コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ミツメやTempalayの曲をよく聴いた週

4月6日(火)

 Youtubeの右側に出てきた『Basic (feat. STUTS)』が心に残ったので、この曲が収録されている『』を購入した。

 

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VI

 

 アルバムの最初の感触としては、おもったより馴染んでこなかったのだが、2回3回と聴いていくにつれて身体に馴染んできた。何回も聴くうちに良さが分かってくる曲やアルバムは時々あって、そういうもののほうが長く多くリピートしている。

 特に好きだった曲は、最初の頃は”Basic”だったが、今は”変身”、”video”、”リピート”が浮上してきている。”変身”や”video”に関しては、過剰に昂らないギターが、歩いているときの空気や気分などと相性がいい。

 

4月11日(日)

 夕方になって急に、今日は散歩に行っておくべき季節だぞという気持ちが湧き上がってきたため、近所の川沿いを15分ほど散歩した。

 桜のピークが終わって、あとは緑を増やしていくだけの桜並木に沿って歩く。

 桜には誰かに伝えたくなるような力が備わっていて、音楽や文学、写真でも桜のモチーフをたくさんの人が使っている。私も使っている。使っているけれど、かなり難しいモチーフだと思う。どう使っても、何となく良い感じ・感情が高まってくる感じが出てしまうからだ。桜を使って低体温な話や写真、音楽を作ろうとするのはかなり難しく、そういうところにたどり着きたい。

 ちょうどいいところで橋を渡り、出発した場所へと戻っていく。行きでは外で話していた大学生が、帰りにはいなくなっていた。

 

4月12日(月)

 Tempalay『ゴーストアルバム』を聴いた。

 

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 奇天烈なイントロと馴染みやすいサビが、個人的にはTempalayの特徴だと思っていて、今回もその特徴現れている。"へどりゅーむ"はイントロで面食らったが、サビに入るとキャッチーになる。

 上記のコントラストが一番ハマっていると感じたのは"ああ迷路"で、宗教を想起させるようなイントロから始まり、サビ前でシンセが入ってガラッと曲の雰囲気が変わる。  

 サビではシンセサイザーを弾いているAAAMYYYがメインでボーカルを取っているのだが、様変わりするサビの少しもの寂しげな雰囲気とバッチリハマっていて、Tempalayが今まで発表してきた曲の中でも個人的にはナンバー1だと思う。

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 他の今までにない特徴としては、大方の曲が次曲との間がほぼない、もしくは曲同士がつながっているところが挙げられる。また、声の挿入(子ども?)が入ってくる曲がちょくちょくあるのも印象的だった。他にも、AAAMYYYがボーカルを取る部分が増えている。

 キャッチーさは前作のほうがあったような気がするが、今作のほうが今までのアルバムよりコンセプチュアルになっている(幽霊や日本的なカルチャーをモチーフにしたものが頻出する)と思う。

 上に挙げた曲以外では、スティールパン(の音を模したシンセサイザー?)のリフレインが印象的な”シンゴ”が良いと思った。

肉に関する生活

3月30日(火)

Twitterで話題になっていた、やけくそハンバーグを作ってみることにした。

 合い挽き肉を購入し、塊AとBをフライパンに投入する。塊Aは上手くひっくり返ったが、塊Bはひっくり返らずにどんどん細かくなっていく。油がかなり肉から出た結果、最終的に塊Bは揚げそぼろになった。初日は揚げそぼろをご飯の上にかけて食べ、2日目は塊Aを食べた。味としては当たり前ではあるがつなぎを全く使っていないため、かなり肉々しい味になる。

 SCP-610(にくにくしいもの)は時々見返すことのあるSCPオブジェクトで、昔はドロドロした肉塊の画像が添付されていた。SCP-610は感染病のようなもので、感染したものは最終的にドロドロした肉塊になる。ゾンビの遠い親戚みたいなものに思えるが、ゾンビよりも人間としての形をとどめておらず、その上感染力も強い(建物なども侵食する)。

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 個人的に好きなSCPをパッと上げると、SCP-414(それでも、私は病んでいる方が好きかもしれない。)と、SCP-1983(先の無い扉)が思い浮かぶ。

