コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ネットプリント毎月歌壇との闘いが終わって

 短歌を発信する手段として、投稿というものがある。例えば新聞内の短歌欄などが代表的なものだ。選者が自分の短歌を選んでくれると、新聞にそれが掲載されるのだ。沢山刷られている新聞の中に、自分の名前と短歌が載れば嬉しく思うだろう。私は1回だけ送って、選ばれなかったのでその喜びをまだ味わったことがない。

 他にも様々な短歌投稿欄がある。野性時代という小説誌の中にも『野性歌壇』というコーナーがあるし、ネットにも『粘菌歌会』という投稿コーナーがある。私が知らないだけで、他にもたくさんの投稿欄があるのだろう。私たちは様々な投稿欄に短歌を送ることができる。掲載されるかどうかは分からないが。

 

 その中の1つとして、『ネットプリント毎月歌壇』があった。石井僚一さん(穏やかに生活を送れているだろうか)が運営を行い、2人の選者が毎月4つの歌を選び、約400字の評を書いてくださる。毎月末が締め切りで、自由詠を1首メールにて提出する形だった。ここ1年ほどは、伊舎堂仁さんと竹中優子さんが選者をしていた。

 残念ながら3月に『ネットプリント毎月歌壇』は終了となった。私は約1年以上ここを中心に投稿をしていたので、いきなり野に放り出されて、今はどの投稿欄に行こうか彷徨っているところである。

 2015年の秋頃に短歌を作り始めて、2017年の春過ぎに『ネットプリント毎月歌壇』の存在を知った。2017年の6月に試しに短歌を投稿してみたら、いきなり採用していただいた。私の短歌に評がついている。その時の私はインターネットに向かって短歌を投げているだけだったので、初めて評をしてもらうという経験をした。とても嬉しくなり、それから何度か投稿し、いくつか採用してもらった。その後、出す月と出さない月を繰り返しながら2018年の春になり、選者が入れ替えになった(それまでは石井僚一さんと竹中優子さんだったが、石井さんが抜け、伊舎堂さんが選者になった)。

 私は伊舎堂さんの歌集『トントングラム』で「短歌ってこんな面白いことができるんだ」となり、短歌にハマっていくきっかけの1つになった。どうにか評を貰ってみたいと思い、毎月欠かさず投稿するようになった。また、2017年は3回掲載していただいたので、2018年は『4回以上掲載される』という目標を立てた。

 私は負けず嫌いなので、どうしても投稿したコーナーには自分の短歌が載っていてほしいと思っている。よく載っている方が掲載されていて、自分が掲載されていないと正直言って悔しい。その歌が自分の出したものより良く感じるのも殊更悔しい。そのために自分が生活をしているときにグッときた瞬間を、いかに取りこぼさないで短歌にできるかを今まで以上に考えるようになった。毎月歌壇が短歌のモチベーションアップに繋がっていたと思う。

 結果として2018年は5回掲載していただいた。時々お二人とも選んでくださったときがあり、お二人の歌の読みや視点の違いも興味深く読ませていただいた。自分も歌会で評をする機会があるが、まだまだ評をする歌の良さを伝えきれないことも多々あり、評をする歌に申し訳ないと思ってしまう。

 2019年は『6回以上掲載される』ことを目標にしたが、実際には1年間全部掲載されるくらいの意気込みで臨んだ。毎月第三週の日曜にネプリを印刷して、紙面を見るときは異様に緊張した。

 結果、3月で終了となった2019年は3回中3回掲載していただいた。最終号のネプリを見た時に、私は掲載されたという喜びと、もうこの緊張感を得られない残念さの両方を味わった。

 『ネットプリント毎月歌壇』が終了して最初はショックだったが、結局短歌にはハマりっぱなしなので、これからも自分がこれだという短歌を作れるまで作っていくことになるのだと思う。歌会で点が入らなかったり、投稿欄で掲載されなかったりするとかなり悔しい。あまりそういうところばかり気にしていても良くはないと思うのだが、そういった悔しさが推進力となっているところもあるので、負けず嫌いとはこれからも気長に付き合っていこうと思う。

 

 こういうハマることができる投稿欄を作ってくださった石井僚一さん、最終回まで選者をしてくださった伊舎堂仁さん、竹中優子さん、そして私がこのネプリを知る前に選者をしてくださっていた方々、私に刺激と悔しさを与えてくれた他の投稿者の皆さんに、一投稿者としてこの場を借りて御礼申し上げたい。間違いなく、私が短歌を続けていくキッカケを作ってくださったのだから。

 

 最後に毎月歌壇に掲載していただいた私の短歌を載せてこの文章を終わりにしたいと思う。2017年7月から2019年3月までの短歌が載っているので、何か変化しているところがあるかもしれないし、ないのかもしれない。

 

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【横書き版】

喋るとき出る「あ」が丁度一〇〇〇回目俺の頭上で鳴れファンファーレ
(2017年7月号)

 

君に合う学部を作りつやつやの単位を飽きるまで渡したい
(2017年9月号)

 

とくと見よ最低賃金で働く俺のお辞儀の集大成を
(2017年10月号)

 

完璧なノックのために握ってたヒヨコを役員室へと放つ
(2018年5月号)

 

壇蜜は宝石型の飴玉を舐めてるらしい だけの日だった
(2018年6月号)

 

図書館を出たあとみんななまぬるい なまぬるいのを笑える人だ
(2018年9月号)

 

それなりの感謝に似合うものとしてカントリーマアムの赤いほう
(2018年10月号)

 

生活にサンタが入りこむ頃の息の白さは少し足りない
(2018年12月号・年末特大号)

 

帰ってもおもしろい日を繰り返しクリアファイルは返しそこねる
(2019年1月号)

 

ありがとうと小さく書けばネコっぽい生き物を描くべき空白が
(2019年2月号)

 

分かりたいボードゲームが全員の深夜を使い切らせてしまう
(2019年3月号・最終号)

 

Life In The Time Of Lexapro(休職日記)

 Twitterなどでは『カイリキーはどの手でお尻を拭くのか』や『ソリティアのクリア画面みたいに飛び跳ねて過ごしていたら膝を痛めた』、『週3回おもしろフラッシュ倉庫の検品をして生計を立てている』などあることないことを書いているので、記憶の整理のためにここ数か月のパーソナルな話を書いていこうと思う。

 

 NUMBER GIRLの再結成でTwitterが沸き立った2019年2月15日(金)、私は東京の精神科に来ていた。状態について思い当たることを全て記入して、診察を受けた。結果、抑うつ状態と診断された。

 

 気づいたら俺は なんとなくうつだった

 

