コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

2814『新しい日の誕生』

f:id:komugikokomeko:20180822224533p:plain

 2015年リリース。t e l e p a t h テレパシー能力者とHKEからなるユニット、2814の2ndアルバム。

 Vaporwaveのカテゴリーで語られることが多いこのアルバムだが、スクリュー、ループされたノスタルジアを漂わせる、真っすぐなVaporwaveからはかけ離れている。数十年前の歌謡曲やCMといった素材は使われず、駅のアナウンスや雨など、都市の日常をサンプリングしている。また、Bandcampにあるこのアルバムのページには、Vaporwaveというタグは付けられていない。その代わり、『cyberpunk』『dreampunk』『future ambient』といったタグが付けられている。サイバーパンクとう単語は、ジャケットの意味を脱臼させられた日本語からも垣間見ることができる。

 タグが表すように、このアルバムは未来の都市の空気を音にしているのだ。未来と言っても、人類の進歩と調和をまとった輝かしい空気は一切感じられない、どこか湿り気を含んでいて、夕方から深夜を延々とループするような未来である。

 この空気を作り出しているのが、徹底的に輪郭を滲ませたリズムと、空を覆うような持続音である。

 物悲しげなピアノと空気のようにどこまでも広がる持続音の後に、パトカーのサイレンが遠くで鳴り響く『恢复』、アナウンスが所々で聴こえる、電車で半分眠っているようなアンビエント曲、『遠くの愛好家』の2曲を聴けば、脳は架空の都市へと向かっていく。その後も、雨降りの都市のアンビエントが耳を覆いつくす。このアルバムの描く未来は、ずっと雨と夜が続いているらしい。

 このアルバムは、作業をする手を止めてしっかり聴くというよりは、寝る直前にかけていたら、いつの間にか眠っていた、という聴き方のほうが個人的にしっくりくる。寝る寸前の、意識と思考の輪郭が滲む時に耳に入ってくるこの音楽は、あなたを遠くへと連れて行ってくれるだろう。

 おすすめ曲は、『恢复』と『遠くの愛好家』。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

第9回漂流歌会に参加しました

 東京は分母が多い。

 様々なイベントの数が多いため、面白いイベントに巡り合う可能性も高くなる。その分、ハズレを引く可能性もあるのだが。まあ、地方にいると、引けるもの自体がかなり限られていることも多く、やはりイベントの分母が多いことはそれだけでアドバンテージになるよなと思う。幸い、住んでいる地域から新幹線一本で東京に行くことができるので、出来る限り東京で行われるイベントには参加しておきたい。東京は人の分母も多いため、面白い人がいる可能性も高いからだ。

 

 7月7日(土)に行われた、第9回漂流歌会について感想を書いていきたい。

 

 普段は新潟で活動している空き瓶歌会に参加しているのだが、他の歌会も参加してみたいと思い、6月は石井は生きている歌会@福島に参加した。その歌会が面白かったので、他の歌会も参加してみようと思い、調べてみると土曜日に行われる歌会がヒットした。それが今回参加した漂流歌会である。

 会の詳細を見てみると、短歌・歌会初心者にも丁寧で分かりやすい説明と、会場でパフェが食べられるらしい。パフェは良い。甘くて美味しいうえに背が高いし。

 また、主催者のショージサキさんとは、ゴールデンウィークに行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会で一度お会いしたことがあり、面識の全くない人だけしかいない歌会に行くよりも心理的なハードルが低いため、参加表明がしやすいというのもあった。最近行った歌会に関しては、この批評会がきっかけになることが多く、Twitterに閉じこもっているより現実に出ていったほうが得られるものも多いということに7年以上かけて気づく。Twitterで「高速道路の煮つけ」や、「コミュニケーションドラゴン」などと呟いていても何も得られるものはないのだ。

 

 当日になり、新幹線に乗って東京に向かう。新幹線に乗っている状態で、地図アプリなどで現在地を見ると、ずんずん動くので笑ってしまう。

 2時間と引き換えに東京に着く。昼ごはんには丁度いい時間帯だったので、ラーメン的なものを食べた気がするのだが、いまいち覚えていない。まあ、経験則的にラーメン以外食べているはずがないので、おそらくラーメンだろう。

