子を貰うことができた。仕事が手に着かなかった甲斐があった。首席を取ることが歌会の目的ではないけれども、初めての選ありの歌会で首席をが取れると嬉しい。お菓子の話があった後、左手が震えだしたので、私はポーカーの才能が無い。

(後日、石井さんから、お菓子を貰っている自分の写真が送られてきたのだが、すごい小物感が出ていた)

 歌会が終わった後は、井上さんと石井さんの即席サイン会になった。井上さんにサインを貰い、喋ろうとしたのだが、緊張しすぎてア行しか話すことができなかった。緊張するとア行しか話せなくなる癖をどうにかしていく必要がある。

 

  その後、懇親会があった。刺身やから揚げ、馬刺しなどを食べた。あとおしぼりもあった。歌会に提出された歌についても感想を言い合った。

  その後、二次会もあり、齋藤芳生さんが参戦した。山田航『桜前線開架宣言』に載っていた方なので、ひえーとなった。二次会ではメロンソーダを頼んだり、ずっしりとした短歌の話をしたりした。

 二次会が終わった後は、石井さんとラーメンを食べに行った。最初に狙いを定めたラーメン屋は、Googleに裏切られ休みだった。二度目に狙いを定めたラーメン屋は空いていたため、そこでラーメンを食べた。そこではやはり短歌の話がメインだった。

 石井さんと別れた後、ホテルに到着し、ワールドカップアイスランド vs アルゼンチンの試合を途中まで見て、力尽きた。

 次の日はまたラーメンを食べて、高速バスを乗り継いで家に戻った。時間の都合上、福島観光ができなかったのが残念である。やはり、三連休で無いと色々動くことができない。二連休は私にはまだ使いこなせそうにない。

 

 歌会が違うと、システムも違い、人が違えば評も違うのだが、今のところ参加した歌会は全て和やかな雰囲気なので、主催の方や参加者の方には頭が上がらない。これからも続いていってほしいし、可能ならば参加していきたいと思う。

V.A.『WEB / そ の 意 味 で』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 深夜、寝落ちしそうな時に流れているテレビのCM。スーパーなどで流れている曲名があるかどうかも怪しいフュージョン。建物の中で流れる頭にのこらない音楽。それらに耳を傾けてみると、案外面白い発見があったりする。

 Vaporwaveというジャンルがある。昔の曲やCMなどをスクリューしたり、執拗にループした音楽というざっくりとした定義はできるものの、最近は多様化が進み、一概には定義できないジャンルになったように思える。

 Wikipediaには、「2010年代初頭にWeb上の音楽コミュニティから生まれた音楽のジャンルである。大量生産の人工物や技術への郷愁、消費資本主義や大衆文化、1980年代のヤッピー文化、ニューエイジへの批評や風刺として特徴づけられる」と書かれているものの、本当にそこまで考えて行われていたのかは、各個人の頭の中にしか正解が無いため、分からずじまいである。

 今回はそんなVaporwaveを味わうことができるアルバムを紹介したい。

 

V.A.『WEB / そ の 意 味 で』

 

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 このアルバムでは、Vaporwaveに関わっている人の曲が収録されている。このジャンルに揺られているとよく見かけるアーティストの猫 シ Corp.や 豊平区民TOYOHIRAKUMINや、海外の音楽レビューサイト『RA』でも作品をレビューされているNmeshも参加している。個人的にはCMを執拗にループさせた曲が好きなので、
OSCOBや天気予報の参加は嬉しいものがある。

 ジャケットはもうごちゃごちゃで、Vaporwaveではもはやマスコットキャラクター的扱いの胸像や、パソコンの画面、なぜか64版のスマブラのキャラクター選択画面も左上に存在している。右下にはカラフルな色で「週末」と書かれているが、おそらく何も意味は無い。

