コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

LemKuuja『jude.』

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 2017年リリース。ヨルダン在住のアーティスト、LemKuujaのアルバム。Discogsで確認したところ、どうやら3枚中2枚目のアルバムらしい。

 business casualというインターネットのレーベルからこのアルバムはリリースされている。このレーベルは基本的にFuture Funkと呼ばれる音楽ジャンルのアルバムを多数リリースしている。インターネットを漂う音楽、vaporwaveの派生ジャンルであるため、試しにBandcamp(音楽販売・ストリーミングサイト)でvaporwaveとタグが付いているアルバムの詳細をいくつか見てほしい。何度もbusiness casualという名前を目にすることになるだろう。

 Future Funkについてざっくり説明しておくと、(主に)80年代の歌謡曲をサンプリングし、それを4つ打ちにしてキックを強くして、フィルターをかけた音楽である。調べればいくらでもジャンルの解説や代表曲が書かれた記事が出てくると思うので、気になった方は調べてみてほしい。

 

 前述したとおり、このアルバムもbusiness casualからリリースされている。そのため、Future Funkなのでは?(ちなみにBandcampにあるアルバムのページには『future funk』というタグが付いている)と思ってしまうが、聴いてみるとそうともいえない。ノイズの入り方やビートが、むしろLo-Fi Hiphopに近いように思える。

 Lo-Fi Hiphopに関しては、この記事に詳しく書かれているので、気になった方は見てほしい。

www.beipana.com

 

 24時間Lo-Fi Hiphopを流しているラジオもあるため、そちらを聴いてみて、ああこんな感じかとうなずくのもいいかもしれない。

www.youtube.com

 

 話をアルバムに戻していきたい。2曲目の『jude.01』に関してはカットアップの仕方がFuture Funkらしさが少しあるのだが、ビートはどちらかというとHiphop寄りに感じる。しかし、Future Funkらしさを感じるのはその曲だけで、4曲目に『jude.03』関しては、音の質感やざらついたノイズが入っていて、Lo-Fi Hiphopに舵がきられている。なお、曲の順番とタイトルの数字が一致していないように思えるが、それは1曲目が『june.00』で、そこから数字が1つずつ増えていくためである。

 このアルバムの好きなところは、ぼんやりとした熱を感じるところだ。例えば6曲目の『jude.05』はピアノループがメインの曲なのだが、フィルターのかかり具合や、途中でブラス(?)が入るところなど、随所に盛り上がる箇所がある。しかし、Future Funkのようにこちらの腕を引っ張っていくような盛り上げ方ではなく、どこかぼんやりとしている。『jude.』というタイトルに合った熱量だと思う。

 8曲目の『jude.07』ではアニメ内の会話がサンプリングされている。海外の人はどこからこういうサンプリングを拾ってくるのだろう。途中でビートが消えてほぼそのままアニメの音声が流れているのは少し笑ってしまう。また、アルバム自体もサンプリングされたアニメの音声が流れて終了する。

 ぼんやりとした熱量を持ったLo-Fi Hiphopであるこのアルバム、10曲で24分とさっくり聴くことができるため、夜のちょっとした時間に流すのに適していると思う。

 

 その後、このアーティストの他のアルバムも試しに聴いてみたのだが、どちらもバリバリのFuture Funkだった。もちろんbusiness casualからリリースされている。 

 

【トラックリスト】

1.jude.00
2.jude.01
3.jude.02
4.jude.03 (ft. ayashi[!].)
5.jude.04 
6.jude.05
7.jude.06
8.jude.07
9.jude.08
10.jude.09 (ft. sarah)

 

 

 

【好きな短歌⑧】だいなしの雨の花見のだいなしな景色のいまも愛なのかなあ/阿波野巧也

だいなしの雨の花見のだいなしな景色のいまも愛なのかなあ

阿波野巧也『たくさんのココアと加加速度』(『羽根と根』4号)

 

 私事ではあるが、今年はお花見に行った。前日の夜に雨が降ってしまい、中止になるのではないかと思ったが、当日は天気が回復し、地面の具合が少し良くなかったくらいで楽しく過ごすことができた。雨が降っていた前日と、お花見の集合場所に向かう最中に思い出したのが、この歌だった。

 

 ほとんどの人にとって雨の花見は楽しさが半減されてしまうだろう。花を見るよりも、レジャーシートを広げて、みんなで食べ物や飲み物を持ち寄ってワイワイと過ごすほうに重きが置かれるからだ。雨が降ればその計画は<だいなし>になってしまう。強行しても晴れているときほど楽しめないだろう。この歌には桜という単語は出てこないが、花見と言えば桜を見ることを指す場合が多いため、この歌の<花見>は、桜を見ることだと解釈したい。

