コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

あらゆる活動を再び

7月 その1

 生活が忙しくなると何かを書く・作る行為にリソースが割けなくなるのはよくある話で、よくある話には私も含まれている。ブログの更新は滞り、小説も書きかけだ。短歌に関しても2月以降新作を発表できていない。歌会に関してもかれこれ1年半ほど参加していないように記憶している。

 長めの無職期間を終えて再び働き出し、生活が落ち着きを取り戻しつつあるため、まずは1000字日記を書くのを再開してみることにした。1000字日記とは、ブログの下書きとして日記を書いていき、1000字を超えたら投稿をする行為を指す。

 この調子で小説を書くことも再開したいし、短歌の連作も7月中にネットプリントという形で配信したい。創作に関しては、今は忘れ去られない程度にやっていければと思う。決意表明として、やる気があるように見受けられるヒトカゲの画像を貼っておく。

画像

 

 朝起きてTwitterをいじっていると、トレンドに「倉橋ヨエコ」と表示されていることに気づいた。高校時代を音楽とともに振り返った場合、真っ先に挙げる必要のあるアーティストがいきなりトレンドになったことに驚きつつ情報を集めていると、なんと15年ぶりに活動を再開するらしい。自分が聴き始めた時にはすでに廃業していたため、活動している期間が私の人生と被るのは初めての出来事である。生きてさえいればという気持ちになった。電車の中で『東京ピアノ』を聴く。

 

 この日は髪を切りに行った。2ヶ月という期間の長さが、床の上に散らばっていく。美容師の方と「キャンプで食べるご飯はどれもおいしそうに見える」という話などをした。キャンプに行こうという気持ちはあまりないが、キャンプ場で作ったご飯は食べてみたい気持ちはある。副産物だけが欲しい。

 短くなった髪型で昼ごはんを探す。うどんを食べようと思ったが結構並んでいたのであきらめる。10分以上うろうろし、結局何回か行ったラーメン屋に腰を落ち着けた。近年大盛りでダメージを受ける回数が増えてきていることを自覚し、麺を増やさず具材を増やすことでダメージを受けることなく退店。こういったことの積み重ねで大人であることを自覚していくのだろう。いまだに二郎系ラーメンでチャーシューを食べるタイミングは分かっていない。

 今度友人とラーメン二郎に行くことになった。食べにいくというよりは、まだ食べられるか確認しにいくというほうが正しいのかもしれない。チャーシューを食べるタイミングもそろそろ理解したい。

散りつつ歩く(1)

 駅を降りるとすぐに、年季の入った階段が見えた。階段を登ると車道になっているらしく、車が行き交っている。

 階段を登るとすぐ目の前を自動車が通り抜けた。地元の人は慣れているのかもしれないが、初めて駅に降り立った自分は心臓が少し冷えたような気持ちになる。横断歩道を渡り歩道へ向かうと正面に川が見えたが、川の名前は分からない。そのうち川の名前が書かれた看板が見えてくるような予感はしていた。

 河川敷にはグラウンドが2つあり、片方では少年野球のチームが試合をやっていた。青いユニフォームを着た子どもたちがグラウンドに散らばっていて、一人だけ白いユニフォームを着た子どもがバッターボックスに立っている。おそらく練習試合だろう。

 白いユニフォームのほうが汚れが目立ちやすい。少年野球を2年ほどやっていたことがあったが、スライディングをすることでユニフォームが汚れてしまうのに少し抵抗を感じていた記憶がある。今考えてみると、社会道徳に反しているような気持ちになっていたのかもしれない。きれいなものはできるだけ汚さないように使ったほうがいい。そういった前提が崩されることに抵抗を覚えやすいのだろう。同じような状況として、習字の時間に墨汁へ筆を浸す時も妙に緊張した。これも汚してしまうことへの抵抗感の表れなのだろう。

 歩道は車道と少しずつ離れながら、それでも同じ方向へ伸びている。車道の向こう側には陸橋がかけられていて、駅の反対側に出ることができるのだが入口/出口がそのまま車道と繋がっているためかなり危なっかしい。幸い見通しは良いものの、事故が容易に想像できてしまう。想像の私は想像の車にはねられてしまい、すぐに消えた。