 曲を聴いてみると、サンプリングした素材をグズグズになるまで煮込んだような曲がたくさんある。

 3曲目の猫 シ Corp.『楽しい』では、スクリューされた素材とディレイのかかったドラムで溶けていくような感覚になる。8曲目のOSCOB『AGES』はメガドライブのCMが執拗にループされる。このCMはいとうせいこうが出演しているが、スクリューしてスピードを下げているため、声の主が誰だか分からない。14曲目の天気予報『不明な送信機』では、テレ玉(テレビ埼玉)のCMや天気予報を聴くことになる。音楽プレーヤーで天気予報を聴くのは、なかなか無い体験かもしれない。

 一番良かった曲は9曲目の海岸『すてきな階段』である。何かの曲の一部分が靄がかかった状態で約7分間続くのだが、どんどん輪郭がぼやけていって、しまいには最初に聞こえていた歌は溶けてしまう。眠る前の感覚にそっくりだ。

  

 このアルバムからVaporwaveのドアを開けてみるのも良いと思う。ちなみに私は寝る前によく聴いている。アルバムを聴いてみて、興味を持った方は、このアルバムに参加している捨てアカウント氏のTwitterや記事を見てみると良いかもしれない。

themassage.jp

 比較的最近(と言っても去年だが)のVaporwaveがどんな動きをしていたのかがうかがい知れる良い記事。

 

 このアルバムは、BandcampにてName your price(自分で価格を決める)で購入できるため、視聴して良いと思ったら購入してみると良いだろう。

 

 

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』(2018年に読んだ本・冊子)

 人は良い思い出と嫌な思い出を混ぜこぜに積み上げながら生きていく。積み上げたものに光が差したとき、見えるのはいつも嫌な思い出である。

 良い思い出はふとした瞬間に思い出すことが無いように思える。ふわふわすべすべしていて、暖かい思い出たちは心に置いておくと、いつの間にか無くなったように感じる。これは、良い思い出が心地よいものであるため、異物として感じられないからだろう。

 反対に、嫌な思い出はふとした瞬間に蘇る。とげとげした嫌な思い出たちは、ふとした瞬間寝返りを打って、私たちの心に食い込んでくる。そして思い出してしまう。俗に言うフラッシュバックだ。

 どんなに規則正しく足を進ませていても、一度フラッシュバックを起こすと、途端に歩き方はおかしくなり、スピードも遅くなる。

 

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』

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『フラッシュバックに勝つる』は、ナイス害(敬称略)による歌集である。作者はなんたる星と言うネットを活動の中心にしている短歌結社の一員であり、大喜利アサラトという民族楽器が好きらしい。一時期私は『大喜利PHP』というネット大喜利のサイトに出入りしていたのだが、そこで見かけたことがある。

 この歌集は去年秋に東京で行われた文学フリマで購入した。代金を渡すときにお金が袖の中に落ちてしまい、「マジシャンみたいですね」と言われたのを覚えている。ありがたいことに私を存じてくれていて、文フリの会場内で本人と挨拶をした。動揺してしまった私はあ行しか喋ることができなかった。

 その後、今年のゴールデンウィークに批評会も行われたのだが、当日は文学フリマがあり、参加できなかった。

 

 タイトルを見ていくと、『フラッシュバックに勝つる』の『勝つる』に目がいく。最近行われていた作者によるキャスでも触れられていたが、『勝つる』はネットスラングだ。しかも、少し前のものである。勝つるという単語を見た瞬間、2010年あたりのインターネットを少し思い出した。フラッシュバックと言う、突然過去のものを思い出す行為に、勝つるという過去のインターネットスラングを用いることで、意識を少しだけ過去に向けようとしているのかもしれない。

 表紙にも目を向けてみる。女性たちが裏表紙も含め総勢7人登場している。輪郭や髪形、服装ははっきりしているのに、顔は乱暴に塗りつぶされている。フラッシュバックに勝つためには、まずあの時の雰囲気を鮮明に再現してしまうであろう、相手の表情を記憶から塗り潰さなければならないのだろうか。

