コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

怖い卓球部『スマッシュ1』

 世の中にはコンピレーションアルバムというものがある。

 割と見かけるものとしては、あるアーティストの既存の曲を再編集したアルバム(ベストアルバムも含まれるのだろうか)や、とあるレーベルに所属しているアーティストの曲を詰め込んだものが挙げられる。

 その他にも、ある一定のコンセプトを基にした楽曲を集めたものも存在する。例えば、イングランドのレーベルであるSkam Recordsには、猫の鳴き声を使ったトラックというコンセプトのもと制作されたアルバムが存在する。

 今回は、とあるコンセプトのもと製作されたアルバムを紹介したい。

 

怖い卓球部『スマッシュ1』

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 2018年リリース。怖い卓球部のファーストアルバムである。

 このアルバムのコンセプトは2つ。「15分以内にトラックを制作する」「作詞時に15秒以上手を止めない」である。キックやスネアの音1つで何日も掛ける人がいると考えると、15分は制作時間としては異例の短さである。また、15秒以上手を止めないという制約は、技巧を凝らした作詞を困難にさせる。リアルタイムに思いついた言葉をはめ込んでいくしかない。

 これだけ聞くと、完成度的にはどうなのかという話になってくるかもしれない。しかし、このアルバムは完成度という次元ははるかに超えていた。

 総勢11人がこのアルバムに参加しているが、何人かは素性が全く分かっていない。Twitterのアカウントすら不明である。リーダーは青木龍一郎氏という人物で、HASAMI groupというバンドで活動している。ちなみに、このバンドが最近リリースした『MOOD』というアルバムがかなり良かったのでそちらもぜひ聴いてみてほしい。

 アルバムの話に戻ると、1曲目の『ミドリガメ』からただ事ではない雰囲気に襲われる。ドロドロとしたギターに、ミドリガメを飼ったことの後悔とこれからの決意が歌われている。サイケデリックさまで感じるこの曲を15分で作れるなんて、どんな才能の持ち主なんだと思ったが、工藤将也氏という名前以外、ほとんど情報が無かった。

 4曲目の『【本物】おトク情報』では、簡素なリズムに「年金を払わなければ年金払わない金がもらえる」という納得できそうでできない歌詞が繰り返される。「めちゃめちゃ暑いからそうなったんだって」というあんまりな理由と、投げやりな合いの手で笑ってしまう。

 8曲目の『オカマ登場』は、名が曲を表している。もうそのまんまである。青木氏がtumblrにて掲載している曲紹介によると、この曲を制作したケンセイ大森氏の作曲時間、作詞時間はともに0秒とのことである。15分ですらない。

 9曲目『万引きイスカンダル』は、その後HASAMI groupの『MOOD』というアルバムで、『特盛! 万引きイスカンダル』という名前で再録されている。10曲目の『最期の言葉』はアルバム内で最短の曲である(わずか17秒)。ひたすら「うんちの声が聞こえる」を連呼しながら、横でうんちが叫んでいる。ちなみにこのアルバム、歌詞の題材で、うんち(うんこ)被りが発生している。

 14曲目の『SPACE MONKEY』は、やけに不安定な声でスタートし、落ち着いた感じで締めるのかと思いきや、最後で乱れだす。訳の分からなさが極まってくる(歌詞すら意味を汲み取ることができない)15曲目の『CLONE6』、対照的に落ち着いたギターを聴かせる16曲目『氷山の一角』が続き、最後の曲『理由なき坊主』が始まる。

 この曲は打ち込みのトラックに、「理由のない坊主が怖い」という主張を広げていく曲なのだが、最後の歌詞で空中に投げ出されてしまう。投げ出されたままアルバムは終了する。

 

 17曲で23分と、ランタイムはかなり短いのにもかかわらず、聴いた後に良く分からない不安さ、満足感を感じてしまう。歌詞も脳から特急便で届けられたようなものばかりで、適当さと面白さ、怖さが混ぜごぜになっている。次のリリースがあるのかはまだ不明だが、次があってほしいと感じるアルバムだった。

 ちなみに、tumblrではボツ曲が公開されていて、ボツになった理由も載っている(かなり酷評されている)。確かに、その歌詞が入ってくると浮いてしまうように思えるし、15秒っぽさをあまり感じられなかった。

 

