コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

記録が引っ張り上げる記憶

1/18(月)

 日記を書くためのメモには、「全てがわるいところへ向かっているのでは?という不安」とだけ書かれていて、その前後の文脈に関しては全く分からない。

 気分の浮き沈みが激しいタイプなのだが、楽しい方向へ気分が振れることが年々少なくなっている気がする。気分を1から10で評価した時に、前までは1から10に振れていた気分が、今は1から7くらいまでになっている。楽しいとはどういうことなのか、充実しているとはどういうことなのか。年々定義が難しくなっていく。

 気分が1になると死や逃走についてしか考えられなくなってくる。逃走の中に死は含まれているので、結局同じことを定期的に考えているだけなのだろう。どんなに苦しんだり精神がまいっても虎になることはできない。

 

1/26(月)

 暇なときに時々、『ペナントシミュレーション3』というフリーでできる野球シミュレーションをやっている。架空のプロ野球チームを1つ選んで、試合をこなしたり選手を獲得していくゲームだ。

 采配をある程度指定することはできるが、毎試合采配を振るっていると時間がかかりすぎるため、試合の経過と結果だけをひたすら見ていく形になる。パワプロのように試合中に選手自らと化して打撃や投球をすることはできない。ただひたすら、打ってくれる/抑えてくれるのを願うのみだ。

 それだけで面白いのかと思う人もいるかもしれない。これが結構面白い。打率や防御率など、様々な記録が進むたびに記録されていくのでストーリーを想像できる。ドラフト1位で入ってきて、なかなか活躍できずに戦力外になる投手。最初の5年は鳴かず飛ばずだったが、急に覚醒し打線の中軸を担う野手。隔年で活躍と不調を繰り返す選手。数字だけでもかなりの広がりをもたせることができる。

 数字から様々な世界を想像できるところが、シミュレーションの良いところだと思う。

 

 数字を記録して振り返ることが年々好きになっている。

 睡眠時間はもう4年近く計測しているし、リングフィットアドベンチャーを始めてからは体重と体脂肪率を記録し、始めた時とどれくらい変化したかを見返す。仕事に関する勉強時間も昨月と比較してどれくらい増減があるかを確認し、次の計画を立てる。ブログや短歌を作る時間も最近記録し始めた。

 様々な数字を記録するのは、多くのことをいつの間にか忘れてしまうことを防いでいるように思える。数字はその時期の出来事をある程度くくりつけていて、思い出させてくれる。多くのことを忘れてしまって、もはや実行しなかった/存在しなかったことと同じになってしまうことを恐れているのかもしれない。

カービィを描くRTA動画(音量注意とタイトルにも記せば大丈夫だろう)

1月11日(月)

 Twitterカービィを描くRTAの動画が流れてきて、何回か繰り返し見てしまった。

 

 音量が大きいので気を付けてください

 音量が大きいので小さくしてください

  I'm looking for a perfect sky 

  I'm looking for a perfect sky 

 

  

www.youtube.com


 カービィを描くRTA動画なのに丸を何度も書き直したり、数式が一瞬現れたり、描いているであろう人物がやけに切羽詰まった顔をしていたり、全体的に音が割れていたりと、突っ込みどころが多い。大音量と勢いでどうにかするタイプの動画は、海外のミーム動画でもよく見かけることがあり、この動画もミーム仕草に則って作られている可能性が高そうだ。

 ミーム動画と同じ街に住んでいるアカウントとして、『No Context Humans』が挙げられる。ハプニングやおかしなことをしている人々の短い動画がいくつもアップされていて、夜中に見ると寝不足になる。

twitter.com

 こういったものを見ていると、英語が理解できるともっと楽しいんだろうなと思うが、この手の動画やミームは、国やミームの生まれた掲示板がもつ特有の文化を理解していないと面白さが減ってしまうことも多い。

 英語を読める/書ける/話せる利点を数えきれないほどあるのだろうが、自分の興味と紐づけられた瞬間しか利点は目に入ってこない。以前も、RAというエレクトロミュージックに関する記事が集まっているサイトの、アルバムのレビューを読めるようになりたいと思った時期があった。結局進化し続けている翻訳サービスによって、その熱意は水びたしにされてしまった。技術は私の熱意を奪っているのかもしれない。

jp.ra.co

 