 歩道の上では高速道路が横切る形になっていて、それを仰ぎ見ながら数分歩き、視界から高速道路が消えたところで再び車道と歩道は身を寄せ合う形になった。左手には草に侵食されつつある工事用のフェンスが見えてきて、その近くで倒れている放置自転車は草の侵食がひどく、もう手の施しようが無かった。まだ近くを通る川の名前は分からない。

 数百メートル続いていた工事用フェンスも終わりに差し掛かった頃、フェンスに「コスモス」とだけ書かれた貼り紙がされていた。近くにコスモスらしき花は見当たらない。私は花に関する知識があまりないため、コスモスの咲く季節がよく分かっていない。確か秋だっただろうか。もし自分の予想が正しければ、3月の背中が見えてきたこの時期には咲いていないはずだ。

 貼り紙の「コスモス」は、A4の紙にでかでかと太字のマジックペンで書かれていた。なんだか大声で呼びかけられたような気持ちになった。

 コスモス! 花の名で知らない人に呼びかけるのはなんだか怖い。

2023年の過ごし方

 ここ数年は東急ジルベスターコンサートをテレビで見ながら年を越している。年越しに添えられるカロリーが少ないからだ。

 

 今年は友人が地元に帰ってきていないため、初日の出は見に行かなかった。そこそこ睡眠時間を確保し、起きて雑煮を食べ、餅の個数の見積もりを間違えた。来年以降、雑煮に餅を3個入れることはおそらくないだろう。

 腹ごなしに音楽を聴きながら地元の神社まで歩く。2023年に最初に聴いたアルバムはThe Chemical Brothers『Push the Button』にした。新年なのでテンションを上げたかったからだ。

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 神社は10人ほど参拝の列ができていた。3分ほどで自分の番になりお参りを済ませる。お守りを買った後おみくじを引いた。迷わず最初に掴んだものを引き上げると良いくじが引けるような気がして、実際大吉だった。去年はコメントが少し厳しめの大吉だったが今年はポジティブなコメントが多かった。大吉にもグラデーションがあるのだ。

 例年おみくじは割と良い結果のことが多いのだが、あまりおみくじの結果を実感できた場面は少ない気がする。ここで運をある程度使っているのではないかという疑念もわいてくるが、だからといって凶を引いたらテンションは下がるだろう。

 そろそろおみくじの勝ち逃げをしたほうがいいのかもしれない。

 

 昨年は以下のような目標を立てた。

  1. 本を20冊以上読む
  2. 短歌連作のネットプリントを3回以上出す
  3. 掌編小説を5本以上アップする

 

 1は達成することができたが、2と3は未達成となった。

 昨年を振り返ってみると、本は定期的に読むことができたが、創作活動は停滞していたように思える。作った短歌は例年とあまり変わりなかったが、歌会にほとんど参加しなかった。小説は文学フリマ東京で1つ書いただけに留まった。創作活動に充てられるだけの気力がない日もしばしばだ。

 このような状況を考慮しつつ、2023年は以下のようなテーマと目標を立てた。

 

【2023年】

テーマ:少しでもいいからなるべく毎日取り組む

①本を35冊以上読む

②小説を5本以上書く

③短歌のネットプリントを2回以上配信する

 

「今日は○○に取り組めなかった」という事実が、じわじわと自分の精神を蝕んでいくため、1分でもいいので短歌や文章を書くことに取り組んでいければと思う。

 また、毎日10分×3セット読書する習慣が去年の途中から身についてからは、例年より本が読めているような気がする。今年も続けていきある程度本が読めればと思う。他にも、年に1回ほどしか小説を書かなくなってしまっているので、短くてもいいので小説を書いていければと思っている。アイデアはいくつかあるので形にしていきたい。

 短歌に関しては、昨年第5回笹井宏之賞に応募しMoment Joon賞をいただくことができた。2月頃には連作が読まれ始めるため、どういう読まれ方をするのか今から楽しみでもあり少し不安でもある。笹井宏之賞に応募したあたりから連作を作るのが楽しいフェーズに入ってきたため、ネットプリントなどで配信できればと考えている。