  抑うつ状態とうつ病は違うらしく、抑うつ状態が改善されずに長期間続くとうつ病と診断されるらしい。その時は自分の状態について正しい判断ができていなかったため、本当にそうなのかなとも思ったが、その際に受けたテストで中等度の抑うつ状態という結果を見て、やっと客観的に受け入れることができた。

 

 話は年末あたりに戻る。私は人間に対して接客を行っているのだが、ある日理不尽に客に怒鳴られた。私は人に対して理不尽に怒鳴るという行為が全く理解できないため、呆然としてしまった。私の思考としては、怒鳴るという行為は通常の生活時では必要がなく、どうしても必要な時(誰かの身に危機が迫っているときなど)くらいしか行わないものだと思っている。社会を感じた瞬間だった。これを境に歯車が狂っていったように思える。

 仕事に関してもよく分からなくなっていた。何がよく分からないのかも分からない。よく分からないまま出勤し、業務をこなし、残業をして退勤した。ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気で労働をやっている。

 どうにか年末になり、そこそこ長い休みに入る。休みの中で唯一楽しい時間は退勤から寝るまでの数時間で、後はどこか視界の片隅に休みが終わるまでのカウントダウンが表示されているようだった。休日は良い眼鏡をつけているからそういう機能があるのかなとも思ったが、裸眼でも消えなかった。

 年始になり、さらに業務は忙しくなった。最初からフルスロットルで仕事をしなければ間に合わない。失敗もできない。多分仕事のスピードはそこまで遅くはないし、大きな失敗もしていないはずだったが、どうしても失敗しているのではないか、ほかの人よりかなり業務処理のスピードが遅いのではないかと思ってしまう。これは他の人にも指摘されたのだが、労働に対する自己評価が低すぎるらしい。

 

 話が重くなりつつあるので、以前作った『入院されしエグゾディア』の画像を貼っておきます。

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 寝る前も業務についての上手くいかなかった部分、明日行わなければならない業務の段取りと、その段取りが上手くいかないのではという不安が頭を占めていた。倉橋ヨエコの『夜な夜な夜な』という曲に『夜は自己嫌悪で忙しい』というフレーズがあるが、その時も忙しかった。自己嫌悪の復習と予習をしている状態だった。そんな状態なので、朝になった瞬間日差しよりも先に仕事のことが思い起こされ、なかなか布団から起き上がれなくなっていった。

 今となっては悪手だったなと思うが、こういったことは誰でも感じていることなので、自分だけが弱音を吐いてはいけないと考えていた。私はみんなより社会性が無いのだから、他の人以上に頑張らなければならないと強く思った。ミスをしてはいけない。ミスだけは絶対に避けなければならない。人より仕事ができないのに、ミスなんかしたら人様に迷惑がかかってしまう。メールの文章も、どんなに短くても最低5回は見直すようになった。書類を作っているときも、2-3分に1回ペースで最初から確認し直さないと間違えるように思えてしまい、結果作業効率が下がっていった。会社の戸締りも怖くなっていき、3-4回ほどドアを実際に確認しないと不安でたまらなかった。

 知らない人と話すのにはかなりのエネルギーが必要だが、1月末には人と話しているのが疲れる状態になりつつあった。コミュニケーションは使える回数が決まっていて、それを使いきると呻き声に似た何かしか発せなくなる。ポケモンのPP(技を使用できる回数)みたいなものなのかもしれない。

 正直1月中旬から休職にいたるまでの1か月ほどは殆ど記憶が無く、黒いもやもやで頭が覆われている感じである。具体的に思い出そうとすると脳のチェーンがかかり、締め付けられるような気分になる。

 

 2月くらいになると勤務中に吐き気を催すようになった。実際に嘔吐してしまうことはなかったが、もし嘔吐してしまったら自分の不調を自覚してしまい、弱い人間になってしまうのではないかという恐怖があった。また、死にたいと思うことが増えてきて、以前購入していた『刑務所の中』という漫画を読んだ時に、あっちの世界のほうがいいなあと感じるようになった。

刑務所の中 (講談社漫画文庫)

刑務所の中 (講談社漫画文庫)

 

 どこかで感情を小爆発させたほうがよかったとも思ったが、私が社会で作ってきた穏やかなキャラクターが崩壊してしまうのではないかという懸念が頭をよぎった。このブログへと流れついた新社会人の皆さんは、あまり穏やかで真面目なキャラクターになってしまうと、後々しんどくなるかもしれない。気を付けてほしい。

 友人とも遊びに行ったのだが、慣れないことをしたのでかなり感情的になってしまう場面もあった。友人には対面で謝ってはいるが、もう一度この場を借りてお詫びしたい。自分の機嫌は自分で取らないといけないのに。

 

 そして2月の中旬、お客さんに無茶ぶりをされた瞬間、頭の中で糸が切れてしまった。限界だ、限界だ、限界だと思いながら休憩に入り、先輩の社員さんと話した瞬間、涙が止まらなくなってしまった。その後上司と話し合いがあり、そこでも涙が止まらなかった。子どものころから過呼吸的な泣き方が抜けきらないので、泣くと自己嫌悪に陥るのだが、それでも止まらなかった。

 結局、病院に行くためにお休みをとることになった。

 

 重い話が続いているので、金沢で見つけた金箔の貼り方が雑すぎるソフトクリームの模型を貼っておきます。

 

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 地方にいる方は気を付けてほしいのだが、近くの精神科もしくは心療内科の予約を取るのは、かなり時間がかかる場合がある。自分の場合は3件ほど電話して2件は予約が取れない状態、1件は3週間後だった。また、紹介状がないと受け付けてくれない病院もあった。それだけ疲れている人が日本には多いのだ。

  結局東京の病院に行くことになった。実家が関東にあるのは大きかったと思う。

 病院に入るとまず問診票を書いた。今までの症状を書けるだけ書く。その後診察を受け、医者に症状と今の環境について話すと、抑うつ状態になっているという診断を受け、今はその仕事から離れたほうがいいだろうということになり、診断書が出された。

 

 

 1月上旬の私、かなり勘が鋭いな。だだっ広い土地は見に行っていないけれども。 

 その後2つほどテストを受け、カウンセリングの予約をして薬を処方してもらった。貰った薬の中にレクサプロというものがあり、私はその単語に見覚えがあった。そうだ、Oneohtrix Point Neverのシングルだ。『Love In The Time Of Lexapro』という名前で、『抗うつ薬時代の愛』とでも訳せばいいだろうか。印象的だったので覚えていたのだ。ちなみにOneohtrix Point Neverの『Replica』というアルバムが好きでよく聴いている。亡霊のようなサンプリングで構成された曲たちが、何とも言えない気分にさせるのでぜひ聴いてほしい。

