コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

トップをいつでも取りに行く

1月9日(土)

 休みで特に出かける予定もなかったため、歌会に参加した。久しぶりにトップ票を取ることもできた。参加する全ての歌会でトップ票を取りに行っているけれど、1年近くとれていなかったので安心した。

 

 歌会でトップ票を狙うことの可否がたまーーーにTwitterで流れていて、数多ある議論と同じように正解はないのだが、私はさっき書いたとおり、参加する選ありの歌会全てでトップを狙っている。理由は単純で、負けず嫌いだからだ。トップという概念があるものに関しては、できるだけトップをとりたい。

 これは歌会に限った話ではない。時々短歌の賞に連作を出すことがあるのだが、そこでも賞がとれなければ悔しい。以前はネットで実施されている短歌の投稿欄にも短歌を出していて、そこで自分の名前が載っていなかったらテンションがかなり下がっていた。最近は仕事が忙しくなってしまったのと、題詠やテーマ詠が年々苦手になっていくのもあり、出さなくなってしまったけれども。短歌以外でも、友人とプレイするゲームは全部勝ちたいと思っている。勝ちたさは私を動かす原動力の一つだ。

 トップ票を取りたい理由には感情以外にもあり、コメントを多くもらうことができるという点も挙げられる。

 歌会でよく見かける流れとして、選が多く入ったものから評をする、というものがある。選が多く入れば、それだけ他の人からコメントを多くもらうことができる(肯定的な意見がどうしても多くなってしまい、それ以外の意見が少なくなりがちというデメリットはあるが)。他の人からのコメントによって、自分が作った時に予想していなかった読みを聞けることがあり、参考になることも多い。

 

 これだけトップ票を取りたいトップ票を取りたいと連呼していると、トップ票を取れるような短歌を作って歌会に出しているのかと思われてしまうかもしれないが、そういうことを意識すると短歌のフォームがおかしくなってしまうし、トップ票は狙ってとれるようなものでもない。狙ってとれるのなら、何度も悔しい思いをして東京から電車で実家やアパートに帰ることはなかったと思う。基本的には、自分が最近作った短歌で一番納得できるもの、見てほしい/読んでほしいものを歌会に出すようにしている。この段落の最初らへんで、夢屋まさるを思い出した。と同時にトム・ブラウンのみちおも思い出した。

 納得できるもの、見てほしい/読んでほしいものを出すことで、自分自身に緊張感を持たせる。選が全く入らず、ほとんどコメントが無いまま終わるかもしれない。そういったことを考えることで、惰性で歌会に参加することを防いでいるのかもしれない。

 

 ここで書いてきたものは、歌会に歌を提出して他の人に読んでもらうという、読まれる側の視点からの話だ。実際には他の人の歌を読む側の視点も歌会には存在し、むしろそちらのほうが重要である。

 

 今後も全ての歌会でトップ票を取るつもりで歌会に参加していきますので、よろしくお願いします。