 生活と創作のための気力は、睡眠時間にかなり左右される。だらだらと起きてしまうことがしばしばあったため、今年は寝る時間になったらすぐ床に就くことを心がけていきたい。

 

たとえば早く寝るだけで 心が強くなれること

songwhip.com

 

 2023年が終わる時に、上手くやれていたと思えれば嬉しい。

文学フリマ東京35に参加しました

 2010年代まで、文学フリマ東京とは面白そうな本や冊子を物色しつつ、出張販売しているインド料理屋(ターリー屋)でインド感を味わうことができるイベントだった。

 しかし、コロナウイルスの影響により飲食の出張販売がストップしてしまった2020年代文学フリマ東京ではインド感がすっかり無くなってしまった。私はインドに一度も行ったことがないため、ここで言うインド感は想像を積み上げてできたものである。

 

 2022年11月20日文学フリマ東京に『メゾン文芸部』というサークルで参加した。毎年秋に参加していて、合同小説誌と個人の短歌冊子を出している。今年で出店者側としては6回目の参加だ。

 サークルとしての始動は6月半ばで、そこから進捗が全く芽生えない夏が過ぎ、9月頃から小説の執筆を開始した。例年10月半ばあたりから心の中に風が吹くようになり、原稿執筆→校正→カバー・表紙デザイン→入稿→その他諸々の準備を強風で髪を乱しながら行っていくのだが、今年は例年より小説の校正を行うタイミングが早く余裕があった。そのため睡眠不足にも比較的悩まされなかった。サークル内に学習という概念が認められたのだ。

 合同小説誌に対し短歌冊子の作成はかなりタイトなスケジュールになり、お品書きの作成に少なからず影響を与えた。笹井宏之賞へ応募する連作を作り終えると、毎年抜け殻みたいになる期間がある。今年は抜け殻期間が長かったのもタイトなスケジュールになった要因の一つだろう。

 それでもお品書きに間違いがないかメンバーと確認したり、値札を前日に用意したりなど準備にも余裕を残した状態で当日を迎えた。

 

 当日。8時前の電車に乗り品川駅に向かう。キンコーズでお品書きを印刷しラミネートするためだ。気分を高めるためにThe Chemical Brothers『Dig Your Own Hole』を聴きながら揺られていたが、大半は寝ていた。カフェインを摂ったあとに眠ってしまったような気分だ。

open.spotify.com

 

 品川駅に到着すると思ったより肌寒く、お腹の調子が一気に悪くなる。2回満室のトイレを引いてしまい、品川は満室のトイレしかないのかという気持ちが冷や汗とともに浮かび上がってきていたが、3箇所目で空室のトイレを見つけることができた。

 気を取り直してキンコーズに向かう。印刷機に案内してもらい、さあお品書きを印刷するぞと意気込んでいたがUSBが反応しない。近くにあったユーザーガイドを確認するとUSB2.0までしか対応していないとのことだった。10年近くUSB2.0のものを使っていたのだが、今年の秋に3.0のものに変えたのが完全に裏目に出てしまった。昨年も印刷後にブース番号の間違いに気づき心が折れそうになったため、品川のキンコーズと相性が悪いのかもしれない。

 幸い、ドライブにお品書きなどの印刷物データを念のため入れてあったため、パソコンから印刷を行うことができた。その後もラミネート途中でフィルムが無くなるなどのちょっとしたハプニングはあったものの、無事印刷を済ませることができた。

 昨年はここから大井町駅の100均にお品書き修正用の白いペンを探しに駆け込んだが、今年は時間にも余裕がある。昨年は100均へと走る最中にTOKIO『雨傘』を聴いていたことも覚えている。今年はGRAPEVINE『新しい果実』を1曲目から聴いていた。

open.spotify.com

 

 印刷物も刷り終わり、浜松町駅でうろついていたがやることも無かったため流通センター駅へ向かう。浜松町で吸い込まれた乗客の大半が流通センターで吐き出され、ワドルディみたいな気持ちになった。星となった一団が会場へと向かっていく。

 近くのローソンでポカリスエットを買う。ポカリスエットを見ると時々、大学生の前半を思い出す。ちなみにヤマザキの3個入りの団子を見かけると大学生の後半を思い出す生き方になっている。食べ物に関しては同じものを飽きるまで買う傾向がある。