 SCP-414はリンク先に載っている画像が不気味なので一応閲覧注意。

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  SCP-414は個人と共同体について考えさせられるオブジェクトで、最後のインタビューが切ない。SCP-1983は、死を覚悟したエージェントが書き遺した最後の意地と、意地を受け取った名も無きDクラス職員(オブジェクトを制御するための駒のような存在)の意地が垣間見える名作。

 

 やけくそハンバーグを作った後の注意点としては、部屋が肉臭くなるところだ。換気扇を付けて料理をしていたのだが、それでも2、3日は肉の臭いが取れなかった。結構気分が下がってくるので、作る際は気を付けたほうがよさそうだ。

 小学生の頃に社会科見学で森永の工場に行ったことがあったが、甘い匂いがずっとしていて、気分が悪くなる子もいた。同じ匂いをかがされ続けるのは、気が滅入ることなのかもしれない。

こころのハリウッドザコシショウ

3月29日(月)

 こちらの預かり知らないところでいつの間にかラーメン屋ができていて、しかも割と評判が良かったので仕事帰りに行ってみることにした。

 経験則上、月曜日に休みのラーメン屋は多いため、あらかじめ営業時間を調べる。無駄足にならないようにしっかり営業時間を調べることが、ここ数年でできるようになった。取扱説明書をファイリングするようになったこととあわせて、成長が感じられる瞬間である。

 2月の頭にも1回行こうとしていたのだが、その時はコロナウイルスの影響で夜営業をやめていた。いくら定休日でなかったとしても夜営業が再開していなかったら全く意味が無いため併せて調べる。

 お店のフェイスブックで、夜営業が再開していることと定休日でないことを確認する。営業案内が3月の頭で途切れていることは不安要素ではあったが、まあ大丈夫だろう。

 

 ようやく昼間はあたたかくなりつつあったが、夜はまだまだ肌寒い。こころのハリウッドザコシショウが、「肌寒いでございまさあねぇ~」と言い止まなかったため、いったん家に戻ってジャンパーを羽織った。

 この文章を書きながら、そういえば第1回喚き-1グランプリを久しく見ていないなと思った。

 喚き-1グランプリはハリウッドザコシショウが主催する大会で、その名の通りネタ中に1番喚きがすごかった人を決める大会である。数年前に第1回を見た時に、出場者の野沢ダイブ禁止(虹の黄昏)の喚きでここ10年の中でもTOP5に入るくらい笑って、結構精神的にも助けられた時があったのだが、今確認したら非公開になっていた。

 家からラーメン屋までは歩いて20分近くかかる。住宅街の街灯は少なく、車通りもほとんどない。

 空腹の影響がお腹だけでなく、足にまで及んでいるなと考えているうちに、ラーメン屋まで辿り着いた。しかし、駐車場には車が無く、店の明かりもない。スマートフォンフェイスブックを見たが、何も書いていない。お店を覗いてみる気にもなれず、来た道を引き返した。

 その後、20分以上歩いて二郎系めいたものを出している別のラーメン屋に行った。個人的には可もなく不可もないお店なのだが、夕食が完全に二郎系ラーメンでロックされていたし、別のラーメン屋で最後に食べたのは5年近く前だったため、もしかしたら美味しくなっている、美味しく感じるかもしれないという可能性に賭けていた。

 

 くたくたになりながらラーメン屋に入り、二郎系めいたものを食べた。人の味覚は数年経過しただけでは大きく変わらないことが分かった。

【印象に残った短歌】どこまでが夢で、あそこまでの梅、ここから桜。さくらがきれい。/山中千瀬

どこまでが夢で、あそこまでの梅、ここから桜。さくらがきれい。

/山中千瀬『さかなのぼうけん パート2』(『率 8号』、2015.5.4)

 

 夢と現実、そしてその狭間を想像させてくれる歌だと思う。

 まず<どこまでが夢で、>で夢の存在と、現実の存在、そしてそれら2つの狭間の存在が暗示されている。<あそこまでの梅>で主体に見えているある一定の範囲まで梅が咲いていることが分かる。

 そして<ここから桜。>で梅と桜の境界が現れる。どちらも同じ春の花で、色合いも似ているが、ここではくっきりと違ったものとして提示される。今まで読点だったのが句点に変わるところも、ここで何かが変化したことを思い浮かばせる。