 

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 こうしてレクサプロ時代の生活が始まった。

 

 1人暮らしをしていたため、生活リズムはぐちゃぐちゃになっていた。深夜3時過ぎに寝て、昼すぎに起きる。仕事のコミュニティ内にいる人に合ってしまったらと考えると恐ろしく、人がそこそこいるところだと鳴っている音のどれか1つが私を呼びとめているのかもしれないと考えると気が休まらない。誰も知っている人がいなさそうな夜にご飯を買いに行って、それ以外は寝ているかスマホをいじっていた。Twitterくらいしかやることがない、というかできることがないのだった。結局、会社からの提案で実家のある関東で療養することになった。

 2回目に精神科へ行ったときにテスト結果を渡された。抑うつ度のテストで、60点満点中大体20点以上だと抑うつの可能性が高いらしい。結果は大体40点で、中程度の抑うつ状態だった。また、もう1つのテストではコミュニケーションで多大なストレスを抱えていて、それを発散できていない傾向があると言われた。テストの結果が出て初めて、私の精神は今健やかな状態ではないと認識することができた。自分で自分を追い込んでしまうと、精神状態を客観的に判断することがいつも以上に難しくなる。また、発散する媒体もほとんどなかったのだろう。人には心配をかけたくないし、SNSはそういう使い方を全くしていなかった。精神の話を長々と文章にするのはこれが初めてだと思う。

 

 話が重いので、1回『ゲームキューブの起動画面に轢かれる男の子』の画像を貼っておきます。

 

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 2月下旬ごろから、生活リズムを整えるために毎日同じようなスケジュールで動くようにした。朝8~9時に起きて朝食を食べた後、読書や最近興味があるHTML/CSSなどの勉強(いずれかは自分が作ったものが見られるサイトを作ってみたいと思っている)をする。昼ご飯を食べたらまた同じ作業をして、14時くらいに30分ほど散歩に行く。その後も上記の作業をして、19時前にお風呂に入りその後夕食、それらが終わったらブログを書いたり、短歌を考えたりして日付が変わる前に眠る。非常に穏やかな生活だが、老後っぽく感じることもあった。

 生活リズムが整っていくと不思議と不安感や焦燥感に捉われることも少なくなっていった。また、散歩中などにオッと思ったものや状況が合ったら短歌用のメモに入力しているのだが、その回数も増えた気がする。

 こういう社会の動きとは違う生活をしていると、曜日感覚がしだいに消えていく。どんどん社会への適応力が消えている感覚になる。また、乗車率の多い電車や人の多いところに行くと気分が優れなくなったり、急に体がだるくなったりすることもあった。最近は体力を少しでも取り戻すために筋トレをしている。

 

 私は有意義にカテゴライズされる作業が思い通りに進まないとすぐ自己嫌悪に陥ってしまう。これだけ作業を進められたのだという肯定感を数値化するために、『 ポモドーロ・テクニック』という方法を導入することにした。これは25分間(1ポモドーロ)作業に集中して、その後5分休憩をする。これを3~4回繰り返したら15~30分ほどの長い休憩を取るというテクニックである。

 私は『Focus To-Do』というアプリを使っている。これはポモドーロの数をカウントして、どれくらいの時間どの作業をしていたのかが可視化されるので、今日はどれくらい頑張った/頑張れなかったかを客観的に見ることができる。これは自己肯定感を高めるのに貢献しているような気がする。以前記事にした寿司打の記録など、私は自分のしていることを数値化したがる癖がある。

komugikokomeko.hatenablog.com

 寿司打の記事、よろしければどうぞ。

 

 また、友人たちがたびたび私を外に連れ出して、話をする機会を設けてくれたのも助かった。どういう感情で労働を行っていたのか、人に話す機会がほとんどなかったからだ。限界を迎えてからすぐ病院に行けたので、外出も早い段階からできるようにはなっていた。体力ゲージの減少具合は元気なころよりかなり激しかったが。

 こうして、少しずつ頭が働くようになり、創作活動も以前よりアイデアが出るようになって、作業が捗るようになった。もうそろそろ復職をしてお金を得なければと考えられるようにもなってきた。

 

 休職してから大体2か月ほどで安定してきたのだが、メンタルが崩れてからの行動が早かったのと、環境に恵まれていた(会社内の人のサポートが厚かったというのと、会社内の人間関係が原因ではなかったのも幸いした)ので、取り返しがつかなくなるところまで行かなくて済んだのだと思う。

 また、私は血液恐怖症(包丁や献血など血を想像させるものが苦手、見たり聞いたりするだけで気分が優れなくなり、体の力が抜けてしまう。採血も横になった状態で行わないと、血圧が急低下して倒れてしまう)なので、精神が崩れてもリストカットを行えなかった。痛さにも弱い。そういった自分の弱さがかえって自分を助けたのかもしれない。

 精神が安定してもぼんやりとした不安は絶えずつきまとっているが、みんなそういうものなのだと思う。Twitterを見ていてもみんな不安そうだ。

 

 話は少し変わるが、最近The Caretakerの『An Empty Bliss Beyond This World』というアルバムを改めて聴いた。

 

  

 かっこいいジャケットだ。
 埃を被ったような音楽がノイズの中から現れるような曲たちが特徴的な、個人的に好きなアルバムだ。

 The Caretakerにはどうやら認知症という設定があるらしい。それは、The Caretakerのトリビュートアルバムである『Memories Overlooked: A Tribute To The Caretaker』にも反映されている。

 

 

 このアルバムのジャケットは、曲が進むにつれて、どんどんと暗くなっていく。そして最後には黒く塗りつぶされてしまう。まるで思い出が1つ1つ欠落していくかのようである。

 幸せな思い出が1つずつ欠落していくのはかなり恐ろしそうだ。確かハリー・ポッターに出てくるディメンター(吸魂鬼)は、幸せな思い出や希望を吸い取っていく存在だった。黒いマントのようなものに覆われ、ゆらゆらと近づいていく様は、こちらに恐怖を与える。

 逆に、不安が1つずつ欠落していくのはどうなのだろうか。全ての嫌な思い出や不安が消え去ったとき、本当に幸福な気持ちになれるのかは分からない。精神が落ち着いてからそういったことを考えるようになってきた。良い傾向か悪い傾向かは分からない。

 

 休職直前に、木澤佐登志氏が執筆した『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』 という本を読んでいた。

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

 

 私たちが普段利用している表層ウェブの外で存在しているダークウェブ。そこで暗躍する人々やコミュニティについて詳しく紹介されている本で、非常に面白かった(今度感想文を書いてみたい)。

