コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

2017年に買った(借りた)アルバム②

 2017年に買った(借りた)アルバム紹介の第2弾です。ネットの情報から新しいアーティストやアルバムを知る場合があるので、それらに対する還元的な意味合いと、今年はどれだけ借りたのかという備忘録的な意味合いがあります。ただ、それだけです。

 

石野卓球『Mix Up Vol. 1』 

MIX-UP(1)feat.DJ.タッキュー・イシノ

MIX-UP(1)feat.DJ.タッキュー・イシノ

 

  1995年発売。電気グルーヴの楽曲制作を受け持つ石野卓球によるDJミックス。1曲目のDUMDUM TV「D.D.T.Vμ-ZIQ INVADE」では面食らうが、基本的には踊れるタイプのミックス。

 

北園みなみ『lumiere』

lumiere

lumiere

 

 2015年発売。ポップス職人、北園みなみの2枚目のミニアルバム。3枚目のミニアルバムである「Never Let Me Go」は冬の匂い漂う名アルバムだったが、このアルバムは1曲目の「夕霧」以外個人的にはしっくりこなかった。 

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Autechre『Move Of Ten』

Move Of Ten [日本先行発売!!・ボーナストラック付き国内盤] (BRE-31)

Move Of Ten [日本先行発売!!・ボーナストラック付き国内盤] (BRE-31)

 

  2010年発売。収録時間は53分ほどだがEP扱い。このEPの前に発売された『Oversteps』と比べると、のれる曲が多いと思う。しかし、Autechreなので素直にはのらせてくれない。

 

Coldcut『Sound Mirrors』

Sound Mirrors

Sound Mirrors

 

 2006年発売。日本ではガキの使いのオープニングが有名なColdcutが、前作から9年ぶりにリリースしたアルバム。私としては初Coldcutだったが、抱いていたイメージ(もっとカットアップを多用すると思っていた)と違い、あまりしっくりこなかった。歌ものが多い。

 

LCD SoundsystemLCD Soundsystem

Lcd Soundsystem (Dig)

Lcd Soundsystem (Dig)

 

  2005年発売。踊れるパンクロックが2枚組で入った、LCD Soundsystemの1stアルバム。4つ打ち主体のロックは最近では結構多いが、今でもカッコよさを保っている。

 

これで合計10枚になりました。

 

 

短歌(351~360)

 短歌を10首並べるコーナーです。

 

 最近は連作を作ってみようと考えている。タイトルだけはずっと使いたいものがあって、それは「地方都市EP」という名前である。テーマはおそらく地方都市である。今回の短歌には関係がない。また、今年の秋の文フリでは小説と短歌を配布するよていである。これも今回の短歌には関係がない。

 

【351~360】

葉桜かどうかは私が決めること今を今だと思わず進め

 

いつもいつも私を不幸にしてくれる君がちぎって分けてくれるパン

 

ノーロープ有刺鉄線恋心電流爆破超デスマッチ

 

あ、どうも。短歌の神の息子です。警備会社に勤務してます。

 

牛乳に相談なんてできるかよ世界は全て恋敵だぞ

 

友人は微笑む 顔を入れ替えるアプリで遺体になっている俺

 

番号札5番がよく似合っている 君の前世は5番なのだろう

 

神様とじゃんけんをして負けたので人間として生かされている

 

現実を長い時間直視すると失明するおそれがあります

 

ビー玉の中で美しく歪むペットボトルと食いかけと俺

 

 

 次回もよろしくお願いします。

魔法が使えなくても生きたい

 皆さんの中には精神というものが存在する。基本的に精神は無言であるが、たまにウムになったりアーになったりウーになったりアッアッになったりする。年を取るにつれてウムやアーやウーやアッアッは増えていく傾向にある。なぜなら自由が利かなくなるからだ。少しずつ義務が増えていき、日常的なプレッシャーとなぜ俺はこんな人生なのかという解決されない疑問と将来へのただぼんやりとした不安がごちゃ混ぜになる。その結果Twitterで鬱々としたポエムを連投し始めたり、社会に対する不満が吐き捨てられたツイートをひたすらRTするようになる。こんな現実なら生まれる前に生まれるか否かこちらで判断させてくれと思ってしまってもしょうがない。

 何かに対するぼんやりとした不安を抱えたとき、人々が何に走るかは個人差がある。私の場合はある特定のアーティストの曲ばかり聴くようになる。例をあげると、椎名林檎倉橋ヨエコアーバンギャルド戸川純などだ。要するに耳がメンヘラになるわけである。Coccoは入っていない。