 以下のページからアルバムをダウンロードできるので、是非聴いてみてほしい。

http://iaodaisuke.web.fc2.com/kowaitakkyubu/smash1.html

 

 また、青木龍一郎氏が収録曲の解説を行っている。

怖い卓球部 活動記録 - 怖い卓球部「スマッシュ1」解説

 

【トラックリスト(カッコ内は制作者)】

01.ミドリガメ (工藤将也)
02.越谷 HYPER サロン(yyyyyyyy)
03.うんちポッキー(虚無G) 
04.【本物】おトク情報(しゅごしゅぎ) 
05.Piano From Paul Rhythm Noise Machine(Kotaro Tanaka)
06.長い昼寝(青木龍一郎)
07.かゆい(虚無G)
08.おかま登場(ケンセイ大森) 
09.万引きイスカンダル(青木龍一郎)
10.最期の言葉(わたらい) 
11.隣町のバーバリアン(てす彦)
12.卓球(chouchou)
13.New Guitar(Kotaro Tanaka)
14.SPACE MONKY(わたらい)
15.CLONE6(MEATBOY)
16.氷山の一角(Kotaro Tanaka) 
17.理由なき坊主(青木龍一郎)

 

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私の頭の中のIKKO

 夕方、訳も分からず病院へ行くことになった。状況も呑み込めないまま車に乗せられる。どうやら父方の叔父が今日もたないだろうという話で、最期を看取りに行くとのことだった。

 だが、自分はその親戚にあまり思い入れがなかった。小学生の時に何回か会ったことがあるような気がするが、ここ十年近くは顔も見ていない。悲しい場に、そこまでの悲しさを持ち合わせていない人間がいていいものだろうか。家族には申し訳ないが、遠くの良く分からないホームセンターに行くときと同じくらいのテンションだった。

 病院に着き、受付で部屋番号を教えてもらい、家族に合わせて速足で病室に向かう。中では数人の親戚がもうすでにベッドを取り囲んでいて、時々声をかけている。すぐに父親もベッドへ近寄る。自分は窓の近くに陣取って、時々窓の外を見た。窓の外にはチェーン店がいくつか見える。あまり面白い風景ではない。

 病室では一定の間隔で電子音が鳴っている。おそらく心拍数を表しているのだろう。親戚たちがかわるがわる叔父に何かを喋っているが、応答は無い。

 時間が経つにつれ音の間隔はゆっくりになっていき、そのたびにすすり泣く声が聞こえる。結構な時間が経ったような気がしたが、時計を確認するとまだ病院に来てから20分ほどしか経っていない。レジ打ちのバイトで、人があまり来ない時間帯と似た気持ちになった。

 病室に来てから1時間ほど経ち、ついにその時はやってきた。心拍数が短い音を鳴らすのをやめ、病室に長い単音が響き渡る。医師が叔父の状態を確認している。一旦消えたすすり泣きが、何倍にもなって響きだしたその時だった。

「ぜつめいぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 突然、脳内にIKKOが現れた。

「ぜつめいぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 追い打ちをかけてくる。

「クククッ……」

 その場の緊迫感も相まって、変なツボに入ってしまった。近くにいた母親が振り向く。笑っていることを悟られないように下を向く。

「午後7時39分、ご臨終です」

「りんじゅうぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「グハハェ」

IKKOの追撃に、思わず声を出してしまった。そこそこ大きい声だったらしく、その場にいた全員が自分のほうを向いている。人が亡くなったときに、勝手にツボにはまっていることが知られたら、自分はおろか、両親まで冷たい目で見られてしまう。口を覆い、すすり泣くふりをした。

 何とかその場をやり過ごしたが、後で父親にそんなに思い入れがあったかと尋ねられてしまい、誤魔化すのに苦労した。

 この一件以来、IKKOが時々脳内に現れるようになった。しかも、決まって緊迫感のある場面で。

 

 病室での襲来から1か月後、自分は就職活動を行っていた。

 ある日、面接のためにとある会社を訪れていた。受付の人に案内され、控室で待っていると、突然あいつはやってきた。

「めんせつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 足をつねりながら、笑いを耐えていると、人事がやってきて、部屋へと案内してくれた。中には役員がいるとのことだった。