 その中にマーク・フィッシャーという人物が出てくる。イギリスの批評家で、2017年に自ら命を絶った。音楽にも造詣が深く、この人物はどうやらThe Caretakerと交流があったようだ。ちなみに、先述したトリビュートアルバムに収録された曲名にも、マーク・フィッシャーの名前が使われたものがある。

 マーク・フィッシャーの著書は『資本主義リアリズム』と『わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来』が日本語にも訳されて発売されている(他にも訳されたものが発売されているのかもしれないが、見つからなかった)。現在、これらの本をとても読んでみたい気持ちになっている。この状態が精神的に良いものかどうかは分からない。

 

 まだレクサプロを含め、数種類の薬を毎日飲んでいる。これを処方されなくなった時、私はどういう状態になっているのだろうか。そして今現在分からないものが、少しでも分かるようになるのだろうか。少し楽しみでもあるし、不安でもある。

 

 そういえば精神科に行っているときに思いついたなぞなぞがあるのだが、自虐が過ぎるので、仲の良い人には今度会った時に教えたい。

友人とラジオを始めることになりました

 皆さんお元気ですか。私は穏やかに生活をしていますが薬のおかげということも十分にあり得ます。平常時がどういう状態だったのか、長年かけて思い出していくことになるでしょう。

 

友人からの誘い

 ある日の夜、読書をしているといきなり小学校時代の友人から電話がかかってきた。遊びやご飯の誘いであれば、LINEのメッセージのやり取りだけで済むはずなのに、いったいどうしたのだろうか。会社を辞めたい、社会を辞めたい、人間を辞めたいなど、様々な予想をたてながら電話に出た。一体どの辞めたいなのだろうか、など思いながら話を聞いてみると、友人はこう尋ねてきた。

「ラジオをやってみたいんだけど、どう?」

 想像もしていない質問だったため、少し面食らってしまったが、まあ明るい話題なので良かった。そして、特に断る理由もなかったので話に乗っかることにした。

 

 その後、友人と会って話の詳細を聞くことになった。どうやら、長年ラジオを聴いていて、いつしか作る側になってみたくなったのだが、あまり乗ってくれそうが思い浮かばず私に声をかけたということだった。面白そうなことはとりあえずやってみたいタイプということを見抜かれていたらしい。

 話し合いの結果、最近気になったトピックを基にしてトークを行っていくスタイルで作ってみようということになった。あまり私はラジオを聴かないので、どういったスタイルやテーマ、企画があるのかがあまり分からない。企画をガチガチに固めすぎると、すごい演じている感が出てしまう(楽しくやってなさそうに聴こえてしまう)という懸念があったため、自然に話せそうなスタイルで始めていくことになった。

 

 ざっくりとした内容が決まり、次はタイトルを考えることにした。私と友人は喫茶店に行った。友人の話だと、クリームソーダを頼むと金魚鉢みたいな大きさのものが出てくるらしい。まさかと思い頼んでみると、まさかが現れた。

 

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 冷や麦とかが入っていそうな器に、クリームソーダが入っている。怖い。

 ブレインストーミング(吟味せずとにかく案を出す作業)を行った結果、お互いが出した案に含まれていた単語を合わせて、『ラウンジツイスト』という名前になった。こういうお笑いコンビ、M-1の3回戦あたりで見たことないですか?

 その後、友人は中学時代に同じ塾に通っていた友人Bに声をかけた、数秒で承諾を得ることができた。人は思ったより好奇心が強いらしい。とにかく3人でラジオを行っていくことになった。

 自分がどういう声なのか、どれくらいのスピードで話しているのかを客観的に見るため、友人Aとツイキャスで実験をすることにした。結果、スピードは大丈夫そうだった。友人Aがアッパーな声質、私がダウナーな声質だった。

  私は話がすぐ脱線する傾向があるようだ。

 

 タイトルが決まってから約2週間後、3人で集まって試しに録音してみることにした。時間は大体30分くらいにしようと決めていたのだが、素人3人が喋って本当に30分話が持つのか不安だったのだ。とりあえず自己紹介と簡単なテーマだけ決め、録音して話し始めた。

 結果として、普通に30分持った。テーマを通した話や考えが出てくるので、意外になんとかなるものである。案ずるより産むが易しは、こういう場面で使うのが適切なのだろう。

 とりあえず録音したものを、第0回と称してアップロードしてみることにした。私は学生時代にサークルで動画を作成した経験から、音声編集などが少しだけできるので編集を行い、YouTubeにアップロードできる形にした。Podcastでも配信していきたいが、とりあえず手間があまりかからないYouTubeで発信していくことになった。

 

ラジオの詳細

ラジオの名前:『ラウンジツイスト』

テーマ:最近あったニュース、グッときたものなどを中心にトーク(予定)

メンバー:マサ(私の小学校時代からの友人)、はまちゃん(中学時代塾が一緒だった友人)、橙田(私。『とうだ』と読む。短歌や小説を出すときの名義が『橙田千尋』なので)

配信間隔:未定(これから決めていく)

時間:大体30分くらいを目安に

 

 第0回がそのうちアップロードされます。何もやることがない人、作業中なにか音が欲しい人など、聴いていただけるとありがたいですし、立案者の友人は「聴いてくれたら嬉ションする」と言っていました。もう20代も後半に差し掛かるのに。

 とにかく、頭の片隅にでも入れておいていただけると幸いです。どうなるか全く先が読めませんが、何卒よろしくお願いします。

 

寿司打をひたすら記録する(1~100回目)

 皆さんは、タイピングがどれくらい素早くできるだろうか。私は、人より若干早いくらいかなと思っている。

 中学生の時に『もなちゃと』という、2チャンネルのAAのキャラでチャットができるサイトがあった。まだサイトは現存していた。どれくらいまだ人がいるのだろうか。やっている人の年齢層はどんなものだろうか。

 もなちゃとを利用していた時はタイピング速度が遅く、他の人と会話をしていて追い付かない。ネットの世界では、そのタイピング速度についていけないとダメなのだなと感じたものだった。それからTwitterをはじめ、大学に入ってWordを使用してレポートを書き、さらにブログや小説を始めたことで数千字、時には数万字という文章をタイピングした結果、タイピング速度は向上し、今ではブラインドタッチもできるようになった。しかし、指の運び方が独学なので、最適な運び方ではないと自覚している。

 

寿司打について

 最近、久しぶりに寿司打をやった。寿司打とは、回転寿司のように流れてくる単語や文章をタイピングしていって、設定されたコースの金額をどれだけ上回れるかを競うゲームである。

http://typingx0.net/sushida/

 