 特に以下の動画をひたすら繰り返して見ることが最近多い。

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 この曲は「さよならをおしえて」という曲だ。この動画のアレンジが個人的に1番好きである。元々この曲はフランソワーズ・アルディというフランスの歌手の『Comment te dire adieu(さよならを教えて)』のカバーなのだが、かなり禍々しい歌詞に変化している。どちらの曲もいい曲なので、みなさん何かしらの方法で聴きましょう。

 この動画を見ると、歌う前と歌っている時ではかなり表情が変わる。何かが憑依したようだ。その姿に非常に憧れを覚えるし、動画の途中で手招きをしている戸川純に誘われて、そのまま動画の向こう側に行ってしまいそうである。

 おそらく、というか確実に、私には変身願望があると思う。以前女装をする機会があったのだが、あれはハマる人がいても仕方ないなと感じた。鏡に普段の自分ではない人間が写っているとき、何とも言えない気分の良さを感じるのだ。私は大体の人のルート漏れず、大学4年生のときに就職活動をしていたのだが、Tommy February6椎名林檎セカンドアルバムのジャケットになろうと考えていた。

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しかし、面接で落ちてしまい、色々あって今は世田谷区にあるラーメン屋さんに、もう冷やし中華をやめるように圧力をかけるバイトをしている。先輩に圧力のかけ方を教えてもらいながら、正社員を目指して頑張っているが、Tommy February6椎名林檎セカンドアルバムのジャケットになるという夢も捨てきれないままである。

 ある日、朝目覚めてみると魔法が使えるようになり、その力でTommy February6椎名林檎セカンドアルバムのジャケットになることができるのが1番良い方法である。しかし無理な話である。現実はいつまで経っても現実であり、どこまで行っても現実である。そういう事実を突きつけられ続けると、何もかも嫌になるときがある。そしてまだ死にたくないと思うのだ。まだ死にたくないという思いはいつも持ち続けている。死にたいにベクトルが行く人も多いが、なぜ現実に折れてこっちが死ななきゃいけないんだよと思ってしまう。最後の最後まで現実に譲歩したくはない。

 何とか生き残り続けて、ひたすら現実の壁を殴っていたら、いつの日か椎名林檎のPVのように、現実がバラバラに砕け散るかもしれない。その日まではどうにか生き続けたい。

 

2017年に買った(借りた)アルバム①

 アルバムをちょくちょく買っている。新作旧作は問わない。私は飽きっぽいので、同じ曲をずっとは聴いていられない。また、アルバムに対しての好奇心は旺盛なので、少し気になる曲があるとその曲が収録されたアルバムがほしくなる。

 2017年どれくらいアルバムを買った(借りた)のかが気になったので、備忘録としてブログにアップする。ブログのプロフィールに「不備忘録」と書いてあるが、気にしない。洋食って看板に書いてあるくせに和食をバリバリ提供しているお店はいっぱいあるのだから。

 また、ただ並べるのもアレ(アレには好きな言葉を当てはめましょう。言葉は自由なのだから)なので、感想を一言二言述べている。しっくりこなかったものは「しっくりこなかった」と書く。しっくりくるかどうかは通販番組でよくあるフレーズを引用しておきたい。

※個人差があります。

 気になるものがあったら買うなり借りるなりしてほしい。しなくてもいい。人生はあなた自身が決めるのだから……。

 

想い出波止場『水中JOE』

水中JOE (HQCD)

水中JOE (HQCD)

 

  1992年発売。カオスとカッコよさと気の抜けた感じに溺れるアルバム。当ブログでも紹介済み。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

The Avalanches『Since I Left You』 

Since I Left You

Since I Left You

 

  2000年発売。サンプリングミュージックで1番多幸感のあるアルバム。おもちゃ箱のように音楽が飛び出す。当ブログで紹介済み。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 STUTS『Pushin'』

Pushin'

Pushin'

 

  2016年発売。PUNPEEとの共作「夜を使い果たして」は2016年でも5本の指に入る名曲ではなかろうか。

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The Cinematic Orchestra『Every Day』

Every Day

Every Day

 

 2002年発売。架空映画音楽集団。3枚あるアルバムの中で1番好き。特に『All Things to All Men』はラップとジャズが融合し、スリリングささえ感じる。

 

Amon Tobin『Bricolage

Bricolage

Bricolage

 

 1997年発売。私の中で2番目に好きなアーティスト 。他の作品で見られるハチャメチャさはまだ感じないが、カッコイイブレイクビーツが聴けるアルバムである。

 