 深呼吸をしてドアをノックした瞬間、再びIKKOがやってきた。

「にゅうしつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 まだドアを開けていなかったから良かったものの、完全に口元は緩んでいたと思う。

 自己紹介は何事も無かったが、ほっとしたのもつかの間だった。

「大学生活で一番頑張ったことを2分程度で話していただけますか?」

「サークルぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「ゴヘェ、大学ではサークル活動を……」

 この辺りから、役員の顔が険しくなったように思える。

「この志望動機だと、どの会社でも言えるんじゃない? なんというか……」

「あっぱくぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「ンヒィフゥ」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」

 その後もIKKOの襲来に警戒しながら面接を続けたため、かなり的外れな受け答えをしてしまったと思う。面接官もしきりに首をひねっていた。案の定、数日後にお祈りメールを受け取ることになった。

 面接のたびにIKKOが出てくるので、3社受けて3社とも落ちてしまった。まだ他にも手札はあるが、このままだと全滅しかねない。

「ぜんめつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 お祓いに行ったほうがいいのかもしれない。しかし、霊と同じように、消滅させることはできるのだろうか。あくまで頭の中のIKKOは、自分が作った

まぼろしぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 登場頻度が増えている。このままだと、そう遠くないうちに脳をIKKOに支配されてしまうかもしれない。近いうちにお祓いにいくことにしよう。

【好きな短歌④】ボウリングだっつってんのになぜサンダル 靴下はある あるの じゃいいや/宇都宮敦

ボウリングだっつってんのになぜサンダル 靴下はある あるの じゃいいや

宇都宮敦『ギブン・ソングス』(ねむらない樹 vol.1,2018)

 

 人によって、好きな短歌、心を動かされる短歌の基準になるものが多少なりともあると思う。数十年にわたり一貫している人もいるだろうし、数か月、数週間、数日毎に変化する人もいるだろう。どちらも自分が納得できていれば良いと思う。

 私にとっては心を動かされる短歌は、簡潔に言うと「空気が動いている短歌」である。上の歌はまさに「空気が動いている短歌」だと思う。

 主体はボウリング場にいる。何人で来ているのかはこの歌の中では分からないが、その中の1人に視点は向いている。その人はボウリングをするのにも関わらずサンダルで来ている。つまり、靴下を履いていなかったのだ。

 主体はいま、遊びが成立しないという危ない状態に立たされている。その人がサンダルを履いてきてしまったばっかりに。遊びが成立しないと、別の遊びを一から考え直すか、遊び自体を無しにするかの二択になる。どちらを選んだとしても少し面倒だし、もうボウリングの気持ちでいるのにもかかわらず、やっぱり無しと言うのではもやもやが残る。

 その危機は、「だっつってんのに」という苛立ちを隠し切れない口調からも感じ取れる。促音が多用されるため、「だっつってんのに」の「だ」「つ」「て」に力が入り、口調が強くなる。

 遊びが成立しないという危機的状況を迎えた主体。しかし、サンダルの人は靴下を持っていた。靴下を持っていたことにより、危機は引き潮のように去っていく。そして、サンダルは主体の中では急速な無関心なものと化していく。

 それが下句の投げやりな口調につながっていく。「靴下はある」でボウリングが成立することがほぼ確定する。「あるの」でダメ押しをして、「じゃいいや」で、今まで歌の中で出ていた苛立ちや危機感は全て消える。日常の小さな危機から解き放たれるたとき、もうそれはどうでもいいものになる。

 ボウリングでの一幕を話し言葉で書ききる。状況を分かりやすくしようと試みれば試みるほど、話し言葉からは遠ざかっていくものだが。この歌は状況を掴みやすいのに話し言葉を失っていない。この2つを両立させることは物凄いことだと思う。

 両立させたことによって、会話の断片は景色を、そして空気をも動かしていく。ボウリング場のピンとボールがぶつかる音、流れるBGM、横並びのモニター、他の客が発する声、ボウリング場を漂う上ずった空気が頭の中で蘇ってくる。

 

 良い短歌は空気が動いていると、改めて感じさせてくれた歌だった。

Franz Ferdinand『Always Ascending』

Franz Ferdinand『Always Ascending』

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 2018年リリース。スコットランドのロックバンド、Franz Ferdinandの5thアルバム。日本にもたびたび来日しており、2ndアルバムに収録されている『Do You Want To』がウォークマンのCMで使われたり、ミュージックステーションに出演したこともある。