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 ゲームスタート画面である。

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 コース選択。難易度とコースを選ぶ。

 

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 このように単語が流れてきて、お皿が画面から消えるまでにタイピングし終わるとスコアを得ることができる。失敗せずにタイピングし続けると右上の連打メーターがたまっていき、1~3秒のタイムボーナスを獲得できる。

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  結果画面である。スコアと、『正しく打ったキーの数』『平均キータイプ数』『ミスタイプ数』が表示される。

 

 お手軽コースが一番簡単かつ時間もかからない(制限時間が1分)。やり始めると結構楽しくて、何回も挑戦してしまった。

 そして、ふとこんな考えが頭に浮かんだ。

『寿司打をひたすらプレイすると、タイピング速度はどれくらい向上するのだろうか』

 

 個人的に興味がわいたので、実際に挑戦してみることにした。

 まず、どういった環境でプレイするか書いておきたい。

WebGL版『寿司打』をプレイする

・ゲームモードは『普通』、コースは『お手軽3000円コース(制限時間60秒)』

・一度プレイしたらどんなにミスタイプしても中断しない

・全体および100回ごとの平均値、中央値、最頻値、最高値、最低値、6000円を超えた回数、6000円超え率をエクセルで記録する

・100回が終わるごとに、e-typeingで腕試しテストを行い、記録をチェックする

 

 他にも平均キータイプ数やミスタイプ数も記録したほうがいいのだろうが、あまり記録する項目が多いと嫌になりそうだったため、記録しないことにした。

 また、6000円を超えてくると、ランキングの上位10%あたりに入ってくる。6000円を超える率が上がっていけば、タイピング力がある程度は向上していると言っていいだろう。

 e-typeingとは、インターネットでタイピング練習ができるサイトで、『腕試しレベルチェック』として、スコアを計測してくれる。

www.e-typing.ne.jp

 

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 毎回、テーマに関連した文章をタイピングしていく。

 

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 プレイ中の画面。

 

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 結果画面。スコアやレベル、タイピングの正確率、苦手キー、タイピングに関する格言めいたものが表示される。

 ちなみに寿司打の記録をつける前の最高スコアは295である。100回毎にレベルチェックをしていき、スコアがどう変化していくのかを見ていく。

 その他に関しては、続けていって必要なものが分かってきたら適宜追加していくことにする。

 

 説明も一通り終わったため、この意味のない終わりの見えない戦いの始まりを載せていきたいと思う。

 

寿司打(1~100回目まで)

 3月7日からこのチャレンジはスタートした。そして3月26日に100回目を達成。

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 エクセルにひたすら寿司打の記録をつけていく様子。かなりアナログな方法である。もっと楽な方法があるのかもしれないが、私にはシステムに対する知識が乏しい。知識、珪藻土バスマットと同じくらい欲しい。

 

 1~100回の結果が以下のとおりである。

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 40皿で5640円になるため、平均値としては30皿後半あたりになる。タイムボーナスをしっかり貰えるか(ミスタイプをいかにしないか)が重要なのだが、それに気を取られすぎるとタイピング速度が遅くなり、スコアが伸びない。200回に到達したときにこの数値たちがどう変化していくのかが気になるところだ。

 

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 100回やり終えた後の腕試しの結果、スコアが以前より13伸びているが、その時の気分や体調によっても変化しそうであるため、何回も行っていく必要がありそうだ。

 

 とりあえず飽きるまでは続けていこうと思うので、もし1000回まで続いたら自分で自分を褒めたいし、1万回続くようなことがあったら、世界で一番寿司打のお手軽コースをプレイした人間と自負してもよいだろう。自分で自分を褒めるのは、穏やかに生活するためには欠かせないことである。

新潟駅から歩いて行ける古本屋、『古本もやい』

 もうすぐ4月になり、人々がいつも以上にどこかからどこかへ移動するようになるが、去年の話をしていこうと思う。

 

 ここ1年くらいの私の趣味の1つとして、古本屋巡りがある。一般の書店ではなかなか手に入らない本や漫画が見つかったりすることもしばしばあり、宝探しをしている感覚になる。また、お店ごとに色々表情があって面白い。棚が整然と並んでいるお店もあれば、本の壁がそこかしこにそびえ立っているお店もある。

 東京に比べると、新潟は古本屋然とした古本屋が少ない。ブックオフは沢山あるのだが、内装が大体一緒なのでワクワク感は少し薄れる。また、ブックオフは駅の近くよりも、ロードサイドにあることが多い。そのため、車を持っていない私はブックオフに関しても、限られた店舗しか行くことができない。手持ちの交通手段が少ないと、地方では厳しい戦いを強いられることが多い。皆さんはどのような手札を持っていますか。私は徒歩、自転車、バス、電車です。私より多かったですか? 少なかったですか?

 新潟駅から歩いて行けるところにある古本屋がないか探していたところ、『古本もやい』というお店がヒットした。

furuhonmoyai.wixsite.com

 新潟駅から徒歩15分。歩ける距離だ。営業時間は金・土・日の12時から18時らしいが、事前連絡を行えば柔軟に対応してくれるらしい。ホームページによると、多種多様なジャンルを扱っているらしい。

 早速行ってみようと思い、お店をインターネットから見つけた数日後、お店へと向かった。新潟駅から歩いていき、様々なお店を通り過ぎる。私が通ったルートにはラーメン二郎新潟店があった。1回行ってみたいと思っているが、なかなか気力と予定と営業日がかみ合わない。

 やがて屋根付きの歩道が始まり、数分で終わった。終わってすぐのところにお目当てのお店はあった。看板は小さいが店の前に古本が並べられているので、通り過ぎてしまうことはなかった。

 外にある本を色々見てみる、主に文庫本が並んでいたように記憶している。筒井康隆の小説で持っていないものがあったので買うことにする。

 店の中に入ると、大まかなジャンルごとに本棚が配置されている。中にも持っていない筒井康隆の小説があったのでさらに買うことにする。

 絵本や児童書もあるし、新潟に関する本もある。画集や雑誌もあったように記憶している。また、漫画も奥のほうに置いてある。そういえばつげ義春の『ねじ式』って有名だけど読んだことないなと思い、購入することにする。購入してもう半年以上経過するが、まだ読めていない。そのうち読むかもしれないし、まだまだ読まないかもしれない。後で未来の私に聞いてみることにしてみよう。