 熱しやすく冷めやすい性格で、1回取り組むと数日~1か月程度は続くが、それ以降パタッとやめてしまうことがしばしばある。大体2か月を超えると熱はずっと続く。そうして続いているものはTwitterに短歌や小説、それと転職のための勉強、このブログも6年以上続いているから含めてもいいだろう。

 文章を書いたり何かを作ったりするのが続いているのは、楽しいというよりはやめてしまうと鬱々とする時間が長くなってしまうからかもしれない。抗不安薬みたいなものだ。

トップをいつでも取りに行く

1月9日(土)

 休みで特に出かける予定もなかったため、歌会に参加した。久しぶりにトップ票を取ることもできた。参加する全ての歌会でトップ票を取りに行っているけれど、1年近くとれていなかったので安心した。

 

 歌会でトップ票を狙うことの可否がたまーーーにTwitterで流れていて、数多ある議論と同じように正解はないのだが、私はさっき書いたとおり、参加する選ありの歌会全てでトップを狙っている。理由は単純で、負けず嫌いだからだ。トップという概念があるものに関しては、できるだけトップをとりたい。

 これは歌会に限った話ではない。時々短歌の賞に連作を出すことがあるのだが、そこでも賞がとれなければ悔しい。以前はネットで実施されている短歌の投稿欄にも短歌を出していて、そこで自分の名前が載っていなかったらテンションがかなり下がっていた。最近は仕事が忙しくなってしまったのと、題詠やテーマ詠が年々苦手になっていくのもあり、出さなくなってしまったけれども。短歌以外でも、友人とプレイするゲームは全部勝ちたいと思っている。勝ちたさは私を動かす原動力の一つだ。

 トップ票を取りたい理由には感情以外にもあり、コメントを多くもらうことができるという点も挙げられる。

 歌会でよく見かける流れとして、選が多く入ったものから評をする、というものがある。選が多く入れば、それだけ他の人からコメントを多くもらうことができる(肯定的な意見がどうしても多くなってしまい、それ以外の意見が少なくなりがちというデメリットはあるが)。他の人からのコメントによって、自分が作った時に予想していなかった読みを聞けることがあり、参考になることも多い。

 

 これだけトップ票を取りたいトップ票を取りたいと連呼していると、トップ票を取れるような短歌を作って歌会に出しているのかと思われてしまうかもしれないが、そういうことを意識すると短歌のフォームがおかしくなってしまうし、トップ票は狙ってとれるようなものでもない。狙ってとれるのなら、何度も悔しい思いをして東京から電車で実家やアパートに帰ることはなかったと思う。基本的には、自分が最近作った短歌で一番納得できるもの、見てほしい/読んでほしいものを歌会に出すようにしている。この段落の最初らへんで、夢屋まさるを思い出した。と同時にトム・ブラウンのみちおも思い出した。

 納得できるもの、見てほしい/読んでほしいものを出すことで、自分自身に緊張感を持たせる。選が全く入らず、ほとんどコメントが無いまま終わるかもしれない。そういったことを考えることで、惰性で歌会に参加することを防いでいるのかもしれない。

 

 ここで書いてきたものは、歌会に歌を提出して他の人に読んでもらうという、読まれる側の視点からの話だ。実際には他の人の歌を読む側の視点も歌会には存在し、むしろそちらのほうが重要である。

 

 今後も全ての歌会でトップ票を取るつもりで歌会に参加していきますので、よろしくお願いします。

コメダ珈琲のかつパン(みそかつパン)を初めて食べました

1月5日(火)

 コメダ珈琲のかつパン(カツサンド)は大きい、という感想がTwitterで時々流れていたので、実際に食べて確かめることにした。

 

 百聞は一見に如かずということわざがあり、これはTwitterにも言える。コメダ珈琲カツサンドは大きいという100個のツイートを見るよりも、実際にカツサンドを注文したほうが理解を深めることができるのだ。