 最後の<さくらがきれい。>であるが、桜の表記がひらがなに変わっているところはかなり重要で、桜という様々な意味や象徴を持った花が、ひらがなになることで少しぼかされるように思えた。そのぼけ方が夢か現実か判然としない空間と合わさって、意味や象徴としての桜のイメージは淡くなり、目の前に見えている光景がきれいだということだけがわたしの心には残る。

 

 この歌は<どこまでが夢で、><あそこまでの梅、><ここから桜。><さくらがきれい。>という4つのフレーズに分けることができるが、57577に即して読むと<どこまでが/夢で、あそこ/までの梅、/ここから桜。/さくらがきれい。>という形になる。

 フレーズと読む際のリズムに差異があるのだが、下句になるとフレーズとリズムが一致する。ポリリズムの曲を聴いているときの、2つのリズムが一致したときの気持ちよさのようなものが、この歌にはあると思う。

吉澤嘉代子『サービスエリア』をよく聴く/スリップダメージを減らす

2月26日(金)

 吉澤嘉代子『サービスエリア』を最近よく聴いている。

 

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サービスエリア(初回限定盤)

サービスエリア(初回限定盤)

  • アーティスト:吉澤嘉代子
  • 発売日: 2020/11/25
  • メディア: CD
 

 

 途中からドラムが入ってくるところや、Bメロで声に力が入ってくるところのスピードの上がり方、サビに入る直前にアクセルが1回離されてサビで一気に踏まれるところが楽しい。

 また、2番のAメロの歌詞に惹かれた。

 

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「自動ドアのまばゆさに引きよせられ力つきた夜の羽を見た」の光と闇の位置移動と融合が面白かった。街灯に虫が引きよせられる現象は、夜の中に光があり、光の中に虫が引き寄せられていく。上の歌詞だと、一番外側にあった夜が一番内側に移動して、虫と融合している。その結果、まだ一番外に残っているはずの夜が視界から消えるようになっている。

  この歌を聴き始めてから今に至るまでに情報は更新され、この曲が入っているアルバムもリリースされた。早めに購入したいところだ。

赤星青星(初回限定盤)

赤星青星(初回限定盤)

  • アーティスト:吉澤嘉代子
  • 発売日: 2021/03/17
  • メディア: CD
 

 購入したいアルバムが増えてきているのだが、今年は出費がかさみそうな予定があるため、セーブしなければいけない状況が続いている。聴きたい音楽を全てアルバムという形態で購入していくと、生活のための資金を侵食しかなければならなくなる。気になる音楽をもっと気軽にチェックするために、そろそろ音楽のサブスクリプションも検討していく必要があるのかもしれない。

 

3月22日(月)

 日記を書くためにつけているメモが約1か月間空いた。3月は仕事が繁忙期だったため、メモをつけるということを忘れていたのだろう。

 そしてようやくメモのことを思い出したこの日に書かれていたことは「想像力の枯渇」だった。

 大学生の頃は想像力の蛇口が緩かったような気がする。サークル活動に精を出しながら、Twitterでひたすらネタをつぶやいて、時々小説を書いていた。

 ある時期を境にネタはほとんど思いつかなくなって、ネタを絞り出すようになった。ツイートをいじくり回すことで時間を浪費していた。フォロワー数が自分の背丈よりもはるかに多くなってしまった結果、いいねにとらわれすぎていたことに気が付くまでかなり時間がかかった。

 今はネタを絞り出すのをやめて、思いついたこと呟くようにしている。一見して絞り出しているのか思いついているのかは見分けがつかないが、よく分からないスリップダメージは減ったような気がする。

 いかにスリップダメージを最小限にしていくのかが、あらゆる面で今後も課題になってくると思う。

乗代雄介『最高の任務』を読んだ

2月18日(木)

 乗代雄介『最高の任務』を読み終える。ブログは時々読んでいたが、小説を読むのは初めてだった。

最高の任務

最高の任務

  • 作者:乗代 雄介
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: 単行本
 

 

 この本には『生き方の問題』『最高の任務』の2つが収録されている。

 

『生き方の問題』は、<僕>が<貴子>という2歳年上の従姉に書いた手紙という形式をとっている。長さの違う過去の記憶が書かれているのだが、僕は持って回った言い回しを多用する。言い回しに関しては<僕>も自覚的で、<貴子>が途中で手紙を読むのをやめてしまうのではないかという推測を何度もしている。途中で自分も振り落とされそうになったが、そのまま読み進めていった。