 私は短歌を作ったり読んだりすることがあるので、詩歌関係の本の品揃えが気になってしまう。詩歌の棚があったので見てみると、新品で谷じゃこさんの『ヒット・エンド・パレード』が売っていた。私も文学フリマで購入したのだが、まだ読めていない。買う量と読む量が全然釣り合っておらず、天秤も買う量のほうに下がりっぱなしだ。もう壊れているのかもしれない。ちなみに去年の冬あたりに行ったときは、小笠原鳥類さんの『鳥類学フィールド・ノート』が売っていた。値段からして新品らしかった。小笠原さんの詩は『小笠原鳥類詩集』で読んだことがあったが、分からず、ただ魚や動物やおはようございます。どろどろに溶けているような文章に見えた(それは増大しています(ように思えます。おはようございます。

 店内ではBGMが流れていて、レジ横に流れている曲が収録されたCDが置いてあった。安藤裕子が流れているときもあったし、くるりが流れているときもあった。

 買う本を決め、レジへ向かう。店主さんと軽くお話をした気がするが、よく覚えていない。会話は輪郭だけが残り、中身は風化していくのだろうか。

 次もまた来ようと思い、新潟駅へと戻った。

 

 その後も数回お店に行き、本をいくつか購入した。覚えている本をいくつか列挙しておく。

 

舞城王太郎『淵の王』

ウィリアム・バロウズ裸のランチ

花輪和一刑務所の中

などなど

 

 そこそこの冊数を購入したような気がするが、あまり覚えていなかった。上2つはまだ読めていない。あと3人くらい私が欲しい。そして私を含めた4人で一緒に本を読めば、4倍のスピードで本が読めるのではとも思ったが、私が増えた場合、読書をしたときの感情や思考が共有されるかが不確定だ。共有されなければあまり意味がない行為になってしまいそうだ。

 

 最後に、お店の情報を記載しておく。

furuhonmoyai.wixsite.com

 上にも貼り付けてあるが、もう一度お店のホームページを載せたいと思う。扱っている本のジャンルや営業日、アクセス、店主さんについてなどが記載されている。店主さんは3人いるらしい。私は1人しか見たことがない。

 記事上にも営業時間と大雑把なアクセスを書いておく。詳しい情報はホームページをご覧いただければと思う。

 

営業時間:金・土・日 12:00-18:00(事前連絡をすれば曜日、時間に関しては対応してくれるとの記載あり)

アクセス:新潟駅万代口から徒歩15分くらい。駅から往復すればそこそこいい運動になりそうだ。

 

https://twitter.com/furuhonmoyai

 お店のTwitter。営業しているかどうか確認できる。

 

 旅行や何かしらの用事で新潟駅に来た時、是非立ち寄ってみてほしい。

柴田聡子『がんばれ!メロディー』

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 2019年リリース。シンガーソングライター、柴田聡子の5枚目のアルバム。

 

 2017年にリリースされた4枚目のアルバム、『愛の休日』に収録されている『後悔』という曲を聴いたとき、久しぶりに一聴き惚れをした。春の暖かさを感じさせるような曲調と、最後に<たら><れば>という仮定形を多用することによって、不穏さを漂わせてくる歌詞。聴いた次の日にちょうど東京出張があったため、すぐさまアルバムを購入した。

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 今回のアルバムでは、弾き語りを基調とした曲が前作より減り、バンドとしての一体感が強調された仕上がりになっている。これはバンド編成(柴田聡子 inFIRE)のメンバーが全面参加していることも大いに関係しているだろう。

 また、今まで以上にポップでキャッチーな曲が揃っている。小気味いいギターと存在感のあるベースが魅力的な1曲目『結婚しました』、アルバムの中でも一番真っすぐにポップな2曲目の『ラッキーカラー』と、この季節に聴くのにピッタリな明るさでアルバムが始まっていく。散歩しながら聴いていると、とても気持ちがいい。

 存在感のあるベースとそれを支えるドラムを中心に進んでいくA、Bメロから、サビで漂うようなギターを聴かせる5曲目の『涙』、アコースティックギターの後ろで少し寂しそうに鳴るフリューゲルホルンが印象的な6曲目の『いい人』で少し落ち着かせて、しばらくすると、打ち込み主体なのに繰り返されるフルートと歌詞が耳を離れない怪曲『ワンコロメーター(ALBUM MIX)』や、日本のどこか奥地の踊りをイメージさせる『セパタクローの奥義(ALBUM MIX)』がやってくる。

 

 そして柴田聡子の曲が私の心を捉えて離さない重要の要素として、歌詞が挙げられる。『結婚しました』の最初のサビ(夢見た~の部分)の、夢のために今日を<乗り越える>のではなく、<やりすごす>という部分に見られる生活の実感、最後の(離されない手~の部分)、『離されない手』という言葉に見受けられる相手への信頼感。この部分で声が張りあがるのも好きだ。

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 中でも『涙』は格別に良かった。Bメロ(うれしい今よりも~の部分)の、茶柱が立っていたという現在の嬉しさよりも、まだ起こるとは確定していない良い出来事・それに付随してくる感情を信じるところにもグッとくる。大サビに入る前に2回続く<わかった全部>の声の張り上げ方の違い、大サビのわたしと<あなた>の対比、<いくつ>と<ひとつ>から出てくるふたりの隔たりを個人的に解釈したときの衝撃はすごく、散歩のスピードをゆるめてしまった。

※私の話になるが、一番精神的に参っていた時期にPVがYouTubeにアップロードされた。聴いているうちに何だかとても救われている気がして、アルバムを購入するまでに30回以上は繰り返し聴いた。

 

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 歌詞の存在感とところどころに見られるヘンテコな部分はそのままに、前作以上のポップさ、キャッチーさを獲得した『がんばれ!メロディー』、是非色んな人に聴いていただければと思う。知っている人なら貸します。それくらいこのアルバムにのめりこんでいる。

 

【トラックリスト】

01. 結婚しました
02. ラッキーカラー
03. アニマルフィーリング
04. 佐野岬
05. 涙
06. いい人
07. すこやかさ
08. 心の中の猫
09. ワンコロメーター(ALBUM MIX)
10. 東京メロンウィーク
11. ジョイフル・コメリホーマック
12. セパタクローの奥義(ALBUM MIX)
13. 捧げます

 

がんばれ!メロディー

がんばれ!メロディー

 

 

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ガルマン歌会200回記念歌会に参加しました

 何かしらの集まりを200回行うのはとてつもない道のりである。月1回ペースだと16年近くかかる。仮に毎日行った場合でも約7か月弱かかる。7か月あったら何ができますか? 私は衣替えができます。

 