 本歌集では15の連作が載っている。そのうち最後の4つは少し実験的で、女性同士の会話を挟んでみたり、進化した単語を良い声で返す、お笑いコンビのコロコロチキチキペッパーズナダルが特技としている『ナダルリバースレボリューション』をやってみたり、音楽的手法のブレイクビーツを短歌で行ったりしている。作者のサービス精神の旺盛さと短歌で何か違うことをやってみようとする好奇心が見える。

 

 この歌集の中から好きだった歌を3つ取り出してみる。

 

【1】

逃げなさい思い出達よ逃げなさい素敵な人が現れたのよ

(『チュッパチャップスを上手に剥く人』) 

 

 1回読んで、「歌謡曲っぽいな」と感じた。こんな歌詞を誰か歌っていたような気がするが、気のせいだろう。

 主体が生活をしていると、どういった経路を通じてかは分からないが、素敵な人が現れる。素敵な人が現れた時に、一定の人は素敵な人という、前方にある存在にのみ視線が向くと思う。しかし、この主体は後ろを向く。そして後ろにいる思い出達に「逃げなさい」と呼びかける。

 この呼びかけは、言葉だけ見ると柔らかいが、実際はかなり切羽詰まっているのではないだろうか。逃げなさいと1回言う。思い出たちは逃げない。もう一度逃げなさいと言う。それでも思い出は逃げようとしない。最後のダメ押しで、「素敵な人が現れたのよ」と言う。もう思い出達 = 後ろを向いてしまう自分への説得、懇願のように見えてくる。何回も読んでいるうちに、主体が小さく、弱くなっていくように思える。

 

【2】

プロポーズふざけてされたもんだからあれからずっと空洞でした

(『害来たりなば』)

 

 プロポーズというのは、1人に対して基本的に1回しか使うことができない。だからこそ、人々は色々と頭を悩ませながら、プロポーズの最適解を探すことになる。

 主体もプロポーズを受けたらしい。しかし、主体にとってそのプロポーズは「ふざけてされた」ように感じた。相手のプロポーズがどんなものだったのかは分からないのが、この歌の1つめの良いところだ。読み手の頭の中に「ふざけたプロポーズ」を思い起こさせる。ここで、プロポーズをした相手を擁護しておくと、相手は最適解だと思ったのかもしれない。しかし、主体は「ふざけた」ものだと思ってしまった。プロポーズをする/される間柄なのに、とてつもない断絶が生じている。

 そして、「空洞」。空洞がかなり効いている。「最悪」や「灰色」ではなく、「空洞」、つまり何も主体に残っていないのだ。プロポーズをふざけてされたことによって、相手への信頼が自分の中から消えていく。すると主体は空洞になる。主体の中は相手で満たされていたことに気づく。しかし、それが満たされることは再び無いはずだ。とりかえしのつかない断絶が生じている。

 

【3】

 あぬえぬえ 歌はおまえの餌だから次の歌人のところへ行きな

(『害来たりなば』)

 

 あぬえぬえとは、ハワイ語で「虹」を指すらしい。この歌の横に、注釈としてその旨が書かれている。

 この歌は、実験的な連作に入る前の、最後の連作の一番後ろに配置されている。「おまえ」に対して、「次の歌人のところに行きな」と呼びかけている。主体は、もう「おまえ」にあげる歌が無くなったと言っている。

 この歌はこの歌集のタイトルに含まれている、「フラッシュバック」に勝てたかどうかの結末が記されているのではないだろうか。「おまえ」は「フラッシュバックする過去」のことを指していると、私は解釈した。フラッシュバックする過去に歌を投げて、投げて、投げるものが無くなった。そして両手を見せながら、「次の歌人のところへ行きな」と過去を諭す。

 ここで、主体は「フラッシュバックに勝ってないのでは」と思ってしまう。この読みだと、勝ったというより、フラッシュバックする過去に対して、もうあげられるものが無くなったというイメージが強い。それは勝ちなのだろうか? そのもやもやと対比する虹。この虹も、あぬえぬえと書かれているせいで、注釈を読まなければ虹と認識できない。主体の背中がぼやけていくような気がしてくる。