 会場に入って設営作業に取り掛かるが、年1回しか設営を行わないためか、いつまでたっても慣れない。図工で立体物を作るのがかなり苦手だったのも影響しているだろう。中学の時に作った1階より2階が大きい金閣寺は、いつごろ捨てられたのだろうか。

 友人が途中で合流し設営のスピードが上がる。値札を用意していたこともあり、今年は開催時間までに準備が間に合った。昨年は間に合わなかったのでこれも進歩と言えるだろう。

 12時になり、拍手と共に開場した。自分達のサークルは毎回開始20分は売れないのでのんびりと待つ。開始15〜20分くらいで新刊の短歌冊子が1冊売れ、その後もぽつぽつと売れる。しかし新刊の小説合同誌は売れない。会場が分かれてしまったのも影響したのかもしれない。結局昼食で店番を離れる13時半になっても小説合同誌は売れないままだった。

 昼食を取る前にチェックしていたサークルでお目当ての冊子や本を買う。9割が短歌関係だった。本当は挨拶などをしたほうが良いのかもしれないが、今年はSP(喋るポイント)が足りなかったため断念した。来年こそはと思う。

 会場を出て、駅前のゆで太郎を見てみると行列ができていた。去年は行列に並んだがあまり良い記憶にならなかったため、モノレールで大井競馬場駅に行く。休日おでかけパスのおかげで途中下車し放題だからこそ使える方法だ。

 大井競馬場駅から歩いて5分ちょっとのところにある複合商業施設でうどんを食べた。結構噛みごたえのあるうどんだった。最近はラーメンよりそばやうどんを食べた方が後悔することが少ないことに気付きつつある。どんどん人生からラーメンが後退していき、代わりにそばやうどんが幅を利かせる事になるのかもしれない。

 昼食を終え、ブースの様子を見にいくとどうやら小説の新刊も売れたとのことだった。これで今年も一安心だ。まだ店番までは時間があるため、まだ買えていなかった冊子や本を買い、休憩スペースで時間をつぶした。

 15時半ごろに再び店番に戻り、ぽつぽつと売れていく小説合同誌や短歌冊子を見送った。短歌や表紙のデザインについてお褒めの言葉をいただくこともあり、励みになった。中身だけでなく表紙にも力を入れているつもりなので嬉しい。

 あっという間に17時になり、文学フリマは終了した。後片付けをしつつ、売上の速報を確認する。新刊の販売冊数に関しては去年と同じだった。小説も短歌も1年間活動らしい活動ができていない中では健闘したほうな気がする。販売冊数について店番として参加していたサークルのメンバーに伝えると、おおむね自分と同じような反応が返ってきた。

 片付けを終えて会場を後にし、中華料理のバイキングに行った。胡麻団子が好きで、以前バイキングで8個ほど食べてお腹を壊してしまったことがあった。基本もちもちしたものは好みで、シャキシャキしたものは苦手だ。何個食べられるだろうかという話を友人たちとしていたが、以前の反省や疲れもあり3個しか食べることができなかった。酸辣湯麺の酸っぱさが体に沁みた。30歳も近くなり、酸辣湯麺の美味しさに気づき始めている。

 

 こうして、文学フリマ東京35は終了した。小説も短歌もほとんど活動をしていなかったが、販売数が減らなかったので少し安心した。しかし裏を返すと、もう少し積極的に活動をしないとこれ以上の販売数が見込めないことも分かってきた。来年は今年よりも1冊でも多く売れればと思う。

 また、来年以降も会場が2つに分かれるらしい。短歌と小説のエリアはそれぞれ別会場になることが予想される。短歌を見に来る人に小説を、小説を見に来る人に短歌も興味を持っていただくにはどうすればいいのか考える必要がありそうだ。

 

 新刊・期間共に通販も行っているので、こちらもチェックしていただけると嬉しい。

komugikokomeko.booth.pm

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トランペットのようなラーメン

5月7日(土)

 午前中は渓流釣りに行った。渓流釣りの様子は以前ブログにアップしたので、是非見ていただければと思う。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 午後からはアスレチックにチャレンジした。木の上でアスレチックができる施設があり、1年前から行きたいと思っていたのだ。

fa-chichibu.foret-aventure.jp

 