 適当に時間を潰しつつ、時間になったので会場の珈琲西武に向かう。歌会が行われる部屋に入ると、人々が存在していた。ドリンクを頼む流れになったので、メニュー表をめくる。悩んだ挙句コーラにしたのだが、後でソーダフロートがあることに気づく。私は町で一番ソーダフロートやメロンクリームソーダが好きなのだが、皆バラバラの飲み物を頼んでいたため、勝手に飲み物を被らせてはいけないのだとマイルールを作ってしまい、変えることができなかった。

 3時過ぎになり、主催のショージさんが到着し、歌会の流れが説明される。導入の部分がかなり丁寧だったため、歌会が初めての人に対してかなり配慮がされているなと感じた。

 歌会の流れとしては、選(良いと思った短歌をいくつか選ぶこと)をしてから感想・評を述べていくものが多いような気がするが、漂流歌会は感想・評をしてから選をするというシステムだった。

 短歌が1つずつ紹介され、ランダムに人々が当てられていく。中には作者が自分の短歌の感想・評を言うパターンもあった。私もそのパターンだったのだが、普段参加している空き瓶歌会(新潟で行われている歌会で、私もよく参加させていただいている)で何回も経験していたため、そつなくこなしたと思っているが、思っているだけである。

 感想・評を述べるときに、私は韻律に目を向けることが少なく、どちらかというとその短歌が出している空気感に目が向く。映し出している世界に入ろうとしていく傾向がある。短歌は歌なので、もう少しリズムにも目を向けたほうが良いのかもしれない。自分の評がどうだったのかは、なかなか客観的に見ることはできないので、できる限り悔いの残らないよう歌にぶつかっていく必要がある。そんなことを考えた。

 全ての短歌の感想・評が終わると、どの歌に選を入れるか考える時間が設けられる。もしくは、パフェを食べる時間と言い換えることもできた。

 

 

 私が考えているパフェは、高くても600円くらいなのだが、珈琲西武では900円くらいする。本気の価格設定だ。あなたはパフェと本気で向き合ったことがありますか?

 私の頼んだチョコレートパフェはフルーツやアイスクリームがのっている、想像以上に背の高いやつだった。バスケットボール選手並みのパフェと、あなたは対峙したことがありますか? 高さの割にはすんなり食べることができた。

 パフェをあらかた食べ終わると、どの歌に票を入れたのかを発表する時間が設けられた(パフェを食べたのが先か、選を発表したのかが先か忘れてしまった)。選の結果に左右されすぎるのは良くないが、まあ多くの人が自分の歌に票を入れてくれるのは嬉しいものである。今回はそこそこ票が入ったので嬉しかった。

 その後は懇親会が行われた。

 私は予定があったため中抜けしたが、暖かい雰囲気で懇親会も行われたのだろうと思う。なお、数回のチャレンジを経て今回、酢モツが苦手だということが判明した。

 

 漂流歌会は、今まで参加した歌会の中で、一番歌会初心者に対して親切(歌会の流れや選の入れ方など、導入がかなり丁寧)だと感じた。次はいつ開催されるか未定だが、漂流歌会をきっかけに歌会に参加してみるのも良いのかもしれない。パフェを食べることもできます。パフェを、食べることが、できます。

 

 あらゆる感想に当てはまることだが、良い・悪いだけで判断を終わらせてしまうと、感想の目の粗くなってしまい、物事のイメージ、感覚、空気を掴み損ねてしまう。歌会に参加すると、もっと歌を掬わなければと感じる。物事としっかり向き合って感想を書いていくことで、感想の目をできるだけ細かくしていきたいと感じた。

天気予報『雰囲気』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

天気予報『雰囲気』

f:id:komugikokomeko:20180805200023p:plain

 2017年リリース。天気予報の2ndアルバム。おかしなアーティスト名から察せられる通り、Vaporwaveに属している。

 Vaporwaveには、様々なサブジャンルが存在している。その中の1つにBroken Transmission(もしくはsignalwave)というものがある。ざっくり言うと、国内外のテレビ・ラジオCMをサンプリングしてあまり加工せずに使用したものがこのジャンルに入る。1分前後で移り変わる曲、少し古い素材のチョイスなど、Vaporwaveの話をするときに時々出てくる『ノスタルジア』『消費』というワードにかなり密接したジャンルでもある。ある程度素材をスクリュー(素材のスピードを下げる)するものもあるが、中にはほぼ加工しないで使用する場合もある。今回紹介するアルバムは後者である。