 

 

 ここでタイトルに戻る。『フラッシュバックに勝つる』。勝つるとは、勝利を確信したときのネットスラングだ。ここで注意したいのは、『勝つる』は勝ちを確信しただけで、勝ち切っていない。勝ち切ったなら、「勝つ」になるはずだ。

 この歌集は優しい歌が多い。思い出を題材にした歌の中に、自身の不全感を前面に出したものはほとんどないように思える。それは、作者のフラッシュバックへの戦い方がそうさせているのだとおもう。フラッシュバックを否定するのではなく、肯定して肯定して、フラッシュバックを発生させるもの = 過去を見る自分と和解することで、勝とうとする。優しい戦いの先で、フラッシュバックに与える餌、つまり歌が無くなったとき、作者はこう言うのだ。

「フラッシュバックに勝つる」。

 

 優しい戦いは終わらない。本当に勝てるかどうかは、まだ誰にも分からない。

アップルパイを初めて食べた

 私は一般の人々に比べて、食べたことの無いものが多いらしい。

 例えば、パスタだとつい半年前までミートソース(などを代表とするトマトソースを使用したもの)とナポリタンしか食べたことが無かった。半年前にやっとペペロンチーノを食べたが、まだカルボナーラは食べたことがない。

 以下にペペロンチーノを初めて食べた時の話を書いたので、よろしければどうぞ。

komugikokomeko.hatenablog.com

 基本的に自分がある程度美味しいと確信を持って言える食べ物以外の関心が薄く、新しく出てきた料理にはあまり興味がわかない。1日に基本3回しかないご飯の時間で、リスクを冒したくないという気持ちがある。

 社会に本格的に進出してからは、自分の食べたいものだけを食べていればいい、というわけにもいかなくなってきたので、結果自分では絶対頼まないような料理を食べることもしばしばある。

 こういった受動的なお食い初めはしばしばあったのだが、能動的なお食い初めはあまり無い。舌が安定志向に走っているためだ。

 しかし、最近能動的にお食い初めをしたものがある。それはアップルパイだ。

 

 元々、子どものころはリンゴが苦手だった。理由は今となってはよく分からない。給食でリンゴが出ることがあっても、大体は残していたように記憶している。しかし、高校に入ってから、母親が毎日弁当にリンゴを入れるようになった。世が世なら拷問である。無理やり拷問を受けていると、次第にあまり苦痛を感じなくなって、最後には食べられるようになった。これを労働に置き換えると、気分が悪くなるのでやめましょう。

 こうして、リンゴを食べられるようになったのだが、リンゴ界を代表する食べ物、アップルパイだけは食べずに過ごしてきた。リンゴを甘く煮たものは割と好きだったので、食べれば好意的な反応が身体で起こるとは思ったものの、食べる機会が無かった。アップルパイがあるお店では、大体それ以上に自分の好きな食べ物が存在するからだ。リンゴ煮で思い出したが、以前クックパッドに、「CCレモンでリンゴを煮ると美味しい」と書いてあったので、レシピ通り試したら全く美味しくなかった。悔しい。世が世ならクックパッド抵抗軍を作っていたと思う。テニスコートの誓いに似たものを、暇な皆さんと一緒にやりましょう。

tenniscoat_chikaitaina@gmail.com

 アップルパイを食べない生涯を送ってきたのだが、つい最近食べる機会があった。

 ある日、タリーズコーヒーに行った。いつもはココアを頼むのだが(ココアは美味しい。今回言いたいことはこれです)、その時は朝から何も食べていなかったので、食べ物を頼むことにした。

 時間帯がお昼過ぎだったためか、軽く食べられそうなものがアップルパイしかなかった。一回けじめをつけたほうが良いと思い、アップルパイを注文することにした。すると、「あたためますか?」と尋ねられた。アップルパイはあたためても美味しいらしい。ライフハックだ。