 私はどちらかといえばインドア派なのだが、アスレチックは割と好きである。小さい頃からSASUKEを見て育ち、身体一つで立ち向かっていくようなアトラクションに対して憧れがあるからかもしれない。

 途中で一瞬眠ってしまい道案内をミスするというハプニングがあったものの、目的地までたどり着いた。車内で動きやすい服装に着替える。これは情報だが、木の上から地上に戻る手段兼アトラクションとして、ロープを使って滑り降りていくジップスライドというものがある。地上に着地する際、結構ズボンが土で汚れるためそこも留意しておくとテンションが下がることもないだろう。

 受付に向かい、少し早く着いてしまった旨を伝えると今からでも大丈夫とのことだった。助かる。ああ助かる。

www.mofa.go.jp


 受付のすぐ近くに荷物置き場があるが、スペースに限りがあるためあまりたくさん荷物は持ち込まない方がよさそうだ。自分はウエストポーチに貴重品を入れ、それ以外はあらかじめ車内へ置いていった。

 また、軍手・手袋は必須で、できれば滑り止めが付いているものがいい。自分は滑りにくさを推している作業用手袋を持っていった。理由は後述する。

 係員の人にハーネスをつけてもらい、最初に移動の仕方に関する映像を見る。映像だけだとなかなか全部は理解できないなと思っていたところ、チュートリアルがあったのでしっかりしてるなと思った。

 チュートリアルを終え早速アスレチックにチャレンジすることになり、一番近くにあったステージに並ぼうとしたのだが、係員に空いているコースから進むように案内される。コースは全部で6か7コースほどあったように記憶していて、コースによって所要時間はかなり異なる。

 最初に木でできた太い梯子を登っていくのだが、案外高い。自分は少し高所恐怖症の気があるため、少し動揺したのだが、高所への恐怖が疲労で全て塗りつぶされてしまうことに気づくのはもう少し後の話だ。

 

 木の上にさまざまなアスレチックが存在するのだが、基本的に歩くと揺れるものばかりなのでバランスを取る必要がある。バランスを取るには体幹が必要だし、普段より歩くスピードも遅くなる。スピードを出そうとすると揺れも大きくなるため、ハーネスで固定されている状態ではあるが落ちてしまうのではないかという恐怖に苛まれることになる。もちろん留まっていても何の解決にもならない。

 揺れに対処するためにロープを手で持つのだが、自らも揺れているということはロープだって揺れているため、掴んだロープで手を擦りむいてしまう可能性がある。そういった可能性に対処するために手袋が必要になってくる。その際、滑り止めがついた手袋でないと、手を擦り剥く可能性は減ってもロープを持った手が滑ってしまう可能性は減らない。

 コースの中で特段きつかったのはボルダリングをしながら横移動するエリアである。揺れることはないが、エリアを通過するのに多額の握力の支払いを求められる。いっそあきらめて宙吊りになろうかとも考えたが、1回諦めると心が折れてしまうのでなんとか気力だけでクリアした。

 辛さをつらつらと書いていくと楽しくなかったと思われそうだが、1つ1つエリアを超えていくという達成感や、ジップスライドの気持ちよさなどがあるため、減った体力以上の楽しさを得ることができた。滑り降りる最中、間違って吊り下げられているロープに触ってしまいシュッと摩擦音がした。やはり手袋は必要だ。

 すべてのエリアをクリアして、ヘロヘロになった状態でスポーツドリンクを飲んでいると、部活を思い出す。部活が存在しない日々を過ごしていたのでスポーツドリンクを飲むのも久しぶりだった。

 

 汗で文字通り服がぐしょぐしょになってしまったため、秩父駅近くの温泉に行った。www.seibu-leisure.co.jp

 

ちなみにフォレストアドベンチャーの近くにも温泉がある。今回は帰り道に近い方を選んだ。

 

 温泉は一部のシャワーヘッドがミラブルで、ミスト状になって水が出てきてちょっとした感動があった。普通のシャワーと違って水の当たり具合が柔らかかった。

 その後はフードコートのラーメンを食べた。フードコートでラーメンを食べるのとフードコートのラーメンを食べるのは違う。フードコートのラーメンは画像のような少しスープが透き通った、醤油味のラーメンだと思っている。