 この文章を書いていて『逃がした魚は大きい』ということわざを思い出し、さらに逃がした魚は大きい、みたいなコボコラ(コボちゃんのコラージュ。読売新聞に掲載されている4コマ漫画『コボちゃん』を題材に、違った展開の4コマが作られている)があったことも思い出した。コボコラ画像botのツイートを10分ほど探しても見つからなかったのであきらめた。

twitter.com

 

 カツサンドを実際に体験するために、コメダ珈琲へと向かった。

 コメダ珈琲に来るのは今回で2回目だった。初回は友人と夕食までの時間をつぶすために入り、そこでコーヒーとコメチキを頼んだ。コメチキはサイズ的にはそこまで大きくないため、特に夕食に影響を与えることはなかった。

 しかし、今回はカツサンドだ。あまり遅くに行くと夕食に支障が出てくる。年々胃の容量は小さくなっているし、胸焼けの実績も解除された。もうむやみに大盛りを選ぶことはできない。間食として考えるのではなく、昼ご飯として食べることにした。

 入店し、カウンター席へと案内される。メニューを開き、カツサンドのページへと移動する。写真で見るカツサンドはやや大きめといったくらいだ。

 カツサンドにはいくつか種類がある。ソースがかかったスタンダードなカツパン、新宿中村屋と共同開発したカツカリーパン、本社のある名古屋を押し出したみそカツパン、唯一のシーフード枠えびカツパン。もし本当にカツサンドが大きいのであれば、ここでの選択は戦いを大きく左右することになるだろう。

 1分ほど考え、みそカツパンを注文することにした。理由は名古屋に出張へ行ったときに食べたみそカツが美味しかったことを思い出したためだ。

 適当にスマートフォンをいじりながら待っていると、みそカツパンが目の前に運ばれてきた。

 

 

それは カツサンドと言うには あまりにも大きすぎた

大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた

それは 正に 鉄塊だった 

 

 大きな食べ物について書く時、毎回ベルセルクを出している気がする。

 コメダ珈琲のウェブサイトではかつパンをスナック類というカテゴリーに入れている。スナックは軽食として食べられるものだ。しかし、この物体は軽食ではなく食である。おやつとして食べにきていたら、間違いなく夕食に支障をきたすところだった。

 まず一口食べてみることにする。何かを食べるときにこんなに口を開けたのはいつぶりだろうか。パンのふわふわとカツのサクサクとキャベツのシャキシャキが同時に口の中で音を立て、味噌味が広がっていく。味付けは濃いめだが美味しい。確かに量は多いがこの時はあまり苦戦しないだろうなと考えていた。

 味付けが濃いものは、1口目のインパクトは強いが後半になると口がお腹いっぱいになってくる。2つ目の途中までは順調だったが、3つ目に入る頃には口はけっこう満腹になっていた。それでも美味しかったのでなんとかなり、無事完食した。4つだったら美味しいという感情が薄くなっていたかもしれない。

 

 こうして人生の実績をまた1つ解除した。その後はコーヒーを飲みながら作業をしていたが、満腹になったせいか途中で眠気が襲ってきた。胃の容量が大きくない人は作業がする前に食べないほうがいいのかもしれない。

 

 次はかつパンかカツカリーパンか、それともえびカツパンか。1日しか休みがない日だと作業をしないとという焦燥感が強いので、連休になったら食べに行こう。いつ連休が生まれるか分からないが……。

リングフィットアドベンチャーとともに過ごす冬

2021年1月2日(土)

 地元の隣町に住んでいる友人から、リングフィットアドベンチャーが売っている店があるとの情報を受け、連れて行ってもらうことにした。本来なら忘年会代に消えていいたはずのお金を健康に投資しているので、良い傾向かもしれない。

 

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game
 

 

 体重は精神が崩れた時に4キロほど減った時を除けば、大体67~68kgを維持している。どちらかというとやせているほうらしい。

 しかし、あまり運動らしい運動をしていないため、年々体力の最大値の減少や体力の減るスピードが加速しているという現実があった。最初の20年が大体体力のピークであとの60年近くは減少の一途をたどる。もうちょっとバランスを調整してほしいが、今のところアップデートの予定はなさそうだ。

 また、偏った食生活のせいか、肝臓の数値があまりよろしくない。お酒はほとんど飲まないが、ラーメンが好きでよく食べたり、お菓子のファミリーパックを買って2日で消費したりしている生活をしていたので、そりゃ不健康である。ファミリーパックはさすがに買わなくなったが。