 せっかくだからあたためてもらうことにして、席を確保して少し待つ。アップルパイが運ばれてきた。ナイフとフォークもついてきた。アップルパイはナイフとフォークで食べるらしい。これまたライフハックだ。

 食べてみることにする。ナイフとフォークを握る。1回目はリンゴまで届かず、ただのパイだった。2回目もリンゴまで届かず、ただのパイだった。3回目こそはと思ったが、またもや届かず、ただのパイだった。

 そして4回目、やっとリンゴに届いた。そこで新たな事実を発見する。タリーズコーヒーのアップルパイにはキャラメル的なクリームが入っていた。リンゴとキャラメルとパイが手をつなぎながら、口へ入ってくる。

 美味しかった。

 

 良い体験をしてから数日後、街を歩いていると、急に無に全身を強く打ち付けられ、無になりかけていた。身体の輪郭が曖昧になっていたため、これはまずいと思い、急いで近くのパン屋に逃げ込んだ。

 どのパンを買おうか迷っていると、アップルパイと言う文字が目に入った。これしかないと思い、会計を済ませ、電車に揺られ、家に帰ってアップルパイを食べた。

 美味しかった。

 気が付くと輪郭は元に戻っていた。

 

 こうして、私の好物にアップルパイが追加された。アップルパイを食べたいので、暇な人々はアップルパイを各自で食べましょう。

 applepie_kakujidetabeyou@gmail.com

Nicolas Jaar『Sirens』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

Nicolas Jaar『Sirens』

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 2016年リリース。

 RA(Resident Advisor)という、エレクトロニックミュージックを取り扱う音楽メディア兼ウェブサイトが存在する。その中にアルバムのレビューがあり、丁寧なことにSoundcloudやBandcampのリンクが載っているものもある。それを視聴しながら、購入したいアルバムリストにアーティスト名とアルバム名を載せるという作業を日々繰り返している。アルバムのレビューの日本語訳が2016年でストップしていて、英語版を見るのだが、何が書いてあるのかよく分からない。こういう時に英語をしっかりやっておけばよかったと思う。何事も自分の経験という範囲に引っ張ってこないと、モチベーションは上がらないものだ。

 その中に今回紹介するアルバムもレビューされていた。曲が聴けるリンクなどは掲載されていなかったが、ジャケットに一目惚れして購入した。作者の父親がアーティストで、作品の1つである『A Logo for America』を引用しているとのことだった。しかし、作品はコインで傷つけられている。雨のように見えるが、雨よりも存在感が強い。

 

 結論から言うと、このアルバムは私が2018年に購入/レンタルしたアルバムの中でTOP3に入ってくるほど良かった。

 1曲目の『Killing Time』が出色で、11分という長めの曲だが、緊張感、終末感が持続する。ゴゴゴゴという小さい音で始まり、1分ほど経つとウインドチャイムとガラスが砕ける音、それを踏みつける音、そしてピアノが何度も繰り返される。それが終わると、ピアノの音だけが静かに残る。中盤でピアノの音に霊のように輪郭がはっきりしないボーカルが乗ると、まるで崩壊した都市を歩いているような気分になる。

 実際に、私の住んでいる土地で大雪が降ったとき夜に、この曲を聴きながら歩いたのだが、本当に曲と状況がマッチしていて、感動してしまった。

 日本版では2曲目にボーナストラックが入り、3曲目の『The Governer』に移行する。1曲目とは打って変わって、途中で激しいドラムの音が入り、その後からサックスとピアノが混ざる。ビートの無い『Leaves』を挟み、静と動を繰り返す『No』が始まる。歌というよりはスポークンワードに近い。ノイズやギターがコラージュのように挿入される。

 ドドタタというドラムが印象的な『Three Sides Of Nazareth』が終わると、最後の曲『History Lesson』が始まる。静かでゆったりとした曲だが、歌詞はかなり辛辣かつ悲観的なことを言っている。途中の一部分を引用して翻訳すると、『チャプター1:台無し、チャプター2:またしても台無し、またしても、またしても』である。