 また、晴れているときに見る桜は、青空によって桜の色が一層映える。また、晴れているときのほうがくっきりと桜が見えるため、より美しいと感じるだろう。雨が降ってしまうと、青空と桜のコントラストを見ることはできない。また、雨に濡れている桜も散ってしまうし、散って地面に落ちた花びらも人々の土がついた靴で踏まれて汚くなってしまう。

 この歌では助詞を変えることによって、歌にアクセントをつけているように思える。<の>が続く中で一度<な>が入ることによって、1つの助詞がくどくなるのを避けている。また、助詞が変わることによって<だいなし>具合が変わって見えるような効果もあると思う。口に出してみると、<な>で少しだけ口調が強まる。目で読む/声に出すの両方で、初句と三句の<だいなし>という言葉がそれぞれ微妙な違いを生み出している。

 主体はいくつもの<だいなし>な状況が内包されている<いま>を見つめている。そして<愛なのかなあ>と心の中で呟いている。実際に声に出しているのかもしれないが、個人的には心の中の呟きと解釈した。

 断定しないことで、歌に余韻が生じている。雨を降らせる曇り空のどんよりとしてすっきりしない感じと、結句の断定しない<愛なのかなあ>は、かなりマッチしていると思える。もし主体が<愛>だと断定していたら、この歌の良さは『だいなし』になってしまうのかもしれない。この歌の中では、雨はまだまだ止みそうにない気がするし、その分余韻も読者の中に残り続ける。

 おそらく、来年も桜の季節に雨が降ったら、この歌を思い出すことだろう。

 

 

 この歌が載っている『羽根と根』4号に関しては、現在通販を行っていないらしい。また、5月に行われる文学フリマ東京にも『羽根と根』の名前は無いので、なかなか上記の歌が入った連作をすぐに読むのは難しいかもしれない(自分も『ねむらない樹』vol.1の特集『新世代がいま届けたい現代短歌100』でこの歌を知った)。もしかしたら、今後文学フリマ等で販売されるかもしれない。『羽根と根』のTwitterがあるため、今後文学フリマでの出店や通販などがあった場合アナウンスされると思うので、気長に待ってみましょう。

Toro Y Moi『Outer Peace』

 アルバム紹介や本を紹介するときに結構長く書いてしまう傾向があるのだが、それだとあまり数をこなすことができないので、できるだけ1000字以内におさめていければと思う。みんなに紹介したい良い物は世界に沢山あるのだからできるだけ多く紹介していければと思う。

 

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 2019年リリース。Toro Y Moiの6枚目のアルバムであり、現時点での最新作である。

 私は今までToro Y Moiの存在を認知していなかったが、このアルバムに収録されている『Freelance』のPVがYouTubeのおすすめ動画に出てきたので聴いてみたところ、とても好みだったのでアルバムごと購入することにした。そのため、今までリリースしたアルバムと比較してこのアルバムについて書いていくことはできないため、ご了承いただければと思う。

 10曲で収録時間が31分ということもあり、あっという間にアルバムは展開していく。曲終わりの無音時間がほとんどないことも、あっという間に過ぎていく感覚を促す要素となっている。

 軽快でダンサブルな曲と、メロウな曲を数曲ずつ交互に織り交ぜていく構成で、前者は軽やかなパーカッションとグルーヴ感あるベースが特徴的な『Ordinary Pleasure』、体が自然に揺れるベースに時折シンセがのっかってくる『Freelance』、後者は前半のダンサブルな雰囲気を一変させる、女性ヴォーカルがフィーチャリングされた『Miss Me (feat. ABRA)』、トラップ調のリズムとメロウなメロディでアルバムを締める『50-50 (feat. Instupendo) 』が挙げられるだろう。

 前述したとおり1曲1曲が短めなので、少々物足りない部分はある。しかし、極端にアッパーでもダウナーでもないため、どのテンションの時に流してもしんどくならない。こういう普段使いができるアルバムを持っていると、家にいるときや街を歩いているときに困らないと思う。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

【トラックリスト】

1.Fading
2.Ordinary Pleasure
3.Laws of the Universe
4.Miss Me (feat. ABRA)
5.New House
6.Baby Drive It Down
7.Freelance
8.Who I Am
9.Monte Carlo (feat. WET)
10.50-50 (feat. Instupendo) 

寿司打をひたすら記録する(101~200回目)

 4月になり、皆さんはいかがお過ごしですか。新しい学校に入学したり、社会人として日々様々な経験をしたり、各々の生活があると思います。

 私は、寿司打を100回ほどプレイしました。社会人としてどうなのか、この先の人生で考えていくことにします。

 

 

