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【一首評】友だちの話を別の友だちにするとき呼び名をかえるゆかしさ/榊原紘

友だちの話を別の友だちにするとき呼び名をかえるゆかしさ

/榊原紘『悪友』(『ねむらない樹 vol.4』、書肆侃侃房、2020.2.1)

 

 話のはずみで<友だちの話>を<別の友だち>にする場面は、時々見受けられる。その際に<友だち>の<呼び名>を短歌内の主体が変えていると解釈した。友だち(仮にAとする)といるときはあだ名で呼んでいるが、別の友だちにした話の登場人物として、Aが出てくるときは呼び捨てにするというような感じだろう。

 この歌の良いところは<ゆかしさ>という言葉のチョイスだと思う。ゆかしさ(ゆかしい)という言葉は「気品・情趣などがある、上品で落ち着いた美しさがある」という意味である。古語にあまり生活をしている中では見かけない言葉だ。

 そういった言葉を、自分の行為への感想として用いることによって、直接的に美しい・上品だと言うよりも印象深いものになっている。また、自分で自分を褒める時の少しおどけた感じも出ていて、主体が意識してこういった言い回しを用いたんだな、ということが伝わってくる。

 言い回しを凝ったものにすると作為的に見えてしまう場合もあるが、この歌ではささやかな配慮(とまではいかないかもしれないが)を行う私に対して、おどけつつ褒めてみるという状況が見えるため、いきなり凝った言い回しをされるよりも説得力があると思う。

 <ゆかしさ>という言葉によって、歌が読者に見せる状況を最大限魅力的なものにしていると感じた。