 4thアルバムと5thアルバムの間に、ギターとバックボーカルを担当していたニコラス・マッカーシーが脱退し、ディーノ・バルドー(ギター)とジュリアン・コリー(キーボード)が加入した。その結果、元々踊れる曲を作るバンドだったが、シンセサイザーを多用し、その傾向が強まったアルバムとなった。スタジオライブで披露された『Can't Stop Feeling』でもDonna Summerの『I Feel Love』を間に挟みこんでいたし、他にもエレクトロニックなサウンドを一時期取り入れていた、結成50周年を迎えたアメリカの兄弟バンドSparksとの共演からして、こういった方向性に進んでいくのはある程度決まっていたことなのかもしれない。

 ゆったりめのピアノから始まり、上昇音とともに四つ打ちへと変わっていく『Always Ascending』、繰り返されるうねうねとしたベースラインがディスコを感じさせ、ギターが曲の温度を上げていく『Lazy Boy』からアルバムは始まっていく。その後は初めの2曲に比べるとゆったりとした曲が続く。6曲目の『Lois Lane』はSparksから影響が表れているように感じた。9曲目の『Feel The Love Go』はシンセベースとアウトロで1分近く鳴り続けるホーンが印象的。ちなみに、この曲のPVはなぜかボーカルのアレクサンダー・カプラノスが奇術師みたいな恰好で、お客さんに気功のようなものを当てたり、スティーブ・ジョブズのような装いをしたりと、味わい深いPVになっているので一見の価値がある。

 今回のアルバムでは、キーボードのジュリアン・コリーが加入した影響からか、シンセサイザーをの比率が更に高まり、「踊れるロック」の「踊れる」部分を拡大させていった。今後この路線をどう発展させていくのか、気になるところである。

 

【トラックリスト】

1. Always Ascending
2. Lazy Boy
3. Paper Cages
4. Finally
5. The Academy Award
6. Lois Lane
7. Huck And Jim
8. Glimpse Of Love
9. Feel The Love Go
10. Slow Don't Kill Me Slow
11. Demagogue(Bonus Track)

 

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第193回ガルマン歌会に参加しました

 8月はお盆の存在により、少しだけ長い休みを取ることができた。私は普段新潟に存在しているが、元々は関東出身のため、実家に戻ってから揚げを食べたり、鎌倉に行ってジンジャエールを飲んだりした。

 鎌倉旅行については、以下の記事から見ることができます。よろしければどうぞ。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

  その他にも色々な場所へ出かけた。今回はその中の1つ、ガルマン歌会について書いていこうと思う。

 

 今年に入ってから、いくつかの歌会に参加させていただいている。去年の今頃は歌会についてほとんど知らない状態だったので、ずいぶん違う場所にいるなと感じる。普段私は、新潟で毎月一回のペースで歌会を行っている『空き瓶歌会』にお邪魔させていただいているが、8月は労働が衝突してきたため、参加できなくなってしまった。労働から慰謝料を請求したい。

 他に参加できそうな歌会を探していると、ちょうどお盆あたりに行われる歌会を発見した。それがガルマン歌会である。

 ガルマン歌会について軽く調べてみる。「ガルマン歌会は、五島、堂園、谷川が、2005年から企画運営連絡しているノーヒエラルキー歌会です(ガルマン歌会のTwitterプロフィールより引用)」とのことだった。面白そうだな、と感じたが、すぐに参加表明をすることができなかった。交流のある人が全くいなかったからだ。

 今まで参加した歌会は、話したことのある人が参加する、もしくは誘われてという形だった。しかし、今回の場合は単身踏み込んでいくような形になる。恐ろしい。

 数日迷って、参加することに決めた。5月に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会で、凄まじい熱量の頑張れを放っていた谷川由里子さんが運営に携わっているのだから、おそらく面白い歌会のはずだ、というふわふわっとした安心感が理由だった。

 批評会については、以下の記事から文章を見ることができます。よろしければご覧ください。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 ガルマン歌会のTwitterアカウントにリプライを飛ばし、数日後、メールが届いた。歌会前日までに司会の人に短歌を送れば、参加表明になるとのことだった。司会は鈴木ちはねさんだった。私が初めて購入した、短歌に関する本(歌集含む)『誰にもわからない短歌入門』の著者の1人だ。短歌に入り込むきっかけの1つを作ってくれた本の著者に短歌を送るのは、かなり緊張した。