※Vaporwaveのサブジャンルについては、ショコラ氏が翻訳したBandcampの記事に詳しく書かれている。

ameblo.jp

 

 曲のタイトルを見ていくと、天気に関係しそうなものから、『緊急警報システムのビープ音』、『粛殺』、『差し迫った破滅「Termination」』といった不穏なもの、『人文』『ッ』といった良く分からないものまで多種多様である。

 

【トラックリスト】

 

  このアルバムの面白いところは、ところどころでCMブレークと銘打たれた、文字通り何本かのCMが流れるだけの曲が何回か登場するところである。個人的には、「焼肉焼いても家焼くな」という、妙に小気味良いフレーズが特徴だった日本食研のCMが入ったところは耳を聴き張った。

 90曲中、89曲はCMや耳をそのまま通り抜けそうなBGMを加工した、短い曲で構成されているが、90曲目の「差し迫った破滅「Termination」」は、3分超というアルバムの中で一番長い曲になっている。中身もどこか雲行きの怪しい、アンビエントである。聴き終わった後に何か消費しきれないしこりが残る。

 短いながらも、90曲入ったアルバムなので、がっつり聴くというよりは、BGM代わりに流しておいたほうが合っていると思う。私は寝る時に聴いている。

 

 

 トラックリストは以下のリンクに掲載されている。 

www.discogs.com

 

【好きな短歌②】「下剤飲んだからかな・・・」って話してる人がいたんだけれど そうだろ/伊舎堂仁

「下剤飲んだからかな・・・」って話してる人がいたんだけれど そうだろ/伊舎堂仁

(伊舎堂仁「100万」、2018年)

 

 電車に乗っている時や、外食をしている時、ふと他人の会話を受信してしまう時がある。だいたいの場合、それらの会話は進行中のものであるため、脈絡などを置き去りにした言葉だけが頭の中に入る。

 この歌では、誰かが言った『「下剤飲んだからかな・・・」』という会話の断片を主体はキャッチしている。その断片だけを頭の中に入れて、少し考えてみた結論が『そうだろ』である。

 『下剤』はお腹の中にある便を強制的に排出する薬である。『整腸剤』と比べると、効き目がかなり強い。単語としても『下剤』は強制力を持っていて、この単語が来た瞬間、お腹の中に溜まった便が排出されるイメージをどうしても持ってしまう。

 この会話の断片の前には、「腹が痛い」や「腹がすっきりしている」のような、お腹に関する話題が他者同士でされていると思われる。この歌では明示されていないが、『下剤』が強制的に腹というイメージを連れてくることによって、読んだ人は会話の様子を理解することができる。

 強制力が導き出す結論は、『そうだろ』という投げやりな肯定である。下剤を飲んだという前提が他に考えられる理由を消してしまう。ただただ強力な前提を肯定するしかない。この話が耳に入った人は皆、『そうだろ』という結論に至ってしまう。至らせる力がこの歌には宿っている。

 結句は大幅な字足らずになっているが、一字空けが入ることにより、他者の会話が耳に入る→脳に伝わる→解釈する→結論を出すという過程が結句を補い、リズムを崩さない。

 会話が耳に入った時に起こりうる反応の1つを、そのままの状態で歌にしていて、感嘆してしまった。

 

 この歌が入っている連作「100万」は、人が何かをした/言った時の空気や思考をそのままこっちに送ってくる。パッケージを整えすぎて、空気や思考が原材料名の一番後ろに入るような状況を、しっかりと回避している。是非読んでいただきたい。 

 

note.mu

 

 

 

SAYOHIMEBOU『卡拉OK♫スターダスト東風』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 今年聴いたアルバムの紹介をしていく。アルバムを買う/借りるペースと、ブログを書いていくペースが全く合っていないため、どんどん溜まっていく一方である。今回紹介するアルバムもおそらくまだ雪が降っていた頃に購入したものである。

 結構時期によって購入するアルバムのジャンルが偏る時期があり、この頃はBandcampでVaporwaveに属するアルバムを多く購入していた。今後、Vaporwaveに属するアルバムの記事が全体の半分近くを占めていくだろう。Vaporwaveというジャンルは、多くの存在がかなりの速度でリリースするため、休みの日にいくつも聴いて、気になるものを購入している。