 曲の話からは逸れるが、ボーナストラックを2曲目にして、この曲が最後であることを保持できたため、時々洋楽の日本盤である、ボーナストラックがアルバムの雰囲気と合ってないため、余韻が薄れるといった事態は避けられている。

 

 視聴できるところを見つけられなかったため、購入するのはためらわれるかもしれないが、悲観的かつ終末的なこのアルバムを、夜に聴くことで、あなたも心を動かされるかもしれない。

 

同人誌『She Loves The Router』(2018年に読んだ本・冊子)

 家に大量の未読本がある。読む量と買う量が釣り合っていないためだ、3000円までだったら「おっ! お買い得じゃん」と思ってつい本やCDを購入してしまう。「本や」と打つと指がキーボードが踏み外して「ほにゃ」と打ってしまう。かわいらしい。

 本はその時売っていても、次に来た時には売っていないこともある。個人が発行している冊子ならなおさらだ。文学フリマなどで買いすぎてしまうのは、次に売っているのか分からないため、脳のブレーキが緩くなってしまうためでもある。

 今回紹介する同人誌も、去年の文学フリマ後に存在に気づき、ああやってしまったと思っていたところ、今年のゴールデンウィークで開催された文学フリマ東京で何とか見つけたものである。こういう幸運は何回も続くわけではない。

 

『She Loves The Router』

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 この冊子は歌人である谷川由里子氏と、堂園昌彦氏が「とにかく好きな人や作品を読みたい人を集めた一回きりの同人誌」というコンセプトで発行されたものである。タイトルは「猫がパソコンのルーターに乗っかっている」様子を描写したTwitterでの呟きが元になっている。

 表紙を見ると、何か圧倒されるものがある。猫がルーターに乗っているという微笑ましい光景には有り余るほどのエネルギーだ。ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の表紙を思い出した。

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 内容は短歌の連作が5つ、評が2つ、冒頭に30首の連作が掲載されている宇都宮敦氏のエッセイが1つである。連作に関しては、一番好きな歌を引用していきたい。

 

【短歌】

宇都宮敦『この星の夜』

みんなみんな酔っぱらってる明け方にいくつのあかり 誰の呼び捨て

 

 宇都宮さんの連作は歌の中で起こっている出来事の空気感がこちらまで届いていて、どれも読んでいて良かったのだが、その中でもこの歌が一番グッときた。

 酔っぱらっている人たちがいて、街のあかりといういくつもある光と、明け方という1つの光が共存する時間帯。そこから聞こえる誰かが誰かにした呼び捨て。四句と五句の間が一字空けしているのは、呼び捨てが酔っぱらったみんなの騒めきから呼び捨てが聞こえて、一瞬騒めきがおさまったことを表しているのだろうか。もう空気感が最高で、酔いも相まって多幸感がにじんでくる。

 

吉田奈津『戦い』

ふがいない名人ばかりが会いに来る こんなエールがひと夏続く

 

 ふがいない名人って一体何なんだろう? 名人なのにふがいないんだな、名人なのに声に自信がなさそうな気がする。「こんなエールがひと夏続く」ということは、誰かが(おそらく)主体にエールを送るのだけれども、なんか頼りない。励ましの言葉として良いものなんだけど、言う人がなんだかふやふやな感じ。手でつかみきれないけど、妙に腑に落ちる喩えだった。

 

武田穂佳『小さいおにぎり』

 

表情がはじめにわからなくなってぐんぐん遠のく白鳥ボート

 

 池を見ていると、白鳥ボートをこいでいる人がいる。その人たちが主体から遠ざかるにつれ、具体的な人間の特徴は消え、肌色と服の色だけになる。その時にはじめにわからなくなる(ぼやける)は確かに表情だよなあと思う。白鳥ボートはあまり早く進まないが、「ぐんぐん遠のく」 という言葉によって、白鳥ボートが具体物から抽象物になり、やがて点になって消えていくような感覚になる。