 

 そうこうしているうちに当日になった。新幹線で東京へと向かう。寝不足だったため、新幹線ではずっと寝ていた。

 ラーメンを食べたり、中古のCDショップを巡ったりしていると、開始時刻が迫っていた。Google Mapを見つつ、会場へ向かう。なんとか辿り着く。そこは少し薄暗い部屋だった。

 来た人から座っていき、飲み物を注文する。私はブラッドオレンジジュースを頼んだ。参加者は20名以上にのぼり、テーブルにはおさまりきらないほどだった。緊張し続けていると開始時間になり、歌会が始まった。

 

 まず、自己紹介と選歌が始まった。今回は良いと思った歌を3つ、任意で逆選(3つ以外に気になった歌)を1つ選ぶ形式だった。アンソロジーや短歌総合誌で名前を見かけたことのある人も結構いた。私が持っている歌集の作者の方もいた。緊張感がぐんぐん高まる。

 また、俳句を主戦場としている人も参加者の中に結構いた。たまたまこの時だけ多かったのか、それともいつもの光景なのかは分からなかった。

 選歌が終わり、評に入っていく。参加者の方の、深くまで入っていこうとする姿勢にただただ圧倒されてしまった。私も私なりに評をしていったが、いつも以上にあわあわしていたと思う。様々な方向から様々な評が飛んでくる。歌にある1つの視点を深くまで掘っていったり、新しい視点を提示したりと、ただただ圧巻だった。脳が汗をかいているような気がした。

 何とか時間内に全員の歌の評が終わり、急いで店を後にする。会場のすぐ外で作者発表が行われた。賑やかな街の声の1つとして、様々な名前が飛び交った。

 その後はエスニック料理屋で懇親会が行われた。料理の名前は1つも分からなかったが、美味しかった。また、パクチーは苦手だということを再確認した。

 電車の関係もあり、20分程度で懇親会を抜けた。

 

 あまり他の人と会話をすることはできなかったが、谷川さんに以前書いたブログの記事についてお礼をいただいたり、懇親会のテーブルが一緒だった鈴木さん、山本まともさん、西藤定さんの話を少しだけ聞くことが出来たりと、うれしい時間があった。

 東京で行われている歌会は、遠出をするという関係上、次の日が休みでないとなかなか行きづらい部分があるが、面白かった歌会、面白そうな歌会にはできるだけ参加できればと思う。その時に向けて、良いと感じた歌をできるだけ直送できるような評ができるよう努めていければと思う。

【好きな短歌③】上海に行ってくるよと、津田沼に行ってきたよと報告し合う/五島諭

上海に行ってくるよと、津田沼に行ってきたよと報告し合う/五島諭

(五島諭『緑の祠』,2013年)

 

 どこかに行く/行ったという報告を誰かにするときは、大体はあまり行ったことの無い場所に行く/行った時である。

 この歌でも、人物Aは上海に行ってくることを報告している。上海は割と知名度があるが、日本ではないので行ったことのある人はそこまで多いわけではない。日常から少し抜け出したような特別な場所である。今度行くつもりだと報告すれば、相手はちょっとした反応を示すだろう。

 上海に行くという報告を受けて、人物Bは「津田沼に行ってきたよ」と返す。津田沼。千葉と東京近辺に住んでいる人は聞いたことのある地名だが、知名度は上海に比べるとかなり低い。特別感があるかと言われるとお世辞にもうなずきがたい。

 この歌の最大のポイントは人物Aが行く予定の<上海>と、人物Bが行ってきた<津田沼>が対等の立場であるということだ。人物Bは上海と同じ特別さで、津田沼を返してくる。歌の中で上海と一緒に並べられると、我々が普段感じている津田沼が、何か特別な場所のように見えてくる。

 この歌の中だと人物Aと人物Bが場所を報告し合ったことしか判明していない。しかし、人物AとBの信頼関係が歌によって漂ってくる。もし、普段の生活で、上海に行ってくると誰かが話していて、それと同じようなテンションで<津田沼に行ってきたよ>と返したら、少し怪訝な顔をされるか、ある種の冗談に取られかねない。しかし<報告し合う>と歌われている通り、上海と津田沼はしっかりと対等な関係を築いている。これは人物AとBの信頼関係がある程度築けていないと、成立しないのではないだろうか。