 Vaporwaveに属するものの多くは、大まかなカテゴリー分けをすることができるのだが、今回紹介するアルバムは、カテゴリーで捉えきれないものになっている。

 

SAYOHIMEBOU『卡拉OK♫スターダスト東風』

f:id:komugikokomeko:20180717220417p:plain

『卡拉OK♫スターダスト東風』は、SAYOHIMEBOUの2枚目のアルバムである。

 ジャケットを見ると、怪しさが漂ってくる。やけにけばけばしい色合いに日本人形のような髪形のキャラクター(ツノが生えている)、ジャケットの縁や漢字は中国を連想させる。

 このごちゃまぜ感はアルバムに収録された曲にも当てはまる。基本的にテンションが高く、目まぐるしくリズムやメロディが変わっていく。ドリルンベースが投げ込まれたと思えば、別の曲ではゆったりとした蒸気のような音楽に変わり、落ち着く暇もなくバッキバキのアシッドが展開され、最後はアーメンブレイクをサンプリングする( 曲名からして、『DEEPWEB拉麵ブレイクWWW』である)。Bandcamp内につけられたタグからして、『experimental』『hardstyle』『ambient』『electronic』『chillwave』『electronic』『experemental』『future funk』『idm』『nu disco』『plunderphonics』 『vaporwave』と、まるでおもちゃ箱やごった煮のようである。SAYOHIMEBOUのすごいところは、それらのジャンルを1曲単位で行うのではなく、1曲の中に全部詰め込もうとしているところだ。一聴するとVaporwaveとタグのついたアルバムでよく見られる、スクリューや執拗なループで作り上げるぼんやりとしたノスタルジーは薄めだが、曲のタイトルの滅茶苦茶さを見ると、Vaporwaveだなと思う。

 前述しているが、基本テンションが高いため、聴くと耳がバッキバキになる。朝起きてこのアルバムを聴いて外に出たら、世界がやけにすっきりして見えるかもしれない。

 個人的に好きな曲は、アルバムの中では比較的落ち着いた曲調に、やけに主張してくるドラムが印象的な『HOTELプレタポルテ1987』、最序盤の比較的乗りやすいリズムから、様々な音が耳を所狭しと飛び回る『卡拉OK♫スターダスト東風(feat.MCヘブンズドア&ヘルズエンジェル)』、いきなりバッキバキのアシッドを耳に浴びせる、謎のボイスが耳を襲う『スナック広東303号室 (飲茶ブリーチmix)』である。

 めくるめく飛び出してくる万華鏡サウンド、是非聴いてみてほしい。

 

 

The Caretaker『An empty bliss beyond this World』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 寝る時に音楽をかけていないと安心して眠れない。無音、なおかつ眠る前は頭の中で反省文を書くのに最適な時間だからだ。音楽があったほうが気持ちよく眠れるのだが、歌詞やリズムが耳につくことがあるため、専らアンビエントを聴くことになる。

 今回は寝る前に聴くのに丁度良いアルバムを紹介したい。

 

The Caretaker『An empty bliss beyond this World』

f:id:komugikokomeko:20180711220238p:plain

『An empty bliss beyond this World』はThe Caretakerの8枚目のアルバムである。どんなアルバムなのかと言われると、おそらくアンビエントに属するだろう。アメリカの音楽メディア、Pitchfork内の『The 50 Best Ambient Albums of All Time』という記事に載っていて、そこでこのアルバムを知った。

 このアルバムの特徴は、埃っぽさである。家の奥底で、埃をかぶって何十年も開けられていないレコードを流しているようなアルバムだ。ブチブチとしたノイズが絶えず聞こえてくる。また、1900年前半のサイレント映画のサウンド版で流れてそうな音楽をサンプリングしている。こもったような音質が、埃っぽさをさらに感じさせる。後半になると、さらにレコードノイズがひどくなり、ノイズの雨の中からぼんやりとピアノや金管楽器が現れてくるように思えてくる。

 目を閉じながら曲を聴いていると、頭の中で白黒映画が上映されたような気分になる。どんどん身体が白黒になっていくような気がしてきて、いつの間にか眠っている。

 このアルバムに関しては、曲に着目するよりも、アルバムを通しで流して、雰囲気に浸るほうが合っているように思える。聴いていて耳が疲れないのも夜に聴くのに適している。

 寝る前に、レコードノイズと埃をかぶった音楽が流れるこのアルバムを、小さめの音量でかけてみてほしい。

 