 記録を付ける、という作業が好きである。『ペナントシミュレーション3』というパソコンのフリーゲームがあるのだが、そこで何十年もプレイして、各選手の成績を見ているのが楽しい。

 そういった性格から、タイピングゲーム『寿司打』をプレイして、ひたすら記録し続けるとどういった結果が見えてくるのか、タイピング速度などは向上するのかが気になり、現在寿司打の結果をひたすら記録し続けている。

 今回は101回から200回目までの結果について書いていきたい。

 

 寿司打に関する説明、チャレンジの方法やルールは以下の記事を見ていただければと思う。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 さっそく結果を報告したい。

 

寿司打(101~200回目まで)

 3月26日に101回目をプレイし、4月12日に通算200回を達成した。

 101~200回目までの記録が以下のとおりである。

 

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 前回比に関しては、前回よりプラスだった場合赤字、マイナスだった場合青字にしている。
 前回の中央値・最頻値より、360円増加している。

 寿司打のお手軽3000円コースでは、100円皿、180円皿、240円皿の3種類のみが現れ宇。また、文字数は2~7文字で、文字数と皿の値段の関係は以下の通りである。

 

  100円皿:2~4文字

  180円皿:5、6文字

  240円皿:7文字

 

 タイピングの流れとしては、2~7文字の言葉をそれぞれ3つタイピングしていく。順番は2、3、4、5、6、7、6、5、4、3の繰り返しである。1セット30皿である。

 40皿で5460円なので、前回は40皿、今回は42皿が中央値である。10文字ほどタイピングが多くできるようになった。

 平均値が中央値を下回っているのは、最小値が影響していると思われる。ホームポジションを無視してタイピングをいつもしているので、1回ホームポジションを意識してプレイしたら過去最低の結果となってしまった。

 最高値も前回を1皿分上回った。そろそろ7000円越えを果たしてみたいものだ。また、6000円越え率も前回の14%から3倍弱まで増加した。まずは4割を目指していければと思う。

 e-typingスコアは減少してしまったが、誤差の範囲内だと思う。これから回数を重ねていくうちに、どういった結果が出てくるのかが楽しみである。

 

 今まで休職していたため、おかしなペースで寿司打をプレイすることができたが、社会復帰をするため、発表ペースは遅くなると思う。300回行うと、どういう結果が出るのか楽しみである。

ネットプリント毎月歌壇との闘いが終わって

 短歌を発信する手段として、投稿というものがある。例えば新聞内の短歌欄などが代表的なものだ。選者が自分の短歌を選んでくれると、新聞にそれが掲載されるのだ。沢山刷られている新聞の中に、自分の名前と短歌が載れば嬉しく思うだろう。私は1回だけ送って、選ばれなかったのでその喜びをまだ味わったことがない。

 他にも様々な短歌投稿欄がある。野性時代という小説誌の中にも『野性歌壇』というコーナーがあるし、ネットにも『粘菌歌会』という投稿コーナーがある。私が知らないだけで、他にもたくさんの投稿欄があるのだろう。私たちは様々な投稿欄に短歌を送ることができる。掲載されるかどうかは分からないが。

 

 その中の1つとして、『ネットプリント毎月歌壇』があった。石井僚一さん(穏やかに生活を送れているだろうか)が運営を行い、2人の選者が毎月4つの歌を選び、約400字の評を書いてくださる。毎月末が締め切りで、自由詠を1首メールにて提出する形だった。ここ1年ほどは、伊舎堂仁さんと竹中優子さんが選者をしていた。

 残念ながら3月に『ネットプリント毎月歌壇』は終了となった。私は約1年以上ここを中心に投稿をしていたので、いきなり野に放り出されて、今はどの投稿欄に行こうか彷徨っているところである。

 2015年の秋頃に短歌を作り始めて、2017年の春過ぎに『ネットプリント毎月歌壇』の存在を知った。2017年の6月に試しに短歌を投稿してみたら、いきなり採用していただいた。私の短歌に評がついている。その時の私はインターネットに向かって短歌を投げているだけだったので、初めて評をしてもらうという経験をした。とても嬉しくなり、それから何度か投稿し、いくつか採用してもらった。その後、出す月と出さない月を繰り返しながら2018年の春になり、選者が入れ替えになった(それまでは石井僚一さんと竹中優子さんだったが、石井さんが抜け、伊舎堂さんが選者になった)。

 私は伊舎堂さんの歌集『トントングラム』で「短歌ってこんな面白いことができるんだ」となり、短歌にハマっていくきっかけの1つになった。どうにか評を貰ってみたいと思い、毎月欠かさず投稿するようになった。また、2017年は3回掲載していただいたので、2018年は『4回以上掲載される』という目標を立てた。