らーめん・おこさま | 元気いっぱいのファストフードショップ ポッポ

 昔、隣町のイトーヨーカドーの中にポッポというお店があった。調理スペースの上に上に挙げた画像のようなラーメンの写真が飾ってあり、その写真がやけに美味しそうに見えた。

 年に数える程度しか外食をしない家で、数少ない機会をポッポのラーメンを食べるために使おうとは提案できず、イトーヨーカドーに来るたびに近くを通って食べてみたいと思うだけだった。ポッポのラーメンが、子どもの頃の自分にはショーケースの中にあるトランペットに見えたのかもしれない。

 ショーケースの中のトランペットに似たものを、秩父にあるフードコートで食べることができた。小学生の私は、二十年近く後にトランペットを吹けるようになることを知らない。

 

 その後は車内で友人と相手が知らない単語でしりとりをしたり、即席でクイズを出したりしながら2時間ほどかけて朝に集合した場所へと戻っていった。

寿司打をひたすら記録する(501〜600回)

 寿司打を2年ちょっとかけて100回プレイした。これで計600回になった。2年間こつこつやってきたかというとそうではなく、2021年は全くやっていない。心に余裕があると寿司打のことを考える余地が生まれるらしい。

 

 寿司打に関する説明、チャレンジの方法やルール、記録に対する分析は以下の記事を見ていただければと思う。

komugikokomeko.hatenablog.com

寿司打をひたすら記録する(101~200回目) - コムギココメコ

寿司打をひたすら記録する(201~300回目) - コムギココメコ

寿司打をひたすら記録する(301~400回目) - コムギココメコ

寿司打をひたすら記録する(401~500回目) - コムギココメコ

 

寿司打(501~600回目まで)

 401回目から500回目のスコアは以下の通りである。

 途中でMと書かれているのは寿司打をプレイするパソコンがMacに変わったという意味である。

 西暦が書かれていない日付に関しては、前回の記事の日付を見る限り2020年らしい。442回目から443回目までに2年の月日が流れたのだ。

 

 501~600回目までの詳しい記録は以下の通りである。

 前回比に関しては、前回よりプラスだった場合は青字、マイナスだった場合赤字にしている。

 平均値、最頻値、6000円越え率は前回を下回った。上の表では読み取れないデータとして、平均値に関してはパソコンを変える前が6264、変えた後は6030となっていた。

 234点差。6000円近辺だと180円の皿が登場するので、1.3皿ほど獲得数が減っている形になる。パソコンが変わりキーボードの打ち具合も変わったことがスコアに多少影響が及ぼしたと考えることもできる。

 しかし、最大の理由としてはキーボードを正しい指で打つために別のアプリケーションで練習し始めたことだろう。

 練習を始めた理由としては、今の打ち方だとかなり右の人差し指を酷使しているので、正しい運指にすることで長時間文字を打ち込んでいても手が疲れにくくなるのではと考えたためだ。また、スピードを上げるには正しい運指で打ち込む文字までの距離を最短にする必要があるとも思う。

 練習を始めた結果何が起こったか。始める前よりもスコアが取れなくなったのだ。今まで行ってきた運指と正しい運指が混ざってしまい、今までよりスムーズにタイピングをすることができなくなっているのだと推測している。

 ちなみに、練習で使っているアプリケーションは『Typing Land』である。対象年齢が子供向けな感じもするが、何種類かのミニゲーム形式になっているため、練習をしている感じは薄い。小学校の頃プレイした一太郎スマイルに入っていたゲームを思い出した。

Typing Land

Typing Land

  • Yoshiyuki Higo
  • 教育
  • 無料

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 7000円を越えた回数は今までで一番多くなった。しかしこれもパソコンの変更&タイピング練習の実施後は1回だけしか超えていないため、2020年の自分の足を2022年の自分が引っ張っているようにも思える。

 e-typingは前回よりもスコアが7点下がった。今回はスクリーンショットを撮っていないから写真はない。寿司打のスコアの減少具合と比較するとあまり減っていないように見える。