 3月の初めに、ガルマン歌会200回記念歌会に参加した。この歌会について参加レポートを書いていきたい。

 ガルマン歌会について簡単に説明しておくと、谷川由里子さん、堂園昌彦さん、五島諭さんの三人が中心となって始められた歌会で、月1回ほど行われている。

 歌会でトップになると、ガルマンという称号が手に入る。そして、次の回の司会を担当することになる。開催場所や選(良いと思う短歌を選ぶ)の方法も決められるらしい。私も去年2回参加した。トップになって新潟にガルマンを持って帰ってしまい、取り戻しに行こうとする人々がみんな上越新幹線のトンネルの長さに辟易して参加できず、ガルマンを永遠に確保できると思っていたが、2回ともトップは取れなかった。

 今、この文章を書いている私のことを知らない人もいるかもしれないので、自己紹介をしておくと、橙田千尋(とうだちひろ)と言います。短歌や小説を作っていて、新潟とインターネットによくいます。Twitterでは米粉というアカウント名で存在しています。

 

 ある日、ガルマン歌会200回記念歌会に関するメールが届いた。場所は阿佐ヶ谷ロフト。阿佐ヶ谷ロフトってライブやトークイベントなどをするところだというイメージだったが、歌会もできるのか。確かに、歌会はモラルに反していない場所ならばどこでやってもいいはずだ。海の中でプカプカ浮き輪につかまりながらやっても構わないのだろうし、指がしわしわになりそうだが。

 チケットアプリで参加申し込みを行い、その日から短歌を考える。当日はまず予選歌会があり、そこでトップを取った人が決勝歌会に進むことができる。決勝は壇上で行い、そこでトップだった者がガルマンオブガルマンの称号を得るのだ。ガルマンオブガルマンになりたかったので、短歌をうんうん考えることにした。

 しかし、2月中旬に精神がきびし~いになってしまい、短歌を考えられる状態ではなくなってしまった。それでも何とか考えて、締め切りギリギリに提出した。その後当日までに決勝歌会用の短歌を作った。

 

 当日、電車で阿佐ヶ谷へと向かう。1時間ほどかかるので、バッグの中にある筒井康隆の小説を読むか、SCP-261(異次元自販機)の実験記録を読むか迷い、結局SCPの記事を1時間読む。

ja.scp-wiki.net

 電車は東京に向かうにつれどんどん混みあってきて、ほぼ満員になる。息苦しくなってきてしまい、体調が下り坂になっていくのが分かったが何とか新宿までたどり着く。改札を抜けて、東急ハンズでバインダーを購入する。阿佐ヶ谷ロフトでは机のスペースを確保するのが難しいため、持ってきておくと便利だと事前に通告されていたためだ。

 中央線で阿佐ヶ谷駅へ向かう。ここでもSCPの記事を読んでいた。

 受付開始10分前あたりで阿佐ヶ谷駅に到着。昼ご飯を食べておかないと夕方まで持たなそうだと思ったがあまり時間もないしお腹も減っていない。緊張で気持ち悪くなってくる。どうにかこうにかマクドナルドでハンバーガーを食べる。私はいつもピクルスを抜いてもらう。ハンバーガーを食べていて、いきなりピクルスに出会うのは自分にとって好ましくない出来事だからだ。ポケモンでスムーズに洞窟を抜けようとしているのに、出口付近でいきなりバトルが発生して、相手がズバットばっかり出して来たら何か嫌じゃないですか。ピクルスはズバット

 歩いて数分で阿佐ヶ谷ロフトに到着。受付を済ませ、先に二次会代を支払い名札を受け取る。大人数だと誰が誰だか分からないので、名札があるとかなり助かる。その後参加する予選グループが告げられる。6つのグループがあるうち、私はAだった。 

 Aグループの詠草を受け取って、テーブルへと向かう。メロンソーダを注文した後に、ウィルキンソンジンジャエール(辛口)があったらしいことを知り、そっちにすればよかったかなと少し後悔する。始まる前にざっと詠草に目を通す。私の短歌は予選を通過できるだろうか。しかし、Aグループのメンバーを見ていたら、あ、これは厳しいのではないかと思ってしまう。メロンソーダを持つ手も震えてくる。ガルマン歌会に参加すると毎回手の震えが生じるのだが、どうすればいいのでしょうか。ゆるやかに助けてください。

 私のことを知っている人が話しかけてくださったりしているうちに、会場は参加者でいっぱいになり、開始時刻になった。

 

 司会の吉田恭大さんから歌会の説明があった後、予選歌会がスタートした。予選歌会の司会は記念歌会のスタッフが行う形だった。Aグループは吉田恭大さんだった。

 最初の15分は詠草を読む時間だった。じっくりと読み、2首を選ぶ。その後、票数が伝えられた。頼む、トップであってくれ、うわ、1首目そこそこ入ったな、ああ、2首目もかなり入った、3首目も入ってる、雲行きが怪しくなってくる。ついに私の歌の票数が吉田さんの口から発せられた。2票。この時点で決勝歌会への道は閉ざされた。ショックではあったが、この場に集まった歌のためにしっかりと評をしなければならない。気を取り直して評をしていった。

 歌会には何回か参加しているので、話すこと自体には慣れてきたのだが、歌から感じ取ったことを相手に伝わるように言う、自分が票を入れた短歌の良い部分を、他の人にも共有してもらえるように話すのにはまだまだ難しさを感じる。また、その場では読み取りきれない歌も存在するので、その時は歌に申し訳ないなと思う。最初はそこまで印象に残らなかった歌でも、他の人の評を聞いたあとに読み取れなかった部分が接続されて行って、後々良い歌だったとなるときがある。そういった評ができるのは一体いつになるのかは分からないが、努めていければと感じた。

 予選歌会が終わり、各グループのトップが決勝歌会へと進む。決勝歌会の準備が行われている間休憩が入り、以前歌会でお会いした人や話しておきたかった人と少し会話をする。気さくさが足りないので全く面識のない人と会話をするのをためらってしまう。気さくさはみんなどこで手に入れているのだろう。地元のホームセンターで尋ねてみたところ、そこに無いのなら無いですねと言われてしまった。気さくになることはとても難しい。

 決勝歌会は壇上で行われ、予選で敗退した人たちはオブザーバーとして参加することになった。決勝に進出した6人が1首選を行い、さらにオブザーバーによる投票で1位だった人がプラス3票、2位が2票という形だった(1位がプラス2票、2位が1票だっただろうか。そこに関しては少し曖昧です)。

 決勝なのでかなりバチバチピリピリとした歌会になるのではと予想していたが、かなり和やかな雰囲気だった。司会の染野太郎さんもタイムキープを行いながらも和やかな雰囲気で歌会を進行していた。オブザーバー投票が6首目中3首目で締め切りになってしまったので、評を聞けたものと聞けなかったものが出てしまったが、タイムスケジュール上なかなか難しい部分もあるのかもしれない。