 夏に起こった出来事、<貴子>に対する執着をからませた<僕>の文章は、じとっとした空気を絶えずまとっている。

片付けを終えた両親が一息つくのを慎重に待ってから部屋に戻り、急いで引き出しを開けると、手紙の端に丸文字で書かれた僕の名前の向こうから貴方が眩しく笑いかけている、そんな情景をつくって二つが一緒に滑り出てきた。(『生き方の問題』p.15) 

  <貴子>のDVD(ジュニアアイドルをやっていた)と差出人不明の手紙の重なり。しかし、手紙はラブレターだったことが読み進めていくとわかるが、ここでは貴子を際立たせるための装置としてしか<僕>には機能していない。

つまるところ「ごまかさなきゃいい」という以上に大事なことなんて何一つとしてない。(p36-37)

 

『最高の任務』は卒業を控えた<景子>の日記と亡くなった叔母、卒業式の後に家族に半ば強制的に連れていかれた小旅行が中心になっている。

 何気ないエピソードの質感の丁度よさが印象的だった。蟹炒飯に関する決意を語る弟や、<景子>が絶賛する弟のヨッシーのものまねを母に見せた時の反応など、現実がちゃんと地に足が着いた状態で起こりうる少し印象的な場面が、心に留まった。

今度はマドレーヌ*1の上にくっついてたアーモンドスライスを飛ばしてきて、それがちょうど、私が目を落としてる、今まさに書こうと鉛筆を構えてたところに落ちた。カッとなったその一瞬で、私はその下に「マドレーヌ」を書き置くことを思いついた。そして、その素晴らしさに免じて弟を許してやることにした。だからつまり、本物のアーモンドスライスが、この日記の最初の「マドレーヌ」(点をつけたやつ)の上にはのっかっていたのだ。(『最高の任務』p99) 

 思いつけたらその日は確実にうれしいと思う。

 

 ラストの部分は自分も涙の水位が上がっていて、全てが完結していくときになんだか泣きそうになる(その後に決定打がきて泣いてしまう)のは私も覚えがある。

 

自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かもわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気づくのだ。(p.174)

*1:本文ではマドレーヌの部分は傍点が打たれていて、アーモンドスライスがこの部分に落ちたことが示唆されている

【短歌の紹介】ステンレスのシンクがきれい ほんとうは二十世紀はなかったんだね/宝川踊

ステンレスのシンクがきれい ほんとうは二十世紀はなかったんだね

/宝川踊『サイダー』(『率 8号』、2015.5.4)

 

 短歌で見かける構造として、「<言葉A>・一字空け・<言葉B>」が挙げられる。言葉Aから言葉Bへ進むとき、視線は一字空けを跳びこえていく。跳び越えた先にあるBにある景色はAと似通っていることもあるし、全く違うこともある。上記の短歌は、かなり景色が違っていると言える。

 まず<言葉A>にあたる<ステンレスのシンクがきれい>から見ていきたい。シンクの多くはステンレスでできていて、光沢をもった銀色が特徴的だ。手入れがされているシンクは光沢が強く、そういったものに遭遇したときに<きれい>という感想をもつことは割と自然なことだと思える。

 対して<言葉B>にあたる<ほんとうは二十世紀はなかったんだね>は、<言葉A>とは全く景色が違う。<言葉A>では室内での光景が描かれていたが、こちらは空間が特定できない。限定された空間→特定できない空間への変化が、歌の世界をぐっと広げている。なんだかいきなり家の壁が開いたような気持ちになる。

 景色は一字空けの前と後で違うが、引き継がれているものもある。ステンレスがもつ<きれい>さは、一字空けによってステンレスという具体的な物質のイメージを薄めながら、<ほんとうはニ十世紀はなかったんだね>に接続されていく。

 もしかしたら主体は二十一世紀生まれ、もしくは九十年代後半に生まれで、ニ十世紀に関する記憶をもっていないのかもしれない。記録としての二十世紀はあっても、実感の伴う二十世紀は存在しない。

 

 主体には、シンクを通して一体何が見えているのだろうか。