 毎回5枚ほど紹介していく予定である。

芸術家タイプなんてごまかさずに社会不適合者と正直に言ってくれ

 地方都市で生きている人間からすると、東京は全てがある場所のように見えてしまう。地方都市には最低限が存在するが、それ以上は見つからない。何かを見つけるためには、東京に行くしかない。なんだかんだ言って、東京が1番良いに決まっている。地方都市についての短歌の連作を作ろうと考え始めている。

 先週東京に行く用事があった。私の仕事はブログを読んでいればお分かりのように、食パン専門の耳鼻科である。学会が東京で行われるため、新幹線で東京へ向かった。

 学会に出席し、偉い人の話を半永久的に聞いた後、懇親会に参加する。食パン専門の神経科なども将来作られるかもしれませんねなどと適当に喋り、その後ビジネスホテルに泊まる。ビジネスホテルでは眠るまで通販番組を見ている。通販番組ほど何も考えずに見ることのできる番組はない。最近は青汁がすごいらしい。人間もすごいんだぞ。

 翌日はタワレコに行った。気になっているアルバムを買った。特に話す相手はいない。

 その後渋谷の中古CDショップに行った。大量のCDが所狭しと並べられていて、思わず圧倒されてしまう。何時間も掘り続けないといけないなと思ったが、友人と一緒だったので急いで欲しいアルバムを5枚ほど見つけて購入する。今後何回か通わなければいけないなと感じた。欲しいCDを掘り当てるのは楽しい。いつまでも時間をつぶすことができるだろう。

 その後は高円寺あたりをふらふらしていた。根がサブカルなので、そういう場所をふらふらするのは楽しい。そういった空気感で一生生活できればと思うのだが、お金が無いとどうにもこうにもならないので、好きな空間で深呼吸をしたあと、息を止めて働く。環境には不満がないが、仕事や社会という概念と適合しないのでどうにもならない。適職診断でずっと芸術家タイプと言われた人間の成れの果てだ。芸術家タイプの皆さん、一緒に村を作りませんか?

 友人たちとお酒を飲む機会があった。そこで「宗教にはまりそう」と言われてしまう。確かにと思ってしまう。常に救われたいと思っているし、救われるために何かに取り組んでいる。最近は短歌だ。単価が宗教に置き換わってしまうことだってあり得る。というよりも、短歌を宗教として崇めているのかもしれない。なんとなく救われたいという気持ちを抱きながら、短歌を作ったり文章を書いたりTwitterで無意味を生み出したりしている。生活が終わっているわけでもないのに救われたいのは甘えなのだろうか。弱い人間である。なんとなく救われたい人、一緒に宗教を立ち上げませんか? あ、最近大川隆法に似た人を街中で見かけました。

短歌(341~350)

 今年はシンプルに暴力が流行る。

 短歌の時間です。心に引っかかるものがあれば幸いである。暴力まんじゅうとか暴力をモチーフにしたゆるキャラ、ボウちゃんとか、色々考えている。

 今年こそ暴力が流行る。

 

【341~350】

お化粧と色とりどりの服を着て美しいまま捨てられるゴミ

 

ゴミ袋を抱えてどこまでも逃げる正しい星に居場所などない

 

青春の死にぞこないが僕たちをイオンモールに連れていく夏

 

アパートの隅に転がる死にたいを今日こそ捨てに行く たぶん行く

 

猫背にも異なる種類があることを教えるために行くブックオフ

 

スーパーの半額になったパック寿司だけが人生全てなんだよ

 

暮れていった奴にさよならを送ろう タバコはきっと夜でも吸える

 

きっと俺は東京スカイツリーラインという名前を許せずに死ぬ

 

ものすごい先輩風で髪型がおかしくなって笑ったふたり

 

暮れなずんでばかりの町を逃げ出す日 夜は夜だから好きになれない

 

 

 次回もよろしくお願いします。

読書感想文その13

 本を最近また読み始めた。1日の大半を水中で過ごしているので、たまに外に顔を出したくなる。その役目を担っているのが趣味であり、読書なのだ。

 色々な知識を頬張って、何かしらにアウトプットすればいずれ救われるかもしれない。そんなことを思いながら日々生きている。私は短歌や小説を時々詠んだり書いたりしているのだが、それらを作る大きな理由の1つとして、一生に一度くらいはものすごいものができて、その時魂は救われるのではないかと考えているからだ。社会に不満は抱いていないけれど、何かしらのぼんやりとした不安がいつもつきまとっている。そういう不安に打ち勝つために、何かしら訳のわからないものを作っているのだ。

 前置きが長くなったが、読書感想文のコーナーである。

 

石黒圭『語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング』 (光文社新書

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

 