 私は負けず嫌いなので、どうしても投稿したコーナーには自分の短歌が載っていてほしいと思っている。よく載っている方が掲載されていて、自分が掲載されていないと正直言って悔しい。その歌が自分の出したものより良く感じるのも殊更悔しい。そのために自分が生活をしているときにグッときた瞬間を、いかに取りこぼさないで短歌にできるかを今まで以上に考えるようになった。毎月歌壇が短歌のモチベーションアップに繋がっていたと思う。

 結果として2018年は5回掲載していただいた。時々お二人とも選んでくださったときがあり、お二人の歌の読みや視点の違いも興味深く読ませていただいた。自分も歌会で評をする機会があるが、まだまだ評をする歌の良さを伝えきれないことも多々あり、評をする歌に申し訳ないと思ってしまう。

 2019年は『6回以上掲載される』ことを目標にしたが、実際には1年間全部掲載されるくらいの意気込みで臨んだ。毎月第三週の日曜にネプリを印刷して、紙面を見るときは異様に緊張した。

 結果、3月で終了となった2019年は3回中3回掲載していただいた。最終号のネプリを見た時に、私は掲載されたという喜びと、もうこの緊張感を得られない残念さの両方を味わった。

 『ネットプリント毎月歌壇』が終了して最初はショックだったが、結局短歌にはハマりっぱなしなので、これからも自分がこれだという短歌を作れるまで作っていくことになるのだと思う。歌会で点が入らなかったり、投稿欄で掲載されなかったりするとかなり悔しい。あまりそういうところばかり気にしていても良くはないと思うのだが、そういった悔しさが推進力となっているところもあるので、負けず嫌いとはこれからも気長に付き合っていこうと思う。

 

 こういうハマることができる投稿欄を作ってくださった石井僚一さん、最終回まで選者をしてくださった伊舎堂仁さん、竹中優子さん、そして私がこのネプリを知る前に選者をしてくださっていた方々、私に刺激と悔しさを与えてくれた他の投稿者の皆さんに、一投稿者としてこの場を借りて御礼申し上げたい。間違いなく、私が短歌を続けていくキッカケを作ってくださったのだから。

 

 最後に毎月歌壇に掲載していただいた私の短歌を載せてこの文章を終わりにしたいと思う。2017年7月から2019年3月までの短歌が載っているので、何か変化しているところがあるかもしれないし、ないのかもしれない。

 

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【横書き版】

喋るとき出る「あ」が丁度一〇〇〇回目俺の頭上で鳴れファンファーレ
(2017年7月号)

 

君に合う学部を作りつやつやの単位を飽きるまで渡したい
(2017年9月号)

 

とくと見よ最低賃金で働く俺のお辞儀の集大成を
(2017年10月号)

 

完璧なノックのために握ってたヒヨコを役員室へと放つ
(2018年5月号)

 

壇蜜は宝石型の飴玉を舐めてるらしい だけの日だった
(2018年6月号)

 

図書館を出たあとみんななまぬるい なまぬるいのを笑える人だ
(2018年9月号)

 

それなりの感謝に似合うものとしてカントリーマアムの赤いほう
(2018年10月号)

 

生活にサンタが入りこむ頃の息の白さは少し足りない
(2018年12月号・年末特大号)

 

帰ってもおもしろい日を繰り返しクリアファイルは返しそこねる
(2019年1月号)

 

ありがとうと小さく書けばネコっぽい生き物を描くべき空白が
(2019年2月号)

 

分かりたいボードゲームが全員の深夜を使い切らせてしまう
(2019年3月号・最終号)

 

Life In The Time Of Lexapro(休職日記)

 Twitterなどでは『カイリキーはどの手でお尻を拭くのか』や『ソリティアのクリア画面みたいに飛び跳ねて過ごしていたら膝を痛めた』、『週3回おもしろフラッシュ倉庫の検品をして生計を立てている』などあることないことを書いているので、記憶の整理のためにここ数か月のパーソナルな話を書いていこうと思う。

 

 NUMBER GIRLの再結成でTwitterが沸き立った2019年2月15日(金)、私は東京の精神科に来ていた。状態について思い当たることを全て記入して、診察を受けた。結果、抑うつ状態と診断された。

 

 気づいたら俺は なんとなくうつだった

 

  抑うつ状態とうつ病は違うらしく、抑うつ状態が改善されずに長期間続くとうつ病と診断されるらしい。その時は自分の状態について正しい判断ができていなかったため、本当にそうなのかなとも思ったが、その際に受けたテストで中等度の抑うつ状態という結果を見て、やっと客観的に受け入れることができた。

 