 

 1~600回目の結果は以下の通り。

 

 キーボードの運指が矯正されるまではスコアが出にくくなると思うが、まずは運指を矯正し、そこからスピードをつけていきたい。

 

 700回目に到達するのが一体何時ごろになるかは自分でも予想がつかない。夏が終わるまでに到達するかもしれないし、年内かもしれない。今回と同じように2年後の2024年の可能性だってある。

ザリガニ釣りは釣りの経験に含めていいのだろうか

5月7日(土)

 友人と秩父に行った。

 生まれてから高校を卒業するまで埼玉に住んではいたが、秩父には行ったことがなかった。理由は行くのに時間がかかるからだ。埼玉は縦移動は容易にできるのだが、横移動は面倒な形になっていると個人的には思っている。どこかに出かけるときに一度も秩父が候補に挙がらなかったことから、おそらく両親もそう思っていたのではないだろうか。

 

 午前7時。いつもなら睡眠の9回表あたりだ。

 駅で友人の車と合流し、3時間ほどかけて秩父へ向かう。話は積み重なったり散らばったりを繰り返しながら、確実に車は目的地へと近づいていく。

 思ったより早く目的地である釣り場に着いた。午前中は渓流釣りをする予定だ。釣りは小学生の時にザリガニ釣りをした以来だ。釣りの経験を問われた時、ザリガニ釣りは含めていいのだろうか。有識者の見解が望まれるところだ。

 受付に行き、手続きを済ませる。エサは虫かイクラを選ぶことができたが、自分が魚の立場だった時を考えてイクラにした。

 

 制限時間は2時間。どうせなら一匹ぐらいは連れたほうが嬉しい。どこを拠点とするかを決めるために川の近くをうろうろし、時々釣り針を投げ入れる。イクラの付け方が甘いのか、いくつも川底に沈んでいった。魚は影すら見えず、もしかしたら魚がいるという情報を皆が信じ込み、何もいない川に向かって釣り糸を垂らしているだけなのかもしれない。

 しばらくして友人から最下流で魚の姿がいくつも見えたという情報を貰い、最下流を拠点とすることにした。行ってみると確かに魚がたくさんいて、釣り針を投げれば投げただけ魚が食いつきそうだった。

 上流に比べてエサに食いついてくるようにはなったが、なかなか釣り上げることができない。ひたすらエサだけを食われてしまい、慈善事業みたいになっている。

 時間はエサとともに少しずつ減っていく。残り40分ほどでエサが底をつきかけ、慌てて受付でイクラを追加購入した。釣り針にイクラを刺す数を増やし、再挑戦する。友人から魚が餌をくわえてもしばらく待った方がいいとアドバイスを受けていたので、手応えがあっても待つ。まだ待つ。

 手応えが大きくなって、多分ここだろうというタイミングで竿を上げる。吊り上げられた魚が右へ左へゆらめきながらこちらへ向かってくる。

 ここから針を外していくのだがなかなか上手くいかない。ぬるぬるとした魚が手の中で暴れ回る感触が生理的嫌悪感を司っている部分にダイレクトに響いてくる。二十数年生きてきて魚に触れるのが苦手だという事実が今判明した。

 友人に手伝ってもらい針をなんとか外すことに成功する。魚を掴んでいた左手を見るとべっとりと血がついていて、血が苦手な自分は反射的に川で手をすすいだ。時々手を強迫的に洗う・洗う真似をするシーンで、人を殺したのかというツッコミがされることがあるが、確か血がついてしまうと大量の水ですすぎたくなる気持ちが分かる。すすぐという行為はさらに昔の記憶へと繋がっていき、小学生の頃に読んだあしたのジョーにも手を強迫的に洗う対戦相手がいたという引き出しが開かれた。

 その後もう1匹釣れたところで、魚の中でいくらに対する関心が薄れてしまったのか、イクラを垂らしても垂らしても食いつくことはなくなった。そのまま残りの時間が過ぎ、2匹でフィニッシュした。

 釣った魚を塩焼きにしてもらい、昼食がてら食べる。塩で白っぽくなっている尻尾を試しにかじってみると、血圧にダイレクトに響く味がした。