 また、この歌は上海に行ってくる人が主体なのか、それとも津田沼に行ってきた人が主体なのかが分からず、主体が固定できないようになっている。主体が特定できないことで、読者が上海に行く人にも、津田沼に行った人にも移入可能になっている。

 

 特別さを平凡さで返しても成立するような関係に、私は心地良さを感じるのだ。

鎌倉に行って歩いたこんな場所だったっけな

 最近あったことについて書いてみる。

 

 中学時代の友人たちと鎌倉に行く機会があった。大仏やLoveずっきゅんで出てくる由比ヶ浜などで有名なスポットだ。修学旅行で行ったことのある人もいるだろう。

 鎌倉は、小学校の修学旅行の時に一回行ったことがあったのだが、森の中をひらすら歩いていた記憶しかない。その頃の鎌倉は森しかなかったのかもしれない。最近行ってない、という共通認識があったため、じゃあ行ってみるかとなった。

 お盆のあくる日、鎌倉に降り立った。人が多い。どこに行くのは決めていなかったので、腹ごしらえも兼ねて店が立ち並ぶ通りを歩く。どこもかしこもしらす丼を推している。私は、しらすに関して何の感情も抱いていないが、しらす丼を食べたほうが良いのではという認識になっていく。数十分うろついた後、適当な店に入る。やはりというか、しらす丼が存在した。こういうところで豚の生姜焼き定食を頼むと、逆に感が出るのではという話になったが、観光客らしくしらす丼を注文する。注文はすぐにしらす丼として返ってきた。

 生のしらすを食べたことがなかったが、大体想像通りの味と食感だった。友人たちと近況を報告しあう。顔も思い出せない同級生たちが、ギスギスしているらしいとのことだった。

 店を出て、鶴岡八幡宮へ向かう。鳥居がたくさん生えている通りを歩くと、階段がたくさん生えている場所にたどり着いた。修学旅行の時も、こんなに階段を上っただろうか。思い出せない。そうこうしているうちにお賽銭箱の置いてある場所までたどり着く。警備員がひたすら人間を誘導していた。さらば青春の光のコントに、警備員が出てくるやつがあったな、などと考えながら賽銭を投げた。

 階段を降り、大仏を見ることで一致した私たちは、大仏の最寄り駅である長谷駅へと向かう。途中、ジンジャエールを買って飲んで、こんな味だったっけなとなった。

 電車に乗り、長谷駅に到着する。大仏までは少し歩いた。どうして駅の近くに大仏を建てないのか。いつか大仏を建てようと思っている皆さんは、駅からすぐ近くに建ててほしい。ドトールとかと同じような感じで。

 のろのろと歩き、大仏のある場所へとたどり着いた。窓口でお金を払い、大仏の写真がのった栞を貰う。チケットらしい。大仏が目の前にたたずんでいて、歩くたびにスマホを構える人が増えていく。以前、会社の同僚が大仏の後ろを見てほおーっとなった、という話をしていたため、スマホを構える人間を尻目に、大仏の裏側へと回る。

 

  

 思ったより猫背だった。あと、背中は通気性が良くなっていた。我々で言うところのメッシュ素材である。実際に行ってみて分かったのだが、大仏の後ろ姿を撮っている人は、誰もいなかった。

 その後は、大仏の中から出てきた人が誰も笑っていないという気づきや、大仏の労働基準法について話をして、鎌倉駅へと戻った。行きは電車と徒歩だったが、帰りはバスにした。バスは電車と違って空いていて、快適だった。

 遠くへ行く意欲が無い我々は、最後に鎌倉コロッケを食べて違う場所に行こうという話になった。鎌倉コロッケの看板に書かれた強気な煽り文句を見て、それならやってやろうじゃないかという気持ちになる。私はコロッケを、どれを食べてもある程度の美味しさにおさまる料理だと思っているため、そこまで期待していなかった。

 買って食べてみると、ある程度の美味しさにおさまっていた。コロッケはそういうものなのだろう。

 

 その後は横浜中華街に向かった。皆さん、横浜中華街で何をしたいか考えてみてほしい。皆さんの想像と大体同じことを私は行った。