 話は年末あたりに戻る。私は人間に対して接客を行っているのだが、ある日理不尽に客に怒鳴られた。私は人に対して理不尽に怒鳴るという行為が全く理解できないため、呆然としてしまった。私の思考としては、怒鳴るという行為は通常の生活時では必要がなく、どうしても必要な時(誰かの身に危機が迫っているときなど)くらいしか行わないものだと思っている。社会を感じた瞬間だった。これを境に歯車が狂っていったように思える。

 仕事に関してもよく分からなくなっていた。何がよく分からないのかも分からない。よく分からないまま出勤し、業務をこなし、残業をして退勤した。ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気で労働をやっている。

 どうにか年末になり、そこそこ長い休みに入る。休みの中で唯一楽しい時間は退勤から寝るまでの数時間で、後はどこか視界の片隅に休みが終わるまでのカウントダウンが表示されているようだった。休日は良い眼鏡をつけているからそういう機能があるのかなとも思ったが、裸眼でも消えなかった。

 年始になり、さらに業務は忙しくなった。最初からフルスロットルで仕事をしなければ間に合わない。失敗もできない。多分仕事のスピードはそこまで遅くはないし、大きな失敗もしていないはずだったが、どうしても失敗しているのではないか、ほかの人よりかなり業務処理のスピードが遅いのではないかと思ってしまう。これは他の人にも指摘されたのだが、労働に対する自己評価が低すぎるらしい。

 

 話が重くなりつつあるので、以前作った『入院されしエグゾディア』の画像を貼っておきます。

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 寝る前も業務についての上手くいかなかった部分、明日行わなければならない業務の段取りと、その段取りが上手くいかないのではという不安が頭を占めていた。倉橋ヨエコの『夜な夜な夜な』という曲に『夜は自己嫌悪で忙しい』というフレーズがあるが、その時も忙しかった。自己嫌悪の復習と予習をしている状態だった。そんな状態なので、朝になった瞬間日差しよりも先に仕事のことが思い起こされ、なかなか布団から起き上がれなくなっていった。

 今となっては悪手だったなと思うが、こういったことは誰でも感じていることなので、自分だけが弱音を吐いてはいけないと考えていた。私はみんなより社会性が無いのだから、他の人以上に頑張らなければならないと強く思った。ミスをしてはいけない。ミスだけは絶対に避けなければならない。人より仕事ができないのに、ミスなんかしたら人様に迷惑がかかってしまう。メールの文章も、どんなに短くても最低5回は見直すようになった。書類を作っているときも、2-3分に1回ペースで最初から確認し直さないと間違えるように思えてしまい、結果作業効率が下がっていった。会社の戸締りも怖くなっていき、3-4回ほどドアを実際に確認しないと不安でたまらなかった。

 知らない人と話すのにはかなりのエネルギーが必要だが、1月末には人と話しているのが疲れる状態になりつつあった。コミュニケーションは使える回数が決まっていて、それを使いきると呻き声に似た何かしか発せなくなる。ポケモンのPP(技を使用できる回数)みたいなものなのかもしれない。

 正直1月中旬から休職にいたるまでの1か月ほどは殆ど記憶が無く、黒いもやもやで頭が覆われている感じである。具体的に思い出そうとすると脳のチェーンがかかり、締め付けられるような気分になる。

 

 2月くらいになると勤務中に吐き気を催すようになった。実際に嘔吐してしまうことはなかったが、もし嘔吐してしまったら自分の不調を自覚してしまい、弱い人間になってしまうのではないかという恐怖があった。また、死にたいと思うことが増えてきて、以前購入していた『刑務所の中』という漫画を読んだ時に、あっちの世界のほうがいいなあと感じるようになった。

刑務所の中 (講談社漫画文庫)

刑務所の中 (講談社漫画文庫)

 

 どこかで感情を小爆発させたほうがよかったとも思ったが、私が社会で作ってきた穏やかなキャラクターが崩壊してしまうのではないかという懸念が頭をよぎった。このブログへと流れついた新社会人の皆さんは、あまり穏やかで真面目なキャラクターになってしまうと、後々しんどくなるかもしれない。気を付けてほしい。

 友人とも遊びに行ったのだが、慣れないことをしたのでかなり感情的になってしまう場面もあった。友人には対面で謝ってはいるが、もう一度この場を借りてお詫びしたい。自分の機嫌は自分で取らないといけないのに。

 

 そして2月の中旬、お客さんに無茶ぶりをされた瞬間、頭の中で糸が切れてしまった。限界だ、限界だ、限界だと思いながら休憩に入り、先輩の社員さんと話した瞬間、涙が止まらなくなってしまった。その後上司と話し合いがあり、そこでも涙が止まらなかった。子どものころから過呼吸的な泣き方が抜けきらないので、泣くと自己嫌悪に陥るのだが、それでも止まらなかった。