 余談だが、作者が大学短歌バトル大学短歌バトル2018で掲出していた歌がかなりグッときたので、それも引用したい。

 

生きてさえいれば 無人の円卓のラスクのざらめがはなさぬ光 (大学短歌バトル2018 1回戦中堅戦 題『ラスク』)

 

堂園昌彦『地図』

君に貸してすぐに返ってきた地図に夢の鉱山を書き加えること

 

 まず、地図に夢の鉱山を書き加えるという行為がひかりを帯びている。すぐに地図が返ってくるということは、目的地をすぐ把握したということだと思うのだが、そこに主体が夢の鉱山を書き加えることで、把握できない目的地が生まれる。最後が「こと」で終わるのも、そのまま歌が通り過ぎずに留まるような効果があるように感じられる。

 

谷川由里子『夏のクイーン』

公園は すごろくだったら上がりかな 梅雨の晴れ間にあらわれる公園

 

 初句と二句の間に一字空けがある。一見空けなくてもいいように見えるが、空けることによって、主体の沈黙と息づかいが見えてくるように思えたので、個人的にはこの一字空けは成功しているように思える。

「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は雨があがったことで、人々が公園で憩い出す、つまり人々が公園を思い出すことを、「あらわれる」と言ったのだろうか。

公園を「すごろくだったら上がりかな」と言っている主体の中で、「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は辿り着きたい、ひかりのような場所なのかもしれない。

 この連作は主体の息づかいが聞こえてくるようで面白かった。主体の息づかいや周りの空気感を感じられる歌は個人的にヒットすることが多い。

 

【評】

鈴木ちはね『夏のみぎり』

 筆者が歌会で出会った歌である、

 

夏のみぎり あなたにの頭にアロハシャツ投げて10年帰ってこない/谷川由里子

「ラインナップ」(『ヒドゥン・オーサーズ』惑星と口笛ブックス 2017.5.26所収)

 

 について論じている。「夏のみぎり」という言葉に立ち止まった筆者はなぜこの言葉が選ばれたのか、別の言葉に置き換えながら論じている。改作によって得るものと失われるものが提示されているため、丁寧だと感じた。その中で主観的な時間感覚というワードが出てくるのだが、私が感じた主体の息づかいも、歌の中で立ち上がる主観的な時間感覚によるものなのかもしれない。

 

谷川由里子『感覚の逆襲 歌会でみつけた素晴らしい短歌』

 この評では、筆者が歌会で出会った7つの歌について論じられている。筆者は、ある歌に感じたときめきを書き言葉にする際、そのときめきは失われると述べている。それでも、ときめきを不特定の読者に伝えるために書く。ときめきを伝えるときに取りこぼしてしまう何かについては、今年の5月に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会で服部真里子氏が似たような主旨の話をしていた。好きなものから感じ取った良さを伝えるのは嫌いなものから感じ取った嫌さを伝えることの数十倍難しい。

 それでも、筆者は歌から感じたときめきを書いていく。難しいとわかっていても書く。私は筆者と話したことはないが、実直なひとなのだろうなと思う。

 7つの短歌を紹介されて、私は以下の歌が一番心に残った。

 

菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら/山階基

(第0回 北赤羽歌会 2017.4.11)

 

  同人誌を読んでみて、谷川氏、堂園氏が好きな人や作品を読みたい人から作品が届いた時に感じたであろうときめきを、こちらも味わうことができた。一回きりのメンバーと銘打ってあるので、続編を望むことはできないが、続編が無いとわかっているからこそ、記憶に残る部分もあるのだろう。

 

 ちなみに、神保町にある古本屋、古書いろどりにて『She Loves The Router』は委託販売されているとのこと。売り切れている可能性もあるため、問い合わせたほうが確実かもしれない。通販も行っている。購入したい方は早めに行動したほうがいいだろう。

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