コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

散りつつ歩く(1)

 駅を降りるとすぐに、年季の入った階段が見えた。階段を登ると車道になっているらしく、車が行き交っている。

 階段を登るとすぐ目の前を自動車が通り抜けた。地元の人は慣れているのかもしれないが、初めて駅に降り立った自分は心臓が少し冷えたような気持ちになる。横断歩道を渡り歩道へ向かうと正面に川が見えたが、川の名前は分からない。そのうち川の名前が書かれた看板が見えてくるような予感はしていた。

 河川敷にはグラウンドが2つあり、片方では少年野球のチームが試合をやっていた。青いユニフォームを着た子どもたちがグラウンドに散らばっていて、一人だけ白いユニフォームを着た子どもがバッターボックスに立っている。おそらく練習試合だろう。

 白いユニフォームのほうが汚れが目立ちやすい。少年野球を2年ほどやっていたことがあったが、スライディングをすることでユニフォームが汚れてしまうのに少し抵抗を感じていた記憶がある。今考えてみると、社会道徳に反しているような気持ちになっていたのかもしれない。きれいなものはできるだけ汚さないように使ったほうがいい。そういった前提が崩されることに抵抗を覚えやすいのだろう。同じような状況として、習字の時間に墨汁へ筆を浸す時も妙に緊張した。これも汚してしまうことへの抵抗感の表れなのだろう。

 歩道は車道と少しずつ離れながら、それでも同じ方向へ伸びている。車道の向こう側には陸橋がかけられていて、駅の反対側に出ることができるのだが入口/出口がそのまま車道と繋がっているためかなり危なっかしい。幸い見通しは良いものの、事故が容易に想像できてしまう。想像の私は想像の車にはねられてしまい、すぐに消えた。

 歩道の上では高速道路が横切る形になっていて、それを仰ぎ見ながら数分歩き、視界から高速道路が消えたところで再び車道と歩道は身を寄せ合う形になった。左手には草に侵食されつつある工事用のフェンスが見えてきて、その近くで倒れている放置自転車は草の侵食がひどく、もう手の施しようが無かった。まだ近くを通る川の名前は分からない。

 数百メートル続いていた工事用フェンスも終わりに差し掛かった頃、フェンスに「コスモス」とだけ書かれた貼り紙がされていた。近くにコスモスらしき花は見当たらない。私は花に関する知識があまりないため、コスモスの咲く季節がよく分かっていない。確か秋だっただろうか。もし自分の予想が正しければ、3月の背中が見えてきたこの時期には咲いていないはずだ。

 貼り紙の「コスモス」は、A4の紙にでかでかと太字のマジックペンで書かれていた。なんだか大声で呼びかけられたような気持ちになった。

 コスモス! 花の名で知らない人に呼びかけるのはなんだか怖い。