 

 ちなみにこの人はいくつか名義を持っていて、その中のひとつにV/Vmという名義がある。この名義では結構癖のある曲(人によっては曲と言うのをはばかるかもしれない)を作っていて、上のアルバムを作っている人とは思えない。

 

www.youtube.com

 かの有名な『Imagine』をサンプリングした曲で、曲名もそのまま『imagine』である。『Imagine』を歪ませまくったこの曲は、歌謡曲をスクリューするVaporwaveに似た雰囲気を感じさせる(ちなみに、Vaporwaveのアーティストが集まってThe Caretakerのトリビュートアルバムを作っていたりするので、親和性はあるように感じられる)。

 

保坂和志『カフカ式練習帳』(2018年に読んだ本・冊子)

 基本的に文章と言うものは、完結する。どこか作者の意図するゴールに向かって文章は進んでいく。

 小説も同じだ。基本的には結末に向かって進んでいく。まるでチャンネルを回したかのように、文章の意味、設定、空気が途中で違うものになることはほとんどない。

 今回はそのほとんどから漏れ出した小説を紹介したい。

 

 うどんはコシがあるものが好きだ。コシが無いものは私の中のうどん判定機がうどんと認識してくれない。

 今日のお昼はうどんを食べたのだが、うどん判定機は認識しなかった。目や舌はうどんのデータを脳に送り込むのだが、判定機が動いていないため、「確実にうどんとは言えない何か」を食べていることになる。

 

保坂和志カフカ式練習帳』

f:id:komugikokomeko:20180710211754j:plain

カフカ式練習帳』の一番の特徴は、様々な長さの文章が立ち現れては消えていく点だ。隣の家の話、猫やカラスの話、友人の話、子どもの頃の話、さらにはカフカの小説の一部分や天声人語が引用されることもある。

 また、いくつかの断片をまとめたものには、タイトルがついているが、一番最初に出てくる断片の冒頭が、そのままタイトルになっている。

 それだけではない。文章が最後まで終わらないこともある。まるで曲が終わり切っていないのに、他の曲の再生ボタンを押すか

 

   「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方

   法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行

   使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれ

   た思考の書きとり」

        (アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚』 岩波文庫)

 

 全ての断片が全然違うものなのかと言われると、そうとも言えない。引用される文章はカフカが多く(作者はあとがきで、カフカが書き遺した断片から、この小説の発想を得ている旨を述べている)、作者の嗜好が垣間見える。また、猫の『マーちゃん』に関する話が何回か出てくるほか、ゆるやかに断片同士が繋がりをもっているように思えるものもある。『マーちゃん』の話に代表されるように、作者は猫に思い入れがあるらしく、猫に関する断片は何回も登場する。

 

 最近の定義は人によって違うらしく、2、3日前の事を最近と呼ぶ人もいれば、数年前のことを最近と言う人もいる。最近の範囲は人によって様々である。誰かが「最近できたお店のラーメンがすごい美味しいんだよ!」と言ってきた場合、もしかしたら10年前にオープンしたラーメン屋であるかもしれないので注意が必要である。まあ、地球にしてみれば100年や1000年という単位は最近の出来事であり、最近は伸び縮みが容易な物体として認識されることになる。

 

 この本を読み終わったとき、1冊の本を読んだはずなのに、いくつかの短編小説を読んだような気持ちになった。しかも、それらの短編小説は空気感を共有している。全く違う場面が次々と出てくるのに、本の世界に入っていけるのは、断片たちが空気感を共有しているおかげで、断片が変わっても生活が頭をよぎらないためだろう。

 少し変わった小説なので、意図を求めたくなる人もいるかもしれないが、作者も「おもしろいと思うところを拾い読みしてくれればいい」とあとがきで述べているので、この断片は特段面白いなあ、くらいの気持ちで読むのが一番この小説に合っているのかもしれない。やっていることは結構特殊なのに、読んだ後に疲れないのは、断片たちの世界が無理のないものだからだろう。

 

 「胸のつかえ」に「目薬」をさすという比喩に一瞬引っかかりを感じる。胸のつかえに目薬をさすことは正しいのかと思う。しかし、心にすっきりしない何かがあり、それを取り除いてすっきりとした気分にしてくれるという感情を表すのに目薬は最適解だと思う。胃薬とかだと何も引っかからない。