 結局、病院に行くためにお休みをとることになった。

 

 重い話が続いているので、金沢で見つけた金箔の貼り方が雑すぎるソフトクリームの模型を貼っておきます。

 

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 地方にいる方は気を付けてほしいのだが、近くの精神科もしくは心療内科の予約を取るのは、かなり時間がかかる場合がある。自分の場合は3件ほど電話して2件は予約が取れない状態、1件は3週間後だった。また、紹介状がないと受け付けてくれない病院もあった。それだけ疲れている人が日本には多いのだ。

  結局東京の病院に行くことになった。実家が関東にあるのは大きかったと思う。

 病院に入るとまず問診票を書いた。今までの症状を書けるだけ書く。その後診察を受け、医者に症状と今の環境について話すと、抑うつ状態になっているという診断を受け、今はその仕事から離れたほうがいいだろうということになり、診断書が出された。

 

 

 1月上旬の私、かなり勘が鋭いな。だだっ広い土地は見に行っていないけれども。 

 その後2つほどテストを受け、カウンセリングの予約をして薬を処方してもらった。貰った薬の中にレクサプロというものがあり、私はその単語に見覚えがあった。そうだ、Oneohtrix Point Neverのシングルだ。『Love In The Time Of Lexapro』という名前で、『抗うつ薬時代の愛』とでも訳せばいいだろうか。印象的だったので覚えていたのだ。ちなみにOneohtrix Point Neverの『Replica』というアルバムが好きでよく聴いている。亡霊のようなサンプリングで構成された曲たちが、何とも言えない気分にさせるのでぜひ聴いてほしい。

 

Love In The Time Of Lexapro 日本独自企画盤CD [解説 / ボーナストラック2曲収録 / 数量限定盤] (BRE58)

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  • アーティスト: ONEOHTRIX POINT NEVER,ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー
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 こうしてレクサプロ時代の生活が始まった。

 

 1人暮らしをしていたため、生活リズムはぐちゃぐちゃになっていた。深夜3時過ぎに寝て、昼すぎに起きる。仕事のコミュニティ内にいる人に合ってしまったらと考えると恐ろしく、人がそこそこいるところだと鳴っている音のどれか1つが私を呼びとめているのかもしれないと考えると気が休まらない。誰も知っている人がいなさそうな夜にご飯を買いに行って、それ以外は寝ているかスマホをいじっていた。Twitterくらいしかやることがない、というかできることがないのだった。結局、会社からの提案で実家のある関東で療養することになった。

 2回目に精神科へ行ったときにテスト結果を渡された。抑うつ度のテストで、60点満点中大体20点以上だと抑うつの可能性が高いらしい。結果は大体40点で、中程度の抑うつ状態だった。また、もう1つのテストではコミュニケーションで多大なストレスを抱えていて、それを発散できていない傾向があると言われた。テストの結果が出て初めて、私の精神は今健やかな状態ではないと認識することができた。自分で自分を追い込んでしまうと、精神状態を客観的に判断することがいつも以上に難しくなる。また、発散する媒体もほとんどなかったのだろう。人には心配をかけたくないし、SNSはそういう使い方を全くしていなかった。精神の話を長々と文章にするのはこれが初めてだと思う。

 

 話が重いので、1回『ゲームキューブの起動画面に轢かれる男の子』の画像を貼っておきます。

 

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 2月下旬ごろから、生活リズムを整えるために毎日同じようなスケジュールで動くようにした。朝8~9時に起きて朝食を食べた後、読書や最近興味があるHTML/CSSなどの勉強(いずれかは自分が作ったものが見られるサイトを作ってみたいと思っている)をする。昼ご飯を食べたらまた同じ作業をして、14時くらいに30分ほど散歩に行く。その後も上記の作業をして、19時前にお風呂に入りその後夕食、それらが終わったらブログを書いたり、短歌を考えたりして日付が変わる前に眠る。非常に穏やかな生活だが、老後っぽく感じることもあった。

 生活リズムが整っていくと不思議と不安感や焦燥感に捉われることも少なくなっていった。また、散歩中などにオッと思ったものや状況が合ったら短歌用のメモに入力しているのだが、その回数も増えた気がする。

 こういう社会の動きとは違う生活をしていると、曜日感覚がしだいに消えていく。どんどん社会への適応力が消えている感覚になる。また、乗車率の多い電車や人の多いところに行くと気分が優れなくなったり、急に体がだるくなったりすることもあった。最近は体力を少しでも取り戻すために筋トレをしている。

 