 臓器の数値は運動だけでは変わらないため、食生活を正さなければならないが、野菜が苦手という部分がかなりディスアドバンテージになっている。

 それでも年々少しずつ食べられるようになり、サラダはドレッシングを多めにかけて素材の味をボコボコにすれば食べられるし、大学まで全く食べられず、食べてもえづいてしまっていたトマトも頑張れば食べられるようになった。ただし食べている最中は5歳ほど年を取った顔になってしまう。

 

  実家からアパートに戻り、リングフィットアドベンチャー開封する。どうやらトレーニングで敵を倒していく、アドベンチャーモードというものがいいらしい。このシステムを生活にも反映してくれないだろうか。例えば、腕立て伏せをすると皿洗いが完了するとか。

 足踏みができない集合住宅にあわせて、サイレントモード(膝を軽く曲げるとランニングの代わりになる)があるところがうれしい。

 大多数の人と同じく、そこまできつくないだろうと思っていたのだが、まあまあ汗がでるくらいにはきつい。最初はあまりトレーニングの種類が多くないが、レベルが上がると定期的に新しいトレーニングが追加される。また、パックといって、鍛えたい部位に合わせたトレーニングを提案してくれる機能もある。

 10分程度運動すると休憩の提案をされるので、とりあえず休憩の提案をされるまで運動をすることに決めた。あまり長い時間頑張ろうとすると絶対に続かないと、自らの怠惰さを計算に入れた。結果、3月5日の段階で50日以上アドベンチャーモードを続けることができている。1日10分の運動なので体重は大きく変化しないが、それでもゆるやかに1.5kg程度減少している。

 自分がアドベンチャーモードを全体のどれくらい進めたのかは分からないが(現在ステージ11くらい)、今のところやっていて損はしていないのでこれからも続けていこうと思う。ちなみ購入した他の友人たちは志半ばで消えていったみたいだ。皆の分のリングを背負いながら進んでいこう。

麻雀の大会を主催して優勝すると気持ちが良い

12月30日(水)

 年末ということもあって、オンラインで麻雀大会を実施した。年末ということもあって?

 大会自体は4回目の開催で、初回は雀荘などを借りて行っていたのだが、社会人になりなかなか時間や場所の都合で雀荘での開催が難しくなり、オンラインになった。

 参加者は基本的に通っていた大学のサークルの関係者だが、前回大会あたりから友人の友人が参加するようになった。顔も知らない人と一緒に通話をしながら一緒に麻雀ができるなんて……

 

www.youtube.com

 

 今回(4回目)は12人が参加することになった。私は町でも上から数えたほうが早いほどの負けず嫌いなので、優勝したいという思いが強かった。今までが3位(16人中)、3位(8人中)、4位(12人中)だったため、機は熟し、シュガースポットになっている。

 優勝したいという気持ちはあるが、その目標を達成するために特段何かをしたのかといわれると、あまりない。麻雀を分析しすぎると負けた時にメンタルにダメージを負ってしまうため、休日にオンラインで友人たちとのんびり麻雀を打ちながら、焦ったり欲に目がくらんで普段とは違う打ち方をしないようだけ気をつけた。欲を捨てろと連発していたら、対戦していた友人からお坊さん扱いを受けた。

 

 個人的に麻雀を打つ際に気を付けているポイントは、「時間のかかる8000点よりも、あがれる可能性の高い2000点をしっかり取りにいく」「相手があがる直前まで来ている際、自分の手が弱い場合は未練を残さずに降りる」という2点である。

 1点目に関しては宗教と同じようなもので、麻雀を打つ人によって個人差がある。自分はあがることができれば失点を防ぐことができるという考えのもと、早めにあがれるような打ち方をする。ただし1000点だと攻撃として弱すぎるため、2000点をラインにしている。

 後々考えたらもっと高い点を狙えたな、という場合ももちろん存在するが、机上の8000点よりはどう頑張っても机から動かない。

 あがれれば一番良いのだが、運も絡んでくるためどうしてもあがれそうにない場面も存在する。また、麻雀はある程度の情報が全体で共有されるため、相手が強い手かどうか推測できることもしばしばある。そういった背景を踏まえての2点目だ。