 皆さんは自分のことを語彙力があると思いますか? 私はあれがやばいのでこれになってしまう。さすがにこれになるのはやばいと思い、なんか紙束がいっぱい売ってるところでそれを買って読むことにした。結果、やばいことが書いてありやばいと思った。

 著者の石黒氏は語彙力を、語彙の量(豊富な語彙知識)×語彙の質(精度の高い語彙運用)と定義していて、どちらに偏ってもいけないと述べている。確かに語彙力を鍛えようとしてたくさん言葉を覚えたとしても、使い方が悪ければ宝の持ち腐れになってしまう。時と場所と状況を考えた使い方をしなければならない。

 また、書き言葉と話し言葉の違いについて書かれていた部分は興味をそそられた。これは語彙の質にかかわってくるだろう。確かに、書き言葉には適しているが、話し言葉には適さないものもたくさんある。

 石黒氏は語彙を様々な切り口から紹介している。語彙を増やすためにはどうすればいいか、言葉を使うときどこに気を付ければいいかなど、日本語をしっかり使うためのヒントを我々に与えてくれている。最近の社会的背景と語彙を照らし合わせている場面もある。

 この本を読んだからと言って、語彙力が豊富になるわけではない。しかし、語彙力と日本語について考える良い機会になる。この本を読み、語彙について意識して書く/話すだけでもかなり違うと思う。私自身も語彙力があるほうではないので、これから語彙力を適したやり方で鍛えていきたいと思う。やみくもに鍛えてもあまり効果がない。これは筋トレと同じだと思う。

 

穂村弘『整形前夜』(講談社文庫)

整形前夜 (講談社文庫)

整形前夜 (講談社文庫)

 

 サバンナのぞうのうんこに心情を吐露することでおなじみ、穂村氏によるエッセイである。ちなみにタイトルになっている『整形前夜』 は、「整形前夜ノーマ・ジーンが泣きながらウサギの尻に挿すアスピリン」という短歌が元らしい。ノーマ・ジーンとは20世紀を代表するセックスシンボルである、マリリン・モンローの本名である。

 穂村氏のエッセイは、自意識と世界のズレを書いたものが多い。理想の自分に憧れつつも、なかなか行動に移せない、それでも理想を捨てられずに生きる人間の叫びのようなものだ。結果として、短歌で成功した(成功とは何か?)ので、自意識はある程度報われているし、結婚もしている。自意識過剰な人間は私も含めてこの世にたくさんいるが、何か行動しないと報われないのだ。これは報われた先輩のエッセイである。先輩に続け。

 この本の1番興味深い部分は、穂村氏の考え(思想)がはっきりと主張されているところである。我々は世界を「生き延びる」必要があり、「生き延びる」ためには「用」「役に立つ」「なくては困る」ものに目を向けていなければならない。しかし、穂村氏は「不要」「役に立たない」「なくても困らない」ものの重要性を説き、それらに目や耳が向かなければ「生きている意味がない」と感じている。

 意味だらけの世界は疲れるし、できれば私も無意味をとことん愛したい。しかし、社会は無意味を認めてくれない。意味に必死にしがみつきながら、半ば社会に対する反抗として、意味のないツイートをしてみたり、短歌やブログを書いたりする。こういうことをやっていると適性検査などで「芸術家タイプ」と書かれ、社会に適合しないことが示される。

 また、もう1つ興味深かったのが「共感」と「驚異」について書かれた3つのエッセイである。穂村氏は詩や俳句や短歌が読まれづらい理由として、「わからない」からだと述べている。そして、今の読者は「わからない」という「驚異」よりも、「泣ける」「笑える」という「共感」を求めていると主張する。よくあるパターンとして、若い表現者は「驚異」を求めるが、年をとるにつれ過去の重みが増し、「驚異」から「共感」に移行する。しかし、最近は若者たちが「共感」よりにシフトしている。「ありのままでいい」「しあわせは自分の心が決める」など、普遍的な言葉が若い人々の共感を読んでいる。その世界を穂村氏は危惧している。

 「共感」とは意味ではないか、と私は考える。意味のある言葉たちが沢山の人々の心を掴む。一目で意味が分かるものが好まれている結果、分からないものは分からないまま処理されているのではないか。個人的には、今の人々は分からないものを「シュール」という言葉にとりあえずカテゴライズしているような気がする。そういった使いやすい言葉に分からないものを詰め込んだ結果、その引き出しは壊れ、永遠に開けることができなくなるのではと、私は恐れを抱いている。

 私にとって『整形前夜』は、読んでクスリとできるエッセイというよりも、意味との闘いに立ち上がらせてくれるための気つけ薬のように思えるのだ。