 私は有意義にカテゴライズされる作業が思い通りに進まないとすぐ自己嫌悪に陥ってしまう。これだけ作業を進められたのだという肯定感を数値化するために、『 ポモドーロ・テクニック』という方法を導入することにした。これは25分間(1ポモドーロ)作業に集中して、その後5分休憩をする。これを3~4回繰り返したら15~30分ほどの長い休憩を取るというテクニックである。

 私は『Focus To-Do』というアプリを使っている。これはポモドーロの数をカウントして、どれくらいの時間どの作業をしていたのかが可視化されるので、今日はどれくらい頑張った/頑張れなかったかを客観的に見ることができる。これは自己肯定感を高めるのに貢献しているような気がする。以前記事にした寿司打の記録など、私は自分のしていることを数値化したがる癖がある。

komugikokomeko.hatenablog.com

 寿司打の記事、よろしければどうぞ。

 

 また、友人たちがたびたび私を外に連れ出して、話をする機会を設けてくれたのも助かった。どういう感情で労働を行っていたのか、人に話す機会がほとんどなかったからだ。限界を迎えてからすぐ病院に行けたので、外出も早い段階からできるようにはなっていた。体力ゲージの減少具合は元気なころよりかなり激しかったが。

 こうして、少しずつ頭が働くようになり、創作活動も以前よりアイデアが出るようになって、作業が捗るようになった。もうそろそろ復職をしてお金を得なければと考えられるようにもなってきた。

 

 休職してから大体2か月ほどで安定してきたのだが、メンタルが崩れてからの行動が早かったのと、環境に恵まれていた(会社内の人のサポートが厚かったというのと、会社内の人間関係が原因ではなかったのも幸いした)ので、取り返しがつかなくなるところまで行かなくて済んだのだと思う。

 また、私は血液恐怖症(包丁や献血など血を想像させるものが苦手、見たり聞いたりするだけで気分が優れなくなり、体の力が抜けてしまう。採血も横になった状態で行わないと、血圧が急低下して倒れてしまう)なので、精神が崩れてもリストカットを行えなかった。痛さにも弱い。そういった自分の弱さがかえって自分を助けたのかもしれない。

 精神が安定してもぼんやりとした不安は絶えずつきまとっているが、みんなそういうものなのだと思う。Twitterを見ていてもみんな不安そうだ。

 

 話は少し変わるが、最近The Caretakerの『An Empty Bliss Beyond This World』というアルバムを改めて聴いた。

 

  

 かっこいいジャケットだ。
 埃を被ったような音楽がノイズの中から現れるような曲たちが特徴的な、個人的に好きなアルバムだ。

 The Caretakerにはどうやら認知症という設定があるらしい。それは、The Caretakerのトリビュートアルバムである『Memories Overlooked: A Tribute To The Caretaker』にも反映されている。

 

 

 このアルバムのジャケットは、曲が進むにつれて、どんどんと暗くなっていく。そして最後には黒く塗りつぶされてしまう。まるで思い出が1つ1つ欠落していくかのようである。

 幸せな思い出が1つずつ欠落していくのはかなり恐ろしそうだ。確かハリー・ポッターに出てくるディメンター(吸魂鬼)は、幸せな思い出や希望を吸い取っていく存在だった。黒いマントのようなものに覆われ、ゆらゆらと近づいていく様は、こちらに恐怖を与える。

 逆に、不安が1つずつ欠落していくのはどうなのだろうか。全ての嫌な思い出や不安が消え去ったとき、本当に幸福な気持ちになれるのかは分からない。精神が落ち着いてからそういったことを考えるようになってきた。良い傾向か悪い傾向かは分からない。

 

 休職直前に、木澤佐登志氏が執筆した『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』 という本を読んでいた。

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

 

 私たちが普段利用している表層ウェブの外で存在しているダークウェブ。そこで暗躍する人々やコミュニティについて詳しく紹介されている本で、非常に面白かった(今度感想文を書いてみたい)。

 その中にマーク・フィッシャーという人物が出てくる。イギリスの批評家で、2017年に自ら命を絶った。音楽にも造詣が深く、この人物はどうやらThe Caretakerと交流があったようだ。ちなみに、先述したトリビュートアルバムに収録された曲名にも、マーク・フィッシャーの名前が使われたものがある。

 マーク・フィッシャーの著書は『資本主義リアリズム』と『わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来』が日本語にも訳されて発売されている(他にも訳されたものが発売されているのかもしれないが、見つからなかった)。現在、これらの本をとても読んでみたい気持ちになっている。この状態が精神的に良いものかどうかは分からない。

 

 まだレクサプロを含め、数種類の薬を毎日飲んでいる。これを処方されなくなった時、私はどういう状態になっているのだろうか。そして今現在分からないものが、少しでも分かるようになるのだろうか。少し楽しみでもあるし、不安でもある。