 

 相手がリーチをかける、もしくは3回鳴いた(もっと状況が悪い場合は2回)場合は、基本的に降りる。麻雀を知らない人のためにドラについてざっくり説明しておくと、あがった際にドラを所持していると、相手へ与えるダメージが増えるアイテムである。

 持っていると相手があがる可能性の低いものを淡々と打っていき、局が終わるのを待つ。よっぽど自分の手牌が強かったり、最下位で降りている場合ではないという例外を除けば、ひたすら降りる。大きなダメージを受けなければ、逆転のチャンスは存在する。

「時間のかかる8000点よりも、あがれる可能性の高い2000点をしっかり取りにいく」「相手があがる直前まで来ている際、自分の手が弱い場合は未練を残さずに降りる」という2点を守ることで、麻雀をしっかり勉強している人と当たらなければある程度の戦績を残すことができると思っている。その代わり戦い方が地味なので、あまり見栄えはよくない。しかし、麻雀では勝つことが最大の精神安定になるため、見栄え良く負けるくらいなら地味に勝つほうが個人的には良い。

 

 今回の大会では、雀魂を使った。待ち時間を長めに設定できるためである。以前は天鳳を使用していたが、待ち時間が短く、麻雀に慣れていない人にとってはそれだけでディスアドバンテージになってしまうことがあった。

 ただし、天鳳はマニュアルがしっかりしていて、かつ大会用の部屋が無料で作成できる。雀魂は大会に関するマニュアルなどが公式では現時点では存在しないため、以下のブログを参考にした。

ameblo.jp

 また、雀魂は大会用の部屋作成が有料になる(大会の参加自体は無料)。

 雀魂と天鳳、どちらもメリット・デメリットがあるため、大会を主催しようとしている人は、参加者が慣れているアプリで開催するのが良いと思う。

 

 上記の2点を考えながら麻雀を打った結果、自身で主催した大会で優勝することができた。優勝は何回してもうれしいが、よくよく考えるとそこまで優勝した機会がない。

 次回以降も優勝し続けて、殿堂入りしたい。殿堂入りは何回してもうれしいが、よくよく考えなくても殿堂入りしたことがあまりない。ポケモンくらいだろうか。ポケモンは日本国民の殿堂入り経験率を大幅に上げたことは、意外に知られていないのかもしれない。

 

※最近知ったことなのだが、「大富豪 戦略」で検索すると、私のブログが先頭に表示されるようになっていた。大富豪が弱い、裏社会で大富豪の代打ちをしている、大富豪星人がやってきて星の代表として大富豪をしなければいけない方などは、もしかしたら参考になるかもしれない。

komugikokomeko.hatenablog.com

【短歌の感想】真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰 からだは話の港/瀬口真司

真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰 からだは話の港

/瀬口真司『命中』(ネットプリント『ウゾームゾーム vol.9 おまけ 第63回短歌研究新人賞応募作』)

 

 <真夜中をおんぶしあって>という部分は、複数人が同じ夜を共有しているということだと個人的には解釈した。

 そう解釈したのは、<しあって>の存在が大きい。複数人(<誰と誰>と記されているため、2人だろうか?)が真夜中に背中を丸めながら歩いていく姿を思い起こさせる。

 <おんぶしあって進む>人たちは誰なのだろうと思う。しかし、<真夜中をおんぶしあって>いる人は、歌の中では<誰と誰>という疑問として読者に提示され、答えは分からない。作中の主体は少し離れたところで見ているような印象も受ける。

 個人的に一番好きな部分は、一字空けからの<からだは話の港>だ。すうっと体に馴染んでくる比喩だった。話は<からだ>へとやってきて、そこから他の人の<からだ>へと出発していく。この短歌を読んでいる私も港なのだろう。

 一字空けの前と後ろのつながりは読み切れないが、二つがそれぞれ別世界のものには思えない。<おんぶしあって進む>人たちが話をしている光景から想起されたものなのかなと思う。

 時々ふとした瞬間に思い出すので、好きな短歌として身体に馴染んでいるんだろうなと感じる。