 決勝に上がった皆さんは、詠草を読み込む時間が少なかったのにもかかわらずしっかりと評を行っていて、しかもあまり緊張している様子もこちらからは窺えなかったので、さすが決勝に上がった人々だなと感じた。私がもし決勝に上がっていたら、アガッてしまって要らないことまで言ってしまいそうだ。

 決勝歌会の結果の集計されている間に、下北沢・高円寺を中心に活動を行っているバンド、『のっぺら』のライブが行われた。

 のっぺらについては全く情報を持っていなかったので、一体どういうバンドなのだろうと思いながらライブの準備が行われていく。珍しかったのはギター、ベース、バンドの他にアコーディオンがいたことだ。自分が今まで聴いてきたバンドやアーティストの中に、アコーディオン担当のメンバーがいなかったため、どういう音楽性なのだろうと興味を持ちながら待機していた。

 ライブが始まると、アコーディオンが曲に牧歌性を与えていて、でもボーカルが結構声を張って歌っていたのでメリハリがあった。特に最後の曲を歌っているときの声の張り上げ方が良かった。普段CDはそこそこ購入するのだが、ライブはほとんど行ったことがなかったので、生で聴いてみるとドラムやベースの迫力、ボーカルの力強さ、アコーディオンの情緒のある音色が全身で伝わってくる。お金が存在したらライブも色々行ってみると楽しいなと感じた。アルバムもその場で販売してくれるとのことで、歌会が終わった後購入した。

 ライブが終わった後、いよいよ決勝歌会の結果発表になった。結果、睦月都さんと御殿山みなみさんの歌の票数が同点ということになり、最後はじゃんけんでの戦いになった。1回目はふたりともチョキであいこ。2回目もふたりともチョキであいこ。同じ手であいこが続くと、運というよりは心理戦の要素が強まっていく。3回目、睦月さんは手を変えてパー。対する御殿山さんは……チョキだった。

 この瞬間、ガルマンオブガルマンが決定した。

 勝った後、ステージで立ち尽くす御殿山さんを見て、私はM-1とろサーモンが優勝した時の村田さんを思い出した。あの時も一瞬、自分の身に何が起こったのか頭の認識が追い付いていない様子で、大舞台で勝った時、喜びが頭に入ってくるまで人は立ち尽くしてしまうのだな、という気付きがあった。睦月さんには直接お話を伺ってはいないが、相当悔しかっただろうなと思う。ガルマンオブガルマンに指がかかりかけていたのだから。

 最後に主催である谷川さんと堂園さん、そしてスタッフの方が壇上にあがり、谷川さんと堂園さんが締めの言葉を行った。私たちは何も頑張っていないと谷川さんはおっしゃっていたが、記念の歌会に60人以上も参加者が集まるような、行きたくなる歌会を運営し続けているのはとてつもなくすごいことだと思う。一参加者として頭の下がる思いである。

 

 その後、近くの居酒屋で懇親会が行われた。諸事情で現在お酒が飲めないので、私はソフトドリンクを飲んでいた。私の座っていたテーブルには、最初法橋ひらくさん、渡辺アレハンドロさん、決勝歌会に進出した杉本茜さん、のっぺらのドラムを担当しているグレート橋本さん、鈴木ちはねさんがいた。窓からパン屋さんが働いているのが見えた。私側のテーブルは人の入れ替わりがちょこちょこあり、途中谷川さん、私、堂園さんという私の肩身がぎゅんぎゅん狭くなる場面があったり、私の両端が一旦いなくなり面接みたいなフォーメーションになったりしたが、楽しく会は進んだ。

 私を短歌の世界に引っ張ってくれた歌集が2つあり、そのうち1つの作者である伊舎堂仁さんとも話すことができた。しかし私があまりに緊張してしまい、うまく口が回らなかった。口、ギュインギュイン回るように話してみたいものだ。

 懇親会も後半に差し掛かったころ、渡辺さんに、「目の形良いですね」と唐突に褒められた。今まで目の形を褒められたことが一度もなかったため、困惑してしまった。さらに「目の形がクジラみたいでいいですね」と褒められた。これで褒められたのは2回なので、12年に1回ペースである。次は2031年に目の形を褒めてくれる人が目の前に現れると思う。

 杉本さんと法橋さんはクジラに少し同意していて、伊舎堂さんと私はピンと来ていなかった。もしピンときていないのが私だけだったら、四面楚歌になってしまうところだった。今回の場合はだと四面クジラ目でしょうか。分かりません。目の形を、クジラを引用して褒めてくれた人に会ったことがなかったので、この例えは家帰って風呂場で鏡見た時に思い出すだろうなと感じた。今度お会いした人は、私の目を見て大海原を感じてほしい。

 その後も話がはずみ、惜しまれながらも懇親会が終わった。デザートに出てきたアイスキャンディーが余っていたのだが、どうなったのだろうか。様々な味があったらしいが、私はパイン味しか食べていないのでその真偽は不明である。世の中にはまだまだ知らない味がたくさんあるのだ……。

 帰り際、決勝歌会に進出したシロソウスキーさんに挨拶をする。嬉しいことに名前を認識してくださっていた。

 その後三次会などがあったのかもしれないが、私は二次会が終わった後帰宅したのでどうなったかは分からない。

 体力をかなり消耗していたらしく、帰りの電車では9割5分寝ていた。実家に戻って風呂に入り、体を洗っているときに鏡を見て、クジラみたいな目かあと思った。その後も時々その喩えを思い出している。

 

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ガルマン歌会で使用した名札。返却するのを忘れてしまった。返したほうがいいのだろうか。あと、ガルマン歌会に関する写真がこれしかなかった。看板の写真とか撮っておいたほうが行った感がぐっと出てくる。

 

 200回記念歌会はとても楽しかったのだが、やはり決勝歌会に進出して優勝してみたかったなとしみじみ思った。優勝した時はどういう視界になるのかとても気になる。

 また、短歌に関してももっと精進しないといけないなと感じた。1月に水沼朔太郎さんが主宰しているネットプリントに参加して以降、精神的な問題もありほとんど短歌を作っていなかった。最近少しずつ穏やかになってきたので、自分がこれだと思う短歌・連作を作って発表していければと感じた。改めてこういう気持ちにさせてくれたガルマン歌会に感謝している。

 

 次は2026年頃だろうか。ガルマン歌会300回記念歌会に向けて、今からウォーミングアップを始めていきたい。