 

 そういえば精神科に行っているときに思いついたなぞなぞがあるのだが、自虐が過ぎるので、仲の良い人には今度会った時に教えたい。

友人とラジオを始めることになりました

 皆さんお元気ですか。私は穏やかに生活をしていますが薬のおかげということも十分にあり得ます。平常時がどういう状態だったのか、長年かけて思い出していくことになるでしょう。

 

友人からの誘い

 ある日の夜、読書をしているといきなり小学校時代の友人から電話がかかってきた。遊びやご飯の誘いであれば、LINEのメッセージのやり取りだけで済むはずなのに、いったいどうしたのだろうか。会社を辞めたい、社会を辞めたい、人間を辞めたいなど、様々な予想をたてながら電話に出た。一体どの辞めたいなのだろうか、など思いながら話を聞いてみると、友人はこう尋ねてきた。

「ラジオをやってみたいんだけど、どう?」

 想像もしていない質問だったため、少し面食らってしまったが、まあ明るい話題なので良かった。そして、特に断る理由もなかったので話に乗っかることにした。

 

 その後、友人と会って話の詳細を聞くことになった。どうやら、長年ラジオを聴いていて、いつしか作る側になってみたくなったのだが、あまり乗ってくれそうが思い浮かばず私に声をかけたということだった。面白そうなことはとりあえずやってみたいタイプということを見抜かれていたらしい。

 話し合いの結果、最近気になったトピックを基にしてトークを行っていくスタイルで作ってみようということになった。あまり私はラジオを聴かないので、どういったスタイルやテーマ、企画があるのかがあまり分からない。企画をガチガチに固めすぎると、すごい演じている感が出てしまう(楽しくやってなさそうに聴こえてしまう)という懸念があったため、自然に話せそうなスタイルで始めていくことになった。

 

 ざっくりとした内容が決まり、次はタイトルを考えることにした。私と友人は喫茶店に行った。友人の話だと、クリームソーダを頼むと金魚鉢みたいな大きさのものが出てくるらしい。まさかと思い頼んでみると、まさかが現れた。

 

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 冷や麦とかが入っていそうな器に、クリームソーダが入っている。怖い。

 ブレインストーミング(吟味せずとにかく案を出す作業)を行った結果、お互いが出した案に含まれていた単語を合わせて、『ラウンジツイスト』という名前になった。こういうお笑いコンビ、M-1の3回戦あたりで見たことないですか?

 その後、友人は中学時代に同じ塾に通っていた友人Bに声をかけた、数秒で承諾を得ることができた。人は思ったより好奇心が強いらしい。とにかく3人でラジオを行っていくことになった。

 自分がどういう声なのか、どれくらいのスピードで話しているのかを客観的に見るため、友人Aとツイキャスで実験をすることにした。結果、スピードは大丈夫そうだった。友人Aがアッパーな声質、私がダウナーな声質だった。

  私は話がすぐ脱線する傾向があるようだ。

 

 タイトルが決まってから約2週間後、3人で集まって試しに録音してみることにした。時間は大体30分くらいにしようと決めていたのだが、素人3人が喋って本当に30分話が持つのか不安だったのだ。とりあえず自己紹介と簡単なテーマだけ決め、録音して話し始めた。

 結果として、普通に30分持った。テーマを通した話や考えが出てくるので、意外になんとかなるものである。案ずるより産むが易しは、こういう場面で使うのが適切なのだろう。

 とりあえず録音したものを、第0回と称してアップロードしてみることにした。私は学生時代にサークルで動画を作成した経験から、音声編集などが少しだけできるので編集を行い、YouTubeにアップロードできる形にした。Podcastでも配信していきたいが、とりあえず手間があまりかからないYouTubeで発信していくことになった。

 

ラジオの詳細

ラジオの名前:『ラウンジツイスト』

テーマ:最近あったニュース、グッときたものなどを中心にトーク(予定)

メンバー:マサ(私の小学校時代からの友人)、はまちゃん(中学時代塾が一緒だった友人)、橙田(私。『とうだ』と読む。短歌や小説を出すときの名義が『橙田千尋』なので)

配信間隔:未定(これから決めていく)

時間:大体30分くらいを目安に

 

 第0回がそのうちアップロードされます。何もやることがない人、作業中なにか音が欲しい人など、聴いていただけるとありがたいですし、立案者の友人は「聴いてくれたら嬉ションする」と言っていました。もう20代も後半に差し掛かるのに。

 とにかく、頭の片隅にでも入れておいていただけると幸いです。どうなるか全く先が読めませんが、何卒よろしくお願いします。