コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

この世はでっかい炎のマーク

7月20日(月)

 今住んでいる家には天窓がついていて、光が入りやすい部屋の設計になっている。

 それ自体はとても良いことだと思うが、窓を開ける(もしくは光の加減を調整する)ための紐が居室に思いっきりぶら下がっていて、体調によっては首吊り用の紐に見えてくる時がある。

 幸いなことに(本当に幸いと言えるのだろうか)、首を吊るためには高さが足りないため、設計者の意図かどうかは分からないが死ぬために使われることは薄そうだ。この建物で死人が出たと言う話は聞いたことがないし、大島てるを見ても炎は上がっていない。少し説明をすると、大島てるというサイトでは、何らかの死者(事件や孤独死など)が出た物件には、炎のマークがつく。

 地球では数え切れないほどのアパートで火のマークがついていて、宇宙から見れば一つの大きな炎に見えるのかもしれない。この世はでっかい大島てる。

 精神的にかなり沈んでいる時期に、天窓の紐を首にかけてみたことがあったのだが、首に触れる金属の冷たさが妙に記憶に残っている。

 真似をしているだけでも、向こう側に引っ張られそうな気がしたため、首にかけるのはその時だけに留めている。

 

7月26日(日)

 たにゆめ杯という、インターネット内で行われた短歌の賞の結果が発表された。私が応募した作品はコンプライアンス賞だった。コンプライアンス賞? どうやら審査員賞みたいなものらしい。大賞だとAmazonギフトカードが貰えたので悔しい。

 なんとなく良いところまではいくんじゃないかなという予感がしていて、その予感が外れて自分のことを嫌にならずに済んだので安心した。

 発表されて少しした後、この賞の審査員を務めていた御殿山みなみさんに全首評をいただけたのでうれしい気分になった。

 以下のリンクより連作を読むことができる。個人的には連作の中で漫才師の歌が一番気に入っている。

  この文章を書いているのは11月末なので、連作を作って4か月ほど経過しているが、遠い昔のような気がする。

 連作が出来上がってしまうと自分の身から離れたような気持ちになる。今は年に1回短歌冊子を作って連作の整理をしているため思い出す機会があるが、作らなくなると自分の連作を管理しなくなるように思う。

 もしかしたら既に、私の記憶から消えかかっている、以前私が作った連作がインターネットを漂